2011-03-30

YONAGA ORCHESTRA at High on 28th Mar

         
夜長オーケストラをご紹介したい。

と言っても、紹介できるほど詳しく知っているわけでもないし、
ライヴに行こうとチケット予約をしたのが当日のわずか5日前だったりする。

その点、先月にご紹介したRouse Gardenとは事情がまったく異なるのだが、
応援していきたいことに変わりはないので、多少のムリはあるかもしれないが書くことにする。


夜長オーケストラ、という名前を知ったのはいつだったか。
マイスペで、マイスペフレンドが何か呟いたのが最初だった覚えがある。
でも、そのとき一度きりだったので、その時期も定かではない。
春か夏か秋か、覚えていない。でもその名はすぐに覚えた。


わたしはメタルやハードロックを主に聴いている人間だが、プログレもそれなりに聴いている。
だからよくdiskUNIONプログレ館のHPをチェックしていて、そこでふたたび夜長の名前を目にしたのだった。

去年リリースしたアルバムの再リリースと、今月末のライヴの情報をそこで知った。

そのときは、色々と思い悩むことばかりで鬱々とした日々を送っていたのでスルーしたのだが、
その後の心理的な身辺整理で余裕ができたのかまた気になりだし、急遽ライヴに行こうと思った。

アルバムも事前にプログレ館で購入し、予想通り・予想外・予想以上が交錯する音楽に惹かれ、
目前に迫った28日当日のライヴを楽しみにしていた。といっても、わずか3日間ではあるが。


夜長オーケストラの来歴や、28人にも及ぶメンバー紹介はOfficial HPに任せるとして、
クラブ・ミュージック、エレクトロニカ、ロック、ポップ、そしてクラシックを標榜する、
自称「踊れるオケ」夜長オーケストラの音楽性とは、いかなるものか?


簡単なレヴューをアマゾンでした(1st2nd)ので、そちらと重なるところばかりだけど、
第一印象は「FFのようなゲーム音楽(いい意味で)」であり、次いで「ロックというよりメタル」、
さらに「このフルートとリズム隊はプログレ」で「ダンサブルなアレンジはあくまで脇役」というもの。

その後、聴き込むにつれ夜長の「ダンサブル・パート」もけっこうな比重が置かれてるのだと、
とくに2ndを聴きながら思いはしたけど、基本線はもちろんクラシック/吹奏楽に決まっている。


ところで、こうしたオーケストラが演奏するジャンルをどう呼んだらいいのか、悩んでしまう。
一応「クラシック」「吹奏楽」としてみたものの、演奏曲は古典とは限らないし、
ジャズやオールディーズなどポピュラー音楽、映画やドラマやゲームなどで使用された音楽、
また、しばしば忘れられがちな軽音楽(運動会の曲など、ルロイ・アンダーソンのものが多い)、
そしていわゆる「ワールド・ミュージック」として括られる民族音楽ないしその現代版、などなど。

言い方が宙に浮いたまま、一応という保留状態のままで慣習的に「クラシック」と呼ばれること、
そのため「堅苦しい」「格式ばっている」「偉そう」といった誤解・偏見が伴いつづけていること、
そうした呼称のズレへの苛立ちのような思いは、彼ら奏者の方がはるかに強く持っていることだろう。
(書道や茶道の「真・行・草」なる概念で再構築できなくもないが、時間かかるし面倒だからやらない)


『のだめカンタービレ』の成功でふたたび活況を呈した「クラシック」業界だけど、
実はそれだけの奏者/お客の層の厚みが「元からあった」からこその「活況」だったのだし、
そうした意味において、日本は世界的に稀なほど「クラシック」音楽好きな国民を抱えているわけで、
ゆえに、ポピュラー音楽を「クラシック」で再構築した夜長オーケストラの可能性は、とても大きい、と思う。


それでは、以下に28日に高円寺HIGHで行われたワンマン・ライヴのレポートをお届けする。



* * * * * * * * * * * * * * *



開演30分前くらいに会場到着。初めてのライヴハウスなので迷いかけた。
あまり主張の大きくない作りで、看板が出てなかったらたぶん気づかなかった。
(看板がないということは滅多にないだろうが・・・)


もっとも、えらい暗くて見にくかったけど


受付で特典CDとフライヤーとセットリスト/プログラムをもらう。
すっかり忘れていたが、何度か行ったことのある吹奏楽のコンサートでは毎回プログラムを渡されていた。
今更ながら、ロック・バンドとは違ってここらへんは「ふつうのオケ」と同じなのだな、と思った。


ちなみにこういったプログラムとCD。サインつきだが、人数が足りない…。

階段になにやらわけのわからない妖怪的なオブジェがあって笑う。
写真だと本格的に不気味だけど、実物はかなりファニーである。


ステージにはイスや楽器や譜面台が文字通り「所狭しと」並べられていて、
ヴォーカル用の足場とキーボードはステージ上手の下、要するにフロアに置かれていた。
モニターもステージから下ろされていて、イスの上に鎮座していた。珍しい光景である。


開演5分前になって団員の和田さん(sax,cl)が登場し、前説的なトークを始める。
ustreamで中継をするらしく、自らiPhoneを操作しながら「呟いてください!」と呼びかける。
なんでも、さっきやっと中継の準備が整ったらしい。わたしも慌ててRTしたのは言うまでもない。

そうこうするうちに開演時間になったため「もう出てきてください」。ゾロゾロと出てくる人また人。
当たり前だが大勢いるため時間がかかる。ステージも狭くて、早くもあちことで譜面が台から落ちる。
その間に到着した(?)コンサート・ミストレスの寺島貴恵(きえ)さん(v1)の姿を見て、
ステージ上からは「おお、間に合った」との声が上がる。この人たち大丈夫か、と思ったのは言うまでもない。


主宰の中村さん(g)がマイクを持って「大変な状況のなか、よく来てくれました」とか、
「いや本当にまさかこんなことになるとは…」とか言ってたら団員から「暗い!」と叱られ、
「じゃあ、始めます」という多分になし崩し的なかたちで、5周年記念ライヴは始まった。


スクリーンには空や森や川が映し出され、5th Anniversaryの文字が出て演奏が始まった。


前説でも言っていたように、冒頭の3曲は新曲だった。
それぞれ、中村さんが「ピチカート・ファイヴ」「バロック調」「m-flo」と説明(?)していた。

「夜長版ピチカート・ファイヴ」らしい"恋ノ大都会"は、それでも前半は天を駆けるが如き爽快感の曲で、
FFでお馴染みの飛空艇が飛んでいく姿が目に浮かんだのだったが、中盤から矢野さん(Cb/Eb)のヴォーカル、
後半から前説での予告通り和田さんのラップが入って、確かにピチカート・ファイヴだったのかもしれない。

"Time, take your time""cura"とさらに新曲がつづき、すでに夜長の素晴らしい演奏に魅了されつつも、
いつも観ているロック系のパフォーマンスとの、言わずもがなの「違い」に「ああそうか」と一人納得していた。


オーケストラとロック・バンドとの決定的な違いは「身体的パフォーマンスを要さない」ことにある。

その分、視覚的な刺激に本来なら欠けてしまうところを、
VJを招いてスクリーン上に映像投影することで補っていたのだろう。

また、奏者は譜面を見ながら演奏するのだし、自分のパートが休みのときだってしばしばある。
そうすると、演奏中にキョロキョロしたり近くのひとと耳打ちしたり、ということがあってもおかしくはない。
(ロック・バンドで「休み」というのは滅多にない。あったとしても、ステージ袖にはけている)

はじめはかなり違和感があって困ったが(極度に緊張感のあるライヴに慣れ切っているためだろう)、
3曲目で和田さんがふたたびラップをするころには、誰もが楽しそうにしているので気にしないことにした。


2ndから"碧(みどり)"が、ついでアルバム未収録曲"GGB"が演奏される。
前者は、かなり真っ当に(?)クラシカルなヴォーカル曲。yuiさんのコロラトゥーラ・ソプラノが実に美しい。
後者は、聴いていて「Roaring Twenties」なる言葉を思い浮かべてしまうような、モダニズムを感じさせる曲。
もしくは、ジャズの…あまり詳しくないので違うかもしれないが、ビバップかハードバップ、だろうか。


ここで第一部が終わったのだけど「進行が押している」ということで、そのまま第二部へ。
ストリングス隊が残り、「震災に遭われた方に」と"soldier"が紹介される。とても哀切なナンバーである。

つづく未収録曲の"上昇気流"は、その名の通り強烈な飛翔感のある曲で、流麗なメロディから一転、
ダンサブルに弾けるという構成も素晴らしく、一発で気に入った次第。次作に収録されるのだろうか。


中村さんがいなくなったなか、"君をのせて"(『天空の城ラピュタ』主題歌)が始まる。
yuiさんが美しいソプラノを聴かせるなか、顔を見合わせるストリングス隊。何かあったのだろうか。
そういえば、ピアノの音がない。でも、ここからは渋井さん(pf)の姿は見えないので、よくわからない。
五十嵐さんがチェロを弾きだして、ほかの弦楽器が合流。アレンジだったのか、アドリブだったのかは不明。

1stの"夢の翼"は、日本語詞の比較的クラシカルなスタイルの曲。
ヴォーカルがキンキンしたソプラノだったら鬱陶しく感じたかもしれないが、
夜長が擁するyuiさんは柔らかい声質で聴きやすいので、そうしたことにはならない。


第二部が終わり、10分間の休憩を挟んで、ふたたびゾロゾロとメンバーが戻ってくる。
(いや、"夢の翼"で一部戻ってきてたのだったか?情けないことにもう忘れてしまった)


第三部は「もっとアゲアゲでいきます」と宣言される。

どこのMCだったか忘れたのでここということにしておくけど(ほぼ毎回MCがあるので覚え切れず)、
五十嵐さん(vc)は郡山市在住で、こちらへ来るのに難儀したらしい。移動手段が車しかないのだ。
「高速道路、すごいボッコボコでした」「福島のひとは、ふつうに生活してます」とのこと。

これもどこのMCだったか忘れたのでここということにしておくと、
寺島さんは前日(27日)が、石塚さん(hr)は翌日(29日)が誕生日とのこと。
だらだらした"Happy Birthday"が、なんだか夜長らしくて楽しいのだった。


2ndの"Call of the wild"と、代表曲の"群青US"(表記はプログラム通り)がつづく。
部分的に、ほとんどシンフォニック・ヘヴィ・メタルと言って差し支えない前者も、
明朗でクラシカルな後者も、オーケストラならではの「勢い」に満ちていてとても心地よい。

ホーンセクションの突き刺してくるような音は、こうして生で聴くと迫力がまったく違う。
CDにライヴの躍動感や音質をもたらすのはライヴバンドにとって永遠の課題のひとつだろうが、
裏を返せば、彼ら夜長オーケストラは間違いなく「ライヴバンド」なのだ、と確信したのだった。


ふたたびアルバム未収録曲がつづく。むかしからのレパートリーなのか、最近のなのかはわからない。
"Fate in F"は前半がしっとりしたバラード、後半がアップテンポな(違ったか?)ヴォーカル曲、
"Alien Dub Alias"も…いや、この曲はもう忘れてしまった。前曲の後半と印象が混ざってしまった。


「歌える方はご一緒に」と言われたから、以前からある曲なのだろう。
この日配布された特典CDに収録されている"Happy Monday"は、たしかに歌のパートのある楽しいナンバー。
20年代アメリカを想起させる絶好調で賑々しい冒頭から、一転してストリングス隊が落ち着きを取り戻させ、
また賑やかになったと思ったら、ここでとうとう中村"Naka-G"康隆の7弦ギターソロが炸裂する、という…。

この流れは完全にメタルだなぁ~、とうれしくなる。
中村さんの体型がいわゆる「様式美ギタリスト」型であったことも、ここにご報告しておこう。


ラストは、その名に「メトロポリス」の面影を読み取ることができる"Metronika"である。
元々は劇作『サロメ』用に書き下ろした曲だそうで、初期夜長のころからある曲であるためか、
1stと2nd双方に収録されている。何か、三部作を通底するテーマがあるのかもしれない。

「メトロポリス」と言えばフリッツ・ラング、手塚治虫、MOTORHEAD、と相場は決まっているが、
摩天楼の威容を仰ぎ見るかのような、もしくはその高層から辺りを見渡すかのような、
曰く言い難い高揚感(微量に混入された威圧感がアクセント)があって、お気に入りである。


時間の都合か、はけるのが大変だからか、その場に止まってアンコール。

まずは、今年大学を卒業したばかりだという矢野さんと佐々木さん(sax)がメインの曲。
"桜舞う扉開く"はまさに「卒業」を歌った曲で、矢野さん自ら歌い、佐々木さんのソロにつないだ。
ほとんど「ふつうのポップス」だけど、オケならではのアレンジで聴かせるあたりがよいと思った。


コンピレーション盤に収録されている"Phantom Blue"が、ラストを締めくくった。
わたしが初めてマイスペで聴いたのも、この曲だった。これまた「ほとんどプログレ・メタル」な曲だ。

最後の最後、これでもかとフルートを吹きまくる今井さんに「おお、これはプログレだ…」とのけぞる。
王紅、創世記、駱駝、JT、VDGG、といった名前がアタマをよぎっていく。わたしのフルート好きの起源なのだ。
プログレ館やワールド・ディスクが夜長を取り扱った最初の店というのも、必然だったようである。


エンディングに辻村さん(Activator)がズガァーッとまくしたてるようにメンバー紹介をして、終了。

実に楽しいライヴだった。ロックのライヴと、その点さして変わりはないのである。
もっと広いところで、もっと頻繁にライヴができるようになったらいいな、と思った。


28人もメンバーがいるのだからムリは言えないが、今は三部作第三弾を待つとしよう。



SETLIST

Section 1
Opening
1-1. 恋ノ大都会 (new song)
1-2. Time, take your time (new song)
1-3. cure (new song)
1-4. 碧
1-5. GGB

Section 2
2-1. soldier
2-2. 上昇気流
2-3. 君をのせて
2-4. 夢の翼

Section 3
3-1. Call of the wild
3-2. 群青US
3-3. Fate in F
3-4. Alien Dub Alies
3-5. Happy Monday
3-6. Metronika

Encore
1. 桜舞う扉開く(new song)
2. Phantom Blue


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2011-03-27

Rouse Garden at Zher The Zoo on 14th Mar & Days After the Earthquake



ライブ・レポートというより、日記的なドキュメントとして書こうと思います。


3月14日(月)にRouse Gardenはアコースティック・ライヴを行いました。
以下はそこに至るまでのわたしの日記的な記録と、当日のライヴレポです。


* * * * * * * * * * * * * * *


真っ先に強調すべきことは、ライヴが14日(月)に敢行された、ということに尽きるでしょう。
あの大地震が起こったのは11日(金)ですから、わずか3日後、間に土日の2日を挟んだだけでした。


11日(金)の、地震による大混乱と徐々に明らかになっていく衝撃的な被害状況、相次ぐ余震。
完全に麻痺した東京の交通網、津波に破壊される町や炎上する町を絶えず映し出すテレビ。
被災各地におけるライフラインの寸断、ツイッターにおける多くの善意とわずかな悪意の交錯。
食糧がほとんど姿を消したスーパー、早くも問題となった買占め、まったく眠らない官房長官。
急遽決定された「輪番停電」という非常事態、節電のため暗くなった駅構内・商店・繁華街。

そして、それ自体が「二次災害」と化した感のある、テレビの傍若無人な報道姿勢。
(これほどの事態を前にしても、感動シーンや恐怖の瞬間の繰り返しに終始するとは…)


混乱はつづいていますが、話題は余震への恐怖や被災地の現状や復興への方策などを離れ、
いまや原発の放射能漏れ、農作物や水道水への影響、作業員の搬送など原発関連に移行しました。

話題は「被災」から「被曝」へ。

被災地ではない関東に住むものは、正直に「他人事のはずが自分にも」と言うべきでしょう。



わたしはといえば、11日は職場に泊って翌日に帰宅するとCD・本・小物が予想通り散らかっていました。
東北地方在住の友人の安否が知れず、そちらが気になって仕方ないためこの日はテレビばかり見てました。
夜になって一度、無事だという報を間接的に受けてはいたものの確認はとれてなく、やはり心配でした。
そうした思いを託したからか、この夜のPRTでは、わたしのメッセージを伊藤さんに読んでもらいました。
震災特番的な構成でした。FAIR WARNING"Don't Give Up"ではイントロから泣いてしまいました。
(なお、その友人の無事は15日20時半に確認できました。被災されましたが、元気なようです)


当然ではあるけど、ほとんどのイベントは中止や延期を余儀なくされることとなりました。
あの週末に予定されていたものはもちろんのこと、以後の興行も中止や延期が相次いで発表されています。

各プロモーター、イベンター、マネージメント、そして各アーティストは、
国内外を問わず難しい選択を迫られた上での判断だったことでしょう。
(今後も、こうした状況はつづくのですが)


ただ、11日の大震災当日にALL THAT REMAINSBLACK VEIL BRIDESのライヴを敢行した(させた)、
プロモーターのクリエイティヴ・マンにだけは、言い知れない怒りや不条理を感じました。

わたしはツイッターで公演敢行の報を知りましたが、正直に言って正気の沙汰とは思えませんでした。
ただでさえ大きな余震の可能性がある上に、交通網の完全麻痺が容易に想定できるという状況のなか、
しかも、ATRは避難経路の危ない(階段に数百人が殺到してしまう…)クアトロ公演なのに、なぜ!?、と。
(これは「極めて異常で悪質な例」なのだけど、記録としてここに残しておきます)



話を14日に戻します。


震災からまだ3日後、という14日の時点で、じつに多くの言葉が飛び交っていました。
(ここでは、音楽まわりだけに話題を止めます)


あれから2週間以上経ったいまでも散見されるのが「ライヴを行うか否か」という問題です。

それは第一に「被災された方々がいるのに、こっちでのうのうと楽しんでいいのか」という心理的な圧迫感であり、
第二に「節電が広く呼びかけられているのに電力消費の激しいライヴなんて」という電力供給事情への配慮であり、
第三に「物流が滞りガソリンが足りてないなか、車で移動するのはいかがなものか」という物理的インフラ状況です。

そして、これらすべてを貫いているのは倫理的な観点による「いいのだろうか?」という「ためらい」です。

簡単に言うと、「こんな時に音楽やってて、なんだか申し訳ない」の一言に尽きるのだと思います。


もちろん、これらのカウンターとしても、様々な言葉が飛び交いました。

音楽家は音楽しかできないのだから音楽をするべきだ、というテーゼがほとんどの言葉の底流に流れていて、
これに枝葉がついたものが各自の主張なり行動なり判断なりになっています。

これには様々なものがあって、「音楽って最高だから!」みたいな、楽観的というより単に思慮の浅いものから、
長いキャリアや幅広い影響力を前提とした「いつか(被災された方々に)必要とされる時が必ず来る」というもの、
限定された認知度を前提としてもなお「それでも、少しでも力になれたら」と活動を決めたもの、
などなど、いくらでもあります。


彼らミュージシャンたちの言葉に触れ、どう思ったかはひとまず置いておきます。


わたしは、14日のラウズのライヴは中止になるだろうと思っていました。

都内の交通網はかろうじて復旧したものの、千葉方面との交通網は依然途絶えたままでしたし、
前日の夜には「輪番停電」が急遽決定され、どこがいつ停電するのか判然としていなかったし、
電力事情だけでなく、メンバーや共演者やライヴハウスの方々の気持ちも気になってました。

予定通りにライヴはするものの、アコースティックで、出演者も一部かわって、入場無料で、
とツイッターで知ったのは、前日の夜でした。意外なようにも順当なようにも感じました。


実は、少々精神的に込み入っていたので14日のライヴは行かないつもりでした。震災があるまでは。

いや、当日になっても、やはり行かないつもりでした。
理由は精神的なものから物理的なもの(交通や停電など)に変わってはいたけど、
その日の仕事が終わって駅に向かう途中で、ライヴのことを思い出したほど、
わたしのアタマの中からライヴはすっぽりと抜け落ちていたのでした。


それでも、わたしは行くことにしました。いくつもの思いが、急に胸をよぎっていきました。
いちばん大きかったのは「行動を選択したことに敬意を示さねばならない」と感じたことです。

その時は大勢を占めていた「ライヴ自粛派」が、彼らに余計なことを言いはしまいか、
終わってからも何か言ってくるのではないか、との心配もあるにはありました。

もちろん、彼らはまだまだ無名なバンドであり、それに気づくものは多くはないでしょうけど、
言葉というものは、量の多寡に関わらずひとを容易に傷つけることができるものですから…。


彼ら出演者やライヴハウスは、想定されるいくつもの批判を前提とし、
おそらくはすでにそうした批判を受けてもなお、動くことにしたのだと思います。

そうした矜持ある決断にわたしが払うべき敬意とは、会場に駆け付けることでしか示せません。

そう思ったので、わたしは行くことにしました。


新宿では、いつもとは違う、不安がその底流をなすであろう怒りにも似たざわめきを聞きとりました。
代々木は、いつも以上にひっそりとしていて、町全体が隠れ家みたいな密やかな空気を醸していました。


それでは以下に、簡単なライヴレポをお届けします。



* * * * * * * * * * * * * * *



開場してしばらく経った19時20分ごろだったでしょうか、Zher The Zooに入りました。
入り口では店長と思しき人が、明日以降の出演バンドの方と何か交渉をされていました。

会場はイスとテーブルが置かれていて、わたしはステージ正面のイスに荷物を置きました。

物販には永高さん以外のラウズのメンバーが座っていて、
一目こちらを見るなり「おお~」「無事でしたか~」といった声をかけてくれました。

永高さんもすぐ合流して、しばしの間、地震当日のことや被災した知人友人、停電や原発のことなど、
短い間ながら素早くアレコレと話しているうちに、すぐにステージが始まりました。


すでに、sjue(スー)のヴォーカル&ギターのやちこさんがアコギを抱えてイスに座っています。

自然体の姐御肌MCを挟みつつ、やわらかい声でやさしい歌を6曲か7曲くらい、聴かせてくれました。
6曲か7曲くらい、というのは、最後から二番目の曲が「ああーっ、忘れたーっ!」と中断されたため。
いきなり両手であたま抱えて「うわ~」と爆笑しながら終わった曲を、カウントしたもんだか悩みます。

なお、わたしが覚えている曲名は"五本指のうた""人魚のうた"です。
「いい曲書くね、あたしはね」とビール飲みながら言っていましたよ。

いや実際、いい曲だと思いました。
妙な言い方に聞こえるかもしれませんが、最近の「みんなのうた」でかかっててもおかしくないような曲です。

sjueは一回しか観ていませんけど、フルエレクトリックのバンドサウンドでまた観たいものだと思いました。


そのMCで気づいたのですけど、この日のライヴはストリーミングで中継されていたそうです。
急なストリーミング放送決定で、どれだけのひとがそれを見れたのかわからないけど、
柱の横のテーブルでディスプレイを光らせていたPCは、それ対応のものだったようです。
(節電のためステージもフロアも照明は暗めになっていたため、余計目立ったのです)


ラウズのライヴではほぼ毎回顔をあわせているNさん(@beni_kogane)も来ていましたが、
毎回必ず来ているKさん(@IwillStay54)は千葉方面の交通網遮断のためか、来ていませんでした。
(やちこさんも千葉の方ですけど、車に乗せてもらってなんとか辿りついたとのことです)

わたしも何回かメールをしに階段上まで行きましたが、返事がないので来れないのだろうと諦めました。



二番手は、ハーミットレイジの野良さんでした。彼女も6曲くらいだったと思います。

一人称が「ぼく」で、「ぼくは明るい歌は歌われへんから」と大阪弁のMCを曲間にしつつ、
立ち上がって足踏みをしたり、ステージから降りて歌ったり、最後にはステージを走り回ったりと、
とてもエネルギッシュなパフォーマンスを披露してくれました。

音楽性はたしかに明るいものではなくて、例えば1970年前後のフォークのような暗さを孕んだもの、と感じました。
でもそれは、アコギ一本でプレイされたから、かもしれません。バンドはまた違った印象を与えてくれるでしょう。
(逆に'70年前後はこんなパフォーマンスが毎日いたるところで展開されてたんだろうなぁ、とも思いました)

ちなみに、曲自体はフォーク的なものというよりは、ロックないし70年代初期のソウルといった感触で、
普段はどんなライヴをしているのか気になりました。



そして、Rouse Gardenの番となりました。

アコースティックなので転換に時間はまったくかかりません。
すぐにライヴは始まりました。

下手から高嶋さん、はるかさん、永高さん、拓さんの順。

拓さんは「カホン」というパーカッションの一種に座っていました。
カホンは座りながら叩く楽器で、スペイン語で「箱」を意味します。
実際、スピーカー大の「箱」にしか見えない、おもしろい楽器です。
前回のアコースティック・ライヴ(2010年10月11日)でも使ってました。
(前回の銀座アコライヴは、はるかさんのこちらとKさんというかIさんのこちらを参照のこと)


不在のはるかさんが白いドレスを身に纏って登場すると、それだけで場の空気が変わりました。

やちこさんも野良さんも普段着だったから、白いドレスが際立って「空気が変わった」のではありません。
一目見てそれとわかる、はるかさんの繊細さと繊細であるがゆえの強度にその場がたじろいだとでも言うか、
明らかに異質とわかる存在の登場に、それまで持続していた時間と空間に亀裂が走ったとでも言うか…。

自分の受けた印象を語るにはこうした隠喩表現に頼らざるを得ないから、大袈裟に感じるかもしれません。
でも、残念ながら言語でそれら印象を再構築するにはこうした隠喩表現しか為す術はありませんので、ご勘弁を。


1曲目は新作から"呼吸"でした。
わたしは前回のアコースティック・ライヴには行けなかったのですけど、
アレンジはシンプルなものながら、却って曲の良さを納得させられることとなりました。
というより、いい曲でないかぎり「シンプル」にはできないのだと、思い至りました。


それはつづく"かなしみの国"でも同じことで、
ギターはごく普通なコードストロークになっていても、電化された音とは違った音が、
曲の「いつもと同じところ」を照らし、かつ「いつもと違うところ」をも照らす、という、
アコースティックの意義をちゃんと感じさせてくれる素晴らしい出来のものでした。

ここで、すこしMCタイム。

地震のこと、被災地のこと、ライヴハウスのこと、バンドのことなどを、
手短に、簡潔に、そうした状況に戸惑いを見せつつも語り、「来てくれてありがとう」とうれしそうに言いました。

わたしは、はるかさんが「ザーザズーに着いてもまだ実感が沸かなくて…」と言っていたのが印象的でした。
どこか半信半疑な思いを抱いていたのは、おそらく出演者やライヴハウスの方々だけでなく、
この日、集まっていたお客の方々も同様だったのではないか、と同じく半信半疑だったわたしは思いました。

非現実的とまではいかないものの、現実に起きている/している/観ているという感覚がなぜか希薄で、
いま振り返ってみると、それはあの場がもたらしていた安心感によるものだったかもしれない、と思います。


「次は、明るい曲を歌います」と言ったのだったか、「春」という言葉も入っていた覚えがあるけど、
とにかく曲は久々に1stからの"daisy"でした。ときおり笑顔を見せながら歌うはるかさんが実に楽しそう。


「やさしい歌を歌います」と紹介されたのが、"ゆりかご"でした。
2月12日にもアンコールで樹海の愛未(まなみ)さんとプレイしましたけど、それでも久々な気がしました。

感情を込めてじっくりと歌うその歌を、楽器隊は壊れものを包み込むような慎重さと細やかさで支えていました。

普段のライヴでも見られる光景ですけど、アイコンタクトをとりつつ呼吸を合わせることは当然のこととはいえ、
お互いの信頼を前提とした関係の良さがなければいとも簡単に破綻してしまうような繊細なものでもあります。

もちろん、音楽的なつながりだけのバンドなどいくらでもあるし、むしろそちらの方が多いでしょう。
でも、繊細かつ強度のある音楽性のラウズにあっては、音楽的なつながりだけでは足りないのでは、と思いました。

彼らは音楽を離れてもメンバーの仲がいいバンドですけど、そこには逆説的に音楽的必然があるように思います。
普段から仲よくできないひととは、たとえ音楽的技量に卓越するところがあったとしても、おそらく一緒にできない。

それはわたしの思い込みかもしれないけど、このときはそんなことを考えていました。
そうでなければこれほど「やさしい歌」は歌えないだろうな、と…。


最後の曲は"真夜中"でした。

新作の収録が見送られた「昔からある新曲」です。
(デモ音源をこちらで聴くことができます)

ポジティヴな白ラウズともネガティヴな黒ラウズとも言い難い、
言うなれば"かなしみの国"の先駆けとなった曲、でしょうか。

ラウズの場合、祈りのような「思い」を込めると音の「重さ」とは違った比重が生じます。
時間と空間の密度が変わり、その「思い」には否応なしに共振させられてしまいます。

それはアコースティックでも変わりはありませんでした。

彼らの音楽的な強度の高さと、ひととしてのあたたかさを感じた一夜となりました。



SETLIST
1. 呼吸
2. かなしみの国
3. daisy
4. ゆりかご
5. 真夜中



終演後、すぐ帰るのもおかしいので、しばらく会場にたむろして談笑していました。

初代ベーシストのアッキさんも来ていて、しきりに"真夜中"を絶賛していました。

N氏がBURRN!今月号をちょうど持っていたので、前田さんが書いたとこを開いて色々話しました。
はるかさんは前日に読んだのだそうで、ものすごい喜んでいました。
永高さんと高嶋さんも高い評価と予想以上に文面を割いてくれたことに驚いてました。
なお、拓さんはドラムのことが触れられてなくて不満だったそうです。ふむ。


去りがたいものがあったのですけど、N氏とその場を辞して帰途に着きました。

ダイヤは乱れたままで、それでも電車は動いていました。まだまだ運行に不安があった頃でした。

募金入れるのを忘れていたので急いで会場に引き返し、こっそり入れてすぐ駅に戻り、帰宅しました。


14日は、そうゆう一日でした。


.

2011-03-20

Unknown Pictures at Louvre

  

11日にあげるつもりだったブログです。


さる9日に、パリ帰りの方々からケータイで撮ったルーヴル所蔵の絵画を数点見せられ、
「これ知ってる?」「この絵だれのかわかる?」との質問を受けるもその場では答えられませんでした。

それで、帰宅後すぐに調べて絵が誰のものか特定していたのですけど、翌10日は花粉症で潰れてしまい、
翌々11日は地震で交通網が遮断されて帰宅すらできず、その後はタイミングを逸しつづけたままでした。


被災されている方々が何万人もいるのに、のうのうとこんなもん書いてていいのだろうかと気が引けますが、
それはそれ、これはこれ、と強引に割り切ることにして、以下に絵の解説的な雑文を連ねてみます。


順番は、作品の年代順にしてみました。
あと数点あった気がするけど、当たり前ながら覚えているものしか調べられないので、5点のみです。



Daniel SEGHERS (1590-1661)
Domenico ZAMPIERI (1581-1641), known as DOMENICHINO


Le Triomphe de l'Amour avec Entourage de Fleurs (1650's?)


「花の画家」ダニエル・セーヘルスドメニキーノの絵画に花飾りを描いた『愛の勝利と花飾り』です。

年代は特定されていないようですが、セーヘルス晩年の作品らしいので、おそらく1650年代のものでしょう。

「ドメニキーノ」の愛称で有名なバロック期のイタリア人画家ドメニコ・ザンピエーリの作品に、
ネーデルラントはフランドル地方のセーヘルスが精緻な花飾りを施した、という作品のようです。
(ネーデルラントはオランダ、フランドルはフランダース=南オランダ北ベルギー北西フランスです)

一目見て、ああコレはマニエリスム以降の画家の作品だろうな、とは思ったし、
精緻極まりない花の描写からオランダ人画家だろうとも思ったので、調べたらすぐにわかりました。

ヤン・ブリューゲル(父)に師事したセーヘルスはイエズス会士でもあったようで、
「すべてを可視化せよ」というイエズス会の方針とも合致した、宗教性と寓意に満ちた作品となっています。

どこからどこまでがドメニキーノの描いた部分なのかは、わかりませんでした。
たぶん、中央の天使と花飾り以外がドメニキーノの筆によるものと思われます。

描写に関しては傑出した技能を持っていたオランダ画家のなかでも、
「花の画家」とまで呼ばれたセーヘルスのそれは、PC上の画像でもその技量が伝わってきます。
師であるヤンも「花のブリューゲル」と呼ばれています。いつか見比べてみたいものです。

なお、セーヘルスはヤンの正当な後継者として当時から世評が高かったようです。



Nicolas de LARGILLIERRE (1656-1746)


Études de Mains (1715)


ロココ期のフランス人画家、ニコラ・ド・ラルジリエールのユニークな『手の習作』です。

初期はステュアート朝イギリスで、その後はフランスアカデミー会員としてフランスで、
主に王族や貴族など上流階級の肖像画をたくさんものしていた画家です。

パッと見、少しグロテスクな印象があったのでマニエリスム期の画家かなと思ったのですが、
王道中の王道をいく中央の画家が、題にあるように「習作」として描いた作品のようです。

でもどこかユーモラスなところがおもしろいし、それゆえに習作にも関わらず生き残ったのでしょう。
いかにも貴族らしい、ぷにぷにむちむちとよく肥えたこどものような手の数々が、なんともおかしい一品です。



Jean-Hippolyte FLANDRIN (1809-1864)


Jeune Homme Nu Assis au Bord de la Mer (1836)


アングルに師事した、ジャン=イポリット・フランドラン『海辺に座る裸体の青年』です。

一目見たときシュルレアリスム期の作品かと思いつつもどこか違和感を感じたのですが、
それもそのはず、アカデミーの画家が19世紀前半にこんな大胆な作品を描いていたとは思いませんでした。

一言でいえば、当時のアカデミーが認める画家及び作品は伝統主義的・保守的なものがほとんどです。
(もちろん一枚岩であるはずもなく、内部では派閥の対立がいくらでもあったのですが)

歴史画/宗教画、肖像画、風俗画、風景画、静物画の順でランクが下がっていきます。
絵画に限ったことではないけど、こうした序列はいつでもどこでもあるものです。
(音楽も、なんとなくクラシック、ジャズ、ポップ、ロック、となってませんか?)

アカデミーは、そのうち上位を取り扱っていたわけです。とくに上位ふたつを。

歴史画/宗教画が上位を占めていた時代にこうした作品が評価されていたことは、
アカデミーの(意外な、と言っては失礼?)懐の深さを窺わせて、とても興味深く感じました。
(まあ、大した評価ではなかったかもしれないのですけど)


【参考リンク】
HODGE'S PARROT 「ルーヴル美術館で最も美しい絵」
Kamio Gallery 「No.508 イポリット・フランドラン」



John MARTIN (1789-1854)


Pandæmonium (1841)


イギリスのロマン派画家、ジョン・マーティン『パンデモニウム(伏魔殿)』です。

ミルトンの『失楽園』に材を採っているとはいえ、なんとも恐ろしい絵です。

はじめ、「イタリア人画家のフロアにあったかも」と言われたので、
イタリア人で廃墟と言えばモンス・デジデリオ、なのでそうだろうと思ったけど違い、
そもそもデジデリオ的な建築物の垂直感に欠けていたから違っても大して驚かず、
じゃあカスパー・ダーヴィト・フリードリヒとか「崇高」周辺の画家だろうと再度探してたら、
ああ~忘れてた、あんなのジョン・マーティンしかいねぇや、と気づいて探索終了でした。

メタルを聴くひとには、ANGEL WITCHのあのジャケのひと、と言えばいいかもしれません。
パリ帰り御一行のお一人は「メタルな絵」と言ってましたが、様々な文脈において完全に正しい表現/評言です。

旧約聖書や神話や『失楽園』の一場面を、これでもかというほど鮮烈なイメージで描いたマーティン。
ソドムとゴモラの崩壊や大洪水など、旧約の内容は当時「歴史的事実」だったので、
彼が描いたダークでアトモスフェリックな幻想画は、ジャンル的には「歴史画」でした。

ただ、あまりに鮮烈な描写、動的な構図、そしてなにより題材の終末感から賛否が別れています。
同時に、その「崇高」な絵の強烈さから、「狂ったマーティン」との異名をとることもあります。


ちなみに、「崇高」とは詩学ないし美学の用語で、
「美」と対立するもの、もしくは「美」の一種として定義されています。

小ささ・円環宇宙・直線・完全性・人工・画一的・安定・有限の「美」に対する
巨大さ・無限宇宙・曲線・不完全・自然・多様性・不安・無限の「崇高」といったところです。

ごく簡単に表現してみますと、
都市にある教会などの建築物を見て「わ~キレイ…」となるのが「美」で、
旅先の険しい山や渓谷を訪れて「うわ~スゲェ…」となるのが「崇高」です。
(ここら辺はいくらでも長くなってしまうので、ここらで打ち切ります)


【参考リンク】
無為庵乃書窓「Gallery-V ジョン・マーティン」



Hippolyte DELAROCHE (1797-1856), known as Paul DELAROCHE


La Jeune Martyre (1855)


アカデミー派、ポール・ドラロッシュ(本名はイポリット・ドラロッシュ)の『若い殉教者の娘』です。

ロマン派のジェリコードラクロワ、新古典派のアングルダヴィドなど有名どころとほぼ同世代で、
1970年代になるまで「保守的なアカデミー派」の一人として忘れられていた画家でもあります。

そもそも、いちばん初めに「これわかる?」と聞かれたのがこの作品で、
「湖に天使の輪がある、手の縛られた女の子が浮かんでいる絵」という言葉だけを頼りに探したのでした。

「水に浮かんでいる女の子」からジョン・エヴァレット・ミレイ『オフィーリア』を思い、
ミレイじゃないけどオフィーリアを描いた作品かもしれない、で探したらすぐ見つかったのでした。
(なお、『落穂拾い』のジャン=フランソワ・ミレーと区別するため「ミレイ」表記とします)

ちなみに、オフィーリアとはシェイクスピアの『ハムレット』の登場人物で、
その悲劇性と知名度から、絵画のモチーフにされることが多い架空の人物です。
(夏目漱石の『草枕』にもミレイの『オフィーリア』が出てきます)

ついでに、これがミレイの『オフィーリア』です。

Sir John Everett MILLAIS (1829-1896)


Ophelia (1852)


話をドラロッシュに戻すと、この絵は知りませんでした。
ルーヴル、2001年に行ったのに気づかなかったようです。

ドラロッシュも、忘れていた名前でした。
漱石が『倫敦塔』で別の作品を取り上げているあの画家か~、と、今回調べて納得した次第です。
(漱石がつなぐ英国のミレイと仏国のドラロッシュ…。おもしろい取り合わせです)


わたしはジェリコーもドラクロワもアングルもダヴィドもかなり苦手でして、
そのためこの時代の画家は英国の方に興味があり、すっぽ抜けていたようです。

アカデミー派の画家は、後の印象派以降の「前衛」たちに「保守」と弾劾・糾弾され、
20世紀も後半になるまで(いや、今も?)ずっと評価が右肩下がりになっていました。

どのジャンルにも言えることですが、サブジャンル傘下のすべてを否定できるわけがなく、
すべからく作品はそれ自体が吟味・鑑賞されてしかるべきなのに、
古今東西において、つねにその時代の評価軸によって作品は浮き沈みさせられてしまいます。
(メタルは論外、本格ミステリやSFは受賞作の選外、ホラー映画は対象外、などなど)

評論家というものが、時代に合わせねば生活を全うできない売文業であるという側面を考慮に入れても、
作品にも作者にも非は一切ありません。運がなかった、とかで済ませるに惜しいものは、たくさんあります。


また話が逸れました。
わたしはこの『若い殉教者の娘』をPC上の画像でしか見れていないのに、感銘を受けました。

どうやらディオクレティアヌス帝時代(284-305)の「大迫害」に時代を設定しているようなのですけど、
宗教画的な仰々しさはまったくなく、殉教という悲劇すら感じさせないほど静謐な安らぎを感じました。

水の描写を見ただけでも、相当な技量が推し量れます。この点、さすがアカデミー派です。
そして、その技量と完成度ゆえに却って「嘘っぽい」と断罪されることになるのが、なんとも皮肉です。


ルーヴルでこの絵を見たとき、感動のあまり身動きが取れなくなり、涙が流れてきたと聞きました。
それだけの力のある、素晴らしい作品だとわたしも思いました。
でも、つまらない認識の壁に拒まれると、これほどの作品さえ忘れられてしまうのだから恐ろしいものです。
どうでもいい偏見に囚われないよう、心がけたいところです。


こんな感じで展示されているようです


【参考リンク】
カイエ「ドラローシュ 若き殉教者と倫敦塔」



ところで、パリ帰り御一行は、昨年秋にはニューヨークに行っていて、
メトロポリタンでアレコレ見て気になる一枚があった、と帰国後しばらくしてから聞かれました。

うろ覚えではあるのだけど、たしかブランコの絵だったはずなので、だとしたらコレしかありません。


Pierre Auguste COT (1837-1883)


Le Printemps (1873)


やはりフランス・アカデミー派だった、ピエール・オーギュスト・コット『春』です。

コットは『オフィーリア』(1870)も描いていて、それもわたしは好きなのですけど、
『嵐』(1880)と対になっている『春』は、メトロポリタンでも人気のある作品のひとつです。

ただ、アカデミー派らしくコットは基本的には肖像画作家で、
おそらく神話に材を採ったであろう『春』や『嵐』のような作品は、むしろ異色作です。


それにしても、フラゴナールの下品極まりないあの『ブランコ』と同じ題材で、
よくもまあこんなにかわいらしい作品を描いたものだ、と感心してしまいます。




以上、慣れない絵画紹介をしてみました。


偶然か必然か、美術史で埋もれがちなアカデミー派が何人もいたのが興味深かったです。

なお、「アカデミー派」とはわたしが勝手に言っているだけで、美術史家も呼称はまちまちです。
それだけ放っておかれている、とも言えるかもしれません。今後、復権されるとしたら彼らでしょう。
(アカデミー派については、ウィキの「アカデミック芸術」を参照してください)

異常なまでの技術的達成と、西洋的教養に根差したモチーフが「過去の遺物」となったのは19世紀半ばです。
それすら遥か昔の過去の出来事となった21世紀の今になっても、彼らの扱いは大してよくはなっていません。
おそらく、当時の絵画に描かれたモチーフの「読解」が困難となっているからでしょう。


でも、絵画とはそもそも「見る」ものであって「読む」ものではありません。
図像学的な「読解」なんぞは、学者や作家やテレビ番組に任せておけばいいのであって、
われわれ素人はただ絵を見て喜んでいれば、それでいいのです。



最後に、蛇足ながらルーヴル所蔵作品でわたしがいちばん好きなものをご紹介します。
でも、作者も題名も伏せておきます。その方が、作品の謎めいた感触と、静謐な余韻が伝わる気がするので…。