たかが140字足らずのツイートの解説だというのに、すでに10000字あまり費やしております。
すべてはこのツイートから始まったのでした。
アクセル・ローズというひとは典型的?なアメリカ型の天才ですよね。歴史を無化する表層性(ポップさ)や、誇大妄想狂的なヴィジョンの巨大さや、傍若無人な振る舞いに通底するある種の無垢といったものが、一貫して見受けられます。ロック史だけではなく、もっと大きな枠組みで捉え直したいひとです。GUNS N' ROSESのヴォーカリスト、アクセル・ローズをしてこう評したわたしですが、文章の後ろから遡るかたちで、すでに「傍若無人な振る舞いに通底するある種の無垢」と「誇大妄想狂的なヴィジョンの巨大さ」について、ご説明いたしました。今回は最後ということで、「歴史を無化する表層性(ポップさ)」を解き明かし、最終的にアクセルのなにが「典型的?なアメリカ型の天才」なのか、figure out してみるつもりです。
(学術的思考からすると穴だらけなんですけど、まあいいです。キリないから)
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「歴史を無化する表層性(ポップさ)」とはなにを意味するのか、さっそくお答えしましょう。
それは「アイコンであること」です。この場合、つまりアクセルの場合、「アメリカでアイコンであること」を示します。では、「アイコンであること」が「歴史を無化する」とは?また、その条件に「アメリカで」が含まれるとなると、どう意味合いが変わってくるのか?
それを解き明かすために一度、《アメリカ》における《歴史》について、また《アイコン》や《ポップ》の誕生、果ては《アメリカ》という物語産出装置についての、長いお話をしなければなりません。そのため、しばしの間、アクセルにはご退場を願うことにいたします。それでは、始めましょう。
「アメリカの歴史は浅い」と言ったら、どう思われるでしょうか。言いすぎに聞こえるかもしれませんが、これは事実です。アメリカはその歴史がまだ300年にも満たず、植民地時代を入れても400年に届きません。でも、それなら「最近できた国」は?たとえば、ボスニア・ヘルツェゴビナはどうなる?なるほど、確かに最近成立した国です。しかし、かの地には古代ローマにまで遡ることのできる歴史があります。では、歴史叙述のなかった土地、アフリカは?そう。彼らには歴史が「ない」。あっても近代以降の、西洋人による記録が大半です。ゆえに、例外として除外できる。もっとも若い「歴史の浅い」国、それがアメリカです。
(ネイティヴ・アメリカンもまた、歴史叙述を持たなかったがゆえに除外して考えます。←ここに潜む政治性については、大目に見てください)
アメリカは奇妙な国です。古代も中世も経ることなく、いきなり近代から出発した、欧州移民による高度に人工的な政体です。母国から持ち寄られたルールを、それぞれの移民集団が折衝しながら共同体を形成していった、その積み重ねとして歴史の舞台に現れた国なのです。そんな、欧州から様々な理由で「逃げてきた」、言うなれば「落ちこぼれ」のひとたちが作った国が、最終的には母なる故郷=欧州を超えて、世界の覇権を握るまでに「成り上がり」ます。しかし、成り上がりはある劣等感を抱えてもいました。自分たちには歴史が、神話が、文化がない、と。あったとしても、欧州と比べて浅く、薄く、深みがない、と。
(未だにアメリカが、イギリスやフランスの「文化」に憧れるという構図が透けて見えることがあります。少し脱線しますが、文化とは「象徴体系」と言い換えていいかと思います。つまり、ナニが何を意味するのか、その集合体が文化であり、その「モノ-コト-意味」の束が多ければ多いほど、その文化は豊かと言えるわけです。言うまでもなく、その歴史が古ければ古いほど、その「束」は多い。アメリカの「若さ」は、そのような「束」がまだまだ少ないことと同義なのです)
政治・経済・法律のドグマばかりで、プロテスタント的な労働倫理の下に生きること、その文化的貧困に彼らはどう対処したか。そのひとつが、「アメリカン・ドリーム」という「未来の神話」でした。過去に神話がないなら、未来に神話を築けばいいという逆転の発想。これが《計画-実行》という近代性の「建設の論理」と重なり、成り上がりの地歩を固めていったのでした。しかも、この物語は「まだ始まっていない」がために、だれでも参加可能です。ジェンダー、エスニシティ、ジェネレーションに縛られないこの物語は、タテにヨコに、あらゆるかたちを取りながら増殖していきました。
(実際は「縛りはあった」のだし、また現在もそうなのですが…)
そしてもうひとつ、神話=物語が要請されました。それが「英雄」たちの「偉人伝」でした。アメリカにおいて、「建国神話」とは独立戦争や南北戦争といった明白な「事実」であり、その登場人物である「英雄」「偉人」はまさに「神話的人物」として、実像以上の全能性でもって語られたのでした。アメリカはその歴史の「浅さ」を、「アメリカン・ドリーム」と「伝記」を氾濫させることで、補完したのです。
さて、わたしたちがよく知る覇権国家としてのアメリカが確立されるのは、1920年代です。
(19世紀と20世紀をまたいで、マッキンリーとセオドア・ルーズヴェルトがその地盤を固めました)
「Roaring Twenties 狂騒の20年代」と言われる、あの時代ですね。大量生産方式の確立、インフラの整備、ラジオというメディアの伸長、そして何と言っても、スポーツや映画やジャズやダンスやファッションといった、大衆娯楽の爆発的な拡がりにとどめをさします。アメリカは世界の政治経済的な覇権を握ると同時に、娯楽においても世界をリードすることとなったのでした。その、「薄っぺらさ」において。
アメリカン・ドリームが撒き散らした物語と、カトリックの聖人のように次々と列聖化されていくアメリカ偉人伝。歴史の空白を埋めんとするそのふたつの物語に、新たな物語が加わります。そのエンジンとなったのが、「人物のアイコン化」でした。これが20年代に確立した「ショービズの論理」の中核を担い、全世界に向けて超大量の「イメージ」を散布したのです。
奥行きのない、深みのない、重みのない、浅くて軽くて薄い、上っ面だけの薄っぺらなイメージを流布すること。それをもって商機=ビジネスとなすこと。表層にすべてを託すこと。こうして、物語の過少をなんとか取りつくろってきた歴史の浅いアメリカは、いくらでも生産できる新たなイメージ=物語を全世界に届けることで、その劣等感に報いたのでした。「ポップ」の誕生です。
(ここでは、「表面的なイメージという断片化された物語」をもって「ポップ」と呼ぶことにします)
すべてを表層化せよ。あらゆるイメージはビジネスに奉仕せよ。こうしたアイコン化は同時に、新たな神話を生みました。スポーツ選手や映画俳優が、神話的人物の仲間入りを果たすこととなったのです。それはアメリカだけで起きている、「リアルタイムの神話」でした。
野球の選手はその超人的な能力と数えきれない逸話(もちろん、尾ひれがつきまくった)でもって、生ける伝説と化しました。また、映画館ではこの世のものとは思えない美男美女があらゆる物語を生きてみせ、大衆はそのブロマイドやポスターを競って買い求めました。スポーツ選手や映画スターほどではないにせよ、ジャズ・ミュージシャンもまたその名を売るようになりました。
(ラジオやテレビといったメディアの普及が背景にあることも、押さえておきましょう)
かくして、アイコンたちの物語、すなわち「ポップ」は大衆の心理や生活とからまりあって、際限なく増殖していきました。50年代になると、今度は「ロック/ロックンロール」が誕生します。エルヴィス・プレスリーやチャック・ベリーの登場です。「白い」カントリー&ウェスタンと、「黒い」リズム&ブルースの私生児として生を受けたロック/ロックンロールは、テレビの世界的な普及もあいまって瞬く間に世界を席巻しました。ロッカー/ロックンローラーというアイコンが、次なる「リアルタイムの神話」として歓迎されたのです。
これにつづく60年代は、さらなる「ポップ」の氾濫を巻き起こしました。冷戦体制化のアメリカに限って言っても、ベトナムの泥沼化、ケネディの登場と暗殺、核の恐怖、ブラック・パワーの伸長などといった大きな問題が噴出した時代です。こうした政治経済面のゴタゴタに、若者たちが反旗を翻しました。カウンターカルチャー(対抗文化)の登場です。その旗手をつとめたのはやはり、「アイコン」たちでした。
アンディ・ウォーホルが「ポップ・アート」で、「われわれの生きる時代の風景とは商品の陳列に他ならない」と喝破し、THE BEATLESを筆頭とするミュージシャンが(アイドルからアーティストへ脱皮するという方法論を確立しながら)60年代という時代の「気分」を歌い、そしてサンフランシスコでは花の革命が起こりました。アイコンたちの物語は世界を包み、あらゆる既成秩序の転覆が企図され、世界は無垢な魂たちの共振に応えるがごとく、その同時代性・汎世界性を色濃くしていったのです。それは60年代という時代が、アメリカという若い国のイノセンスを媒介し増幅することによって、リアル-ドリーム-ホント-ウソの統合というイノセンスを獲得した、奇跡的な蜜月だったのです。
しかし、奇跡は長くつづきませんでした。気がつくと、アイコンたちは自らの綻びに言及するようになっていました。ジャニス・ジョプリン(彼女もまた、「無垢」のひとでした)は、ステージ上では神話的アイコンであっても、私生活では孤独であることをこう表現しました。
On stage, I make love to 25,000 different people, then I go home alone.
ジャニスは自分がアイコンであることを熟知しながら、歌に自分のすべてを賭けてもなお、満たされない孤独に苛まれたまま、若くして世を去りました。自分は自分のはずなのに、みんなからしたら「ナントカ」というアイコンでしかないことへの、絶望と諦念が語られ始めたのです。同時期に映画においても、アメリカン・ニューシネマなる「失望」の物語群が登場し出しました。アメリカは、若さを失おうとしていました。(ステージで2万5千人と愛し合って、それからひとりでうちに帰るの)
しかしその一方で、ミュージック・ビジネスは世界的に巨大化の一途を辿っており、日々新たな「アイコン」が喧伝され、ディスコが流行り、ついにはテレビをも征服します。MTVの登場です。その頃にはもう、静かに諦念を唱える呟きは隅に追いやられ、時代は80年代という新たな局面を迎えることとなったのです。束の間の輝きを見せた60年代のイノセンスはすでに遠く、70年代の内省とイメージの増加、ビジネスの形式化への模索の果てに現れた80年代は、この上なく「薄っぺら」でいかなる深みをも欠いた、「ポップ」を極めた時代だったのです。こうして、アメリカは化粧で失いかけた若さを誤魔化し、派手なヴィジュアルの洪水のなかでその輝きを誇示することとなったのです。
……ようやく、ガンズ/アクセルに辿りつきました。
「歴史を無化する表層性(ポップさ)」をこう言い換えましょう。
「歴史=個人史=自分を無かったことにされるアイコン」、と。
今更強調するまでもなく、ガンズはアイコンそのものです。ロックの、ロックンローラーの、80年代の、不良っぽさの、LAの、ひいては《アメリカ》の、アイコンです。アクセルはそうしたアイコン化作用の中心で、その「無垢」ゆえに(前々回のブログ参照)様々な厄介事をやらかしました。(現在も継続中ですが) ただ、それは単純な反発であると同時に、自己防衛であったこと、自分をアイコン化という神話化=平板化から救出するためのものであったはずです。どれだけ意識していたかは、わかりませんが。
アクセルに限らず、歴代のアイコンたち、とくに表層化(アイコン化による断片的な物語=「ポップ」の流布)の著しいアメリカのアイコンたちは、その消耗が異常に激しい。(ミュージシャンを引退したひとの多くが、アメリカ人であることをもっとよく考えてみるべきでしょう) マリリン・モンローやエルヴィス、ジャニスやジミ・ヘンドリックス、マイケル・ジャクソンといった「アイコン」たちを想起してみると、すぐさま納得がいくのではないでしょうか。表層的なイメージの量に比例して、毀誉褒貶は激しさを増し、真実は誤解や誇張や真っ赤な嘘と等価とされる。アイコンにして「笑い者」。アメリカの「リアルタイムの神話」は、商業化の果てに神々を道化にまで貶めてしまったのです。
こうした表層性に対抗する手立てはないのでしょうか?
奥行きを、深みを、重みを与えるには、なにを?
手段はあります。「愛される」か「死ぬ」か。その二択です。
そう、「愛」と「死」は重い。いかなる表層性も、愛と死には敬意を払います。しかし、ずっと愛されることは、あまりに難しい。また、仮に愛されたとしても、当人が満足しない限り、その愛には救われない。かと言って、死ぬわけにはいかない。ならば、「死」に相当する「重さ」を与えよう。それは自分を曝け出すこと。自らの「生」をもって「死」の代替とする、そんな芸当が可能なのでしょうか?可能かもしれない。その曝け出した自分の姿が、見る者に「小さな死」としての「痛み」を与えるような、そんなものであるならば。
アクセルは、過去に義父から虐待を受けていたと告白しています。ステージ上においても、その件について語ったことがあるそうです。だから自分は「違う」のだと、おまえたちがわかった気になっているオレはオレではないのだと、そう言いたかったのはないでしょうか。そう告白することが、彼にとって高いハードルだったのか、それとも低いハードルだったのか、わたしにはわかりませんが、その痛ましい告白はあまり深刻に受けとめられなかったように思います。すでに「お騒がせ者」という烙印をおされていたアクセルが、どれだけ真情を振り絞って切なる叫びをあげたとしても、すべては「アクセルというアイコン」(日本的な言い方にしたら「キャラ」)として、認識されるだけです。ああ、また何か言ってるよ。それでお終いです。虐待の告白は雲散霧消してしまう。もしくは、そのような「死」に匹敵し得る痛ましさであってさえも、表層化されてしまう。アクセルが試みた自らのイコノクラスム(聖像破壊)は、失敗する他なかったのでした。
アイコンであることのストレスは、容易にそのひとを破壊します。ただ、アクセルは元から「ふつうのひと」ではなかった。前回、前々回に指摘したように、彼は「無垢」を保持した、ロマン主義的幻視者です。別の言い方をすると、アメリカ社会において、あらかじめ「壊れていた」アウトサイダーだった。初めから壊れていたものをそれ以上に壊すことは難しい。できたとしても、死には至らない。そこが、アクセルとカート・コバーン(NIRVANA)の違いだったろうとわたしは思っています。
突然、カートの名前を出しました。彼もまたアイコンです。しかも、上述したような歴史を踏まえることのできる、「最後の」アイコンです。80年代に巨大化したミュージック・ビジネスは、90年代にその形式化と収益性の頂点を迎えます。(形式性に関しては90年代以後、あーだこーだと異論を唱えることができますけど) カートもまた、アイコンでもある自らのイメージと、その商業性に対して戦いを挑みました。結果、彼は死を選ぶこととなり、皮肉なことに「カート・コバーンというアイコン」に奥行きや重みを付与したのでした。
そう、カートは自分の死を死ぬことさえ許されなかった。すべては「ポップ」の一形態として、回収されたのです。実のところ、アイコンとなってしまったら逃げ道はありません。「愛」と「死」によって深みがついても、わたしたちは彼らを「消費」してしまう。あとは、各人がどれだけアイコンたちに対して愛と死の深みを掬い取るか、その倫理性が問われるだけでしょう。
さて、アクセルは1994年以降、沈黙します。アルバム制作やツアーにおける、ガンズのメンバーとの衝突とも、アクセルの身勝手な振る舞いが原因とも言われていますが、真相はなんとも言えません。ただ、これはわたしの浅い考えかもしれませんが、カートの死はアクセルにとって大きなモメントであったろうと思います。アクセルの「無垢」は、カートの「無垢」を察知していたのではないか、と。直接的/間接的、意識していた/無意識だったとを問わず、アクセルをさらなる混乱に追いやったのはカートの死ではなかったかと、そう思っています。
少々横道に逸れますが、こうしたアイコン化をあらゆるレベルにおいてくぐり抜けたのが、ジョン・レノンとフレディ・マーキュリーなのだろうと思います。ふたりともアイコンの表層性を超越して、ジョンは「自由の象徴」に、フレディは「愛の象徴」になろうとしています。(ジョンはすでに達成された感もあります)
また、ふたりとも英国人であるのは、偶然ではないかもしれません。彼らが類まれなるユーモアの持ち主であったことも、無関係ではないでしょう。彼らにおいて、20世紀の「愛」と「死」の幾許かが永遠のものとなったのではと思うのですが、これは大袈裟にすぎるでしょうか…。
あまりに長い叙述で、焦点がぼけてしまったかもしれません。
最後に、「典型的?なアメリカ型の天才」に言及して、終わりにしましょう。
もう大枠はご理解いただけていると思うのですが、わたしが強調したかったのは「天才」ではなく「アメリカ型」の方なんですね。「?」は、無垢を抱えた幻視家という希少性が、典型的と断定することに疑問を呈した残り香です。もうちょっと踏み込んで整理しましょう。
わたしがあのツイートをしたときにパッと連想したのは、以下の通りです。
①《アメリカ》という物語産出装置における「ポップ」「アイコン」
②《アメリカ》的ヴィジョナリーの系譜に連なる「ヴィジョンの巨大さ」
③《アメリカ》という若い国ならではの「イノセンス」とアクセルの「無垢」の共振
この内、①と②はブログの通りですが、③は何やら違いますね。
実は、前々回のブログではうまく触れられなかったのですが、アクセルの幼少期は60年代です。今回、上述したように、60年代はユメとホントが奇跡的に同化可能だった時代でした。一方で、アクセルは虐待を受けていた。アクセルの「無垢」は、時代のイノセンスと本人の過酷な実生活とのアンビバレンツのなかで形成されたのではないか、と思うのですね。(インディアナの田舎町出身、というのも絡んでくるでしょう) それと、アクセル-アメリカという観念連合が、無垢=イノセンスという言葉をはじき出した、とも言えます。
(アクセルに近いものを感じる人物として、オーソン・ウェルズとマイケル・ジャクソンの名前を出そうかと思ったんですけど、納得がいく言葉が出てこなかったのでこれは保留です)
最後にひとつつけ加えるなら、長々と書いたあの「歴史」は、90年代前半で止まります。90年代後半以後、すなわちネット社会となった「現在」は、事態はもっと錯綜しています。また、アメリカがこうなら、日本は?と思われたかもしれません。それはまた、どこかで書くかもしれません。
いやはや、まさか三部作になるとは…。でも、いい経験になりました。
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わたしがここまで書きついだのは、ひとえにガンズファンの方々のガンズ愛の深さに打たれたからに他なりません。具体的にはいくつかのブログを読んでいたことが決定的でした。そのリンクをいくつか貼って、終わりにします。勝手に貼ったこと、お許しください。
白玉さんのブログ 「100年後のSweet Child」 ・・・感動いたしました。愛に溢れています。
りょうさんのブログ 「2007年、わたしはたしかにアレを聴いた」 ・・・超おもしろいです。文体の勝利。
じょのさんのブログ 「GN'R 2007来日!(1)」 「(2)」 ・・・第一級ドキュメントであります。
それでは、これで終わりです。