2011-03-27

Rouse Garden at Zher The Zoo on 14th Mar & Days After the Earthquake



ライブ・レポートというより、日記的なドキュメントとして書こうと思います。


3月14日(月)にRouse Gardenはアコースティック・ライヴを行いました。
以下はそこに至るまでのわたしの日記的な記録と、当日のライヴレポです。


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真っ先に強調すべきことは、ライヴが14日(月)に敢行された、ということに尽きるでしょう。
あの大地震が起こったのは11日(金)ですから、わずか3日後、間に土日の2日を挟んだだけでした。


11日(金)の、地震による大混乱と徐々に明らかになっていく衝撃的な被害状況、相次ぐ余震。
完全に麻痺した東京の交通網、津波に破壊される町や炎上する町を絶えず映し出すテレビ。
被災各地におけるライフラインの寸断、ツイッターにおける多くの善意とわずかな悪意の交錯。
食糧がほとんど姿を消したスーパー、早くも問題となった買占め、まったく眠らない官房長官。
急遽決定された「輪番停電」という非常事態、節電のため暗くなった駅構内・商店・繁華街。

そして、それ自体が「二次災害」と化した感のある、テレビの傍若無人な報道姿勢。
(これほどの事態を前にしても、感動シーンや恐怖の瞬間の繰り返しに終始するとは…)


混乱はつづいていますが、話題は余震への恐怖や被災地の現状や復興への方策などを離れ、
いまや原発の放射能漏れ、農作物や水道水への影響、作業員の搬送など原発関連に移行しました。

話題は「被災」から「被曝」へ。

被災地ではない関東に住むものは、正直に「他人事のはずが自分にも」と言うべきでしょう。



わたしはといえば、11日は職場に泊って翌日に帰宅するとCD・本・小物が予想通り散らかっていました。
東北地方在住の友人の安否が知れず、そちらが気になって仕方ないためこの日はテレビばかり見てました。
夜になって一度、無事だという報を間接的に受けてはいたものの確認はとれてなく、やはり心配でした。
そうした思いを託したからか、この夜のPRTでは、わたしのメッセージを伊藤さんに読んでもらいました。
震災特番的な構成でした。FAIR WARNING"Don't Give Up"ではイントロから泣いてしまいました。
(なお、その友人の無事は15日20時半に確認できました。被災されましたが、元気なようです)


当然ではあるけど、ほとんどのイベントは中止や延期を余儀なくされることとなりました。
あの週末に予定されていたものはもちろんのこと、以後の興行も中止や延期が相次いで発表されています。

各プロモーター、イベンター、マネージメント、そして各アーティストは、
国内外を問わず難しい選択を迫られた上での判断だったことでしょう。
(今後も、こうした状況はつづくのですが)


ただ、11日の大震災当日にALL THAT REMAINSBLACK VEIL BRIDESのライヴを敢行した(させた)、
プロモーターのクリエイティヴ・マンにだけは、言い知れない怒りや不条理を感じました。

わたしはツイッターで公演敢行の報を知りましたが、正直に言って正気の沙汰とは思えませんでした。
ただでさえ大きな余震の可能性がある上に、交通網の完全麻痺が容易に想定できるという状況のなか、
しかも、ATRは避難経路の危ない(階段に数百人が殺到してしまう…)クアトロ公演なのに、なぜ!?、と。
(これは「極めて異常で悪質な例」なのだけど、記録としてここに残しておきます)



話を14日に戻します。


震災からまだ3日後、という14日の時点で、じつに多くの言葉が飛び交っていました。
(ここでは、音楽まわりだけに話題を止めます)


あれから2週間以上経ったいまでも散見されるのが「ライヴを行うか否か」という問題です。

それは第一に「被災された方々がいるのに、こっちでのうのうと楽しんでいいのか」という心理的な圧迫感であり、
第二に「節電が広く呼びかけられているのに電力消費の激しいライヴなんて」という電力供給事情への配慮であり、
第三に「物流が滞りガソリンが足りてないなか、車で移動するのはいかがなものか」という物理的インフラ状況です。

そして、これらすべてを貫いているのは倫理的な観点による「いいのだろうか?」という「ためらい」です。

簡単に言うと、「こんな時に音楽やってて、なんだか申し訳ない」の一言に尽きるのだと思います。


もちろん、これらのカウンターとしても、様々な言葉が飛び交いました。

音楽家は音楽しかできないのだから音楽をするべきだ、というテーゼがほとんどの言葉の底流に流れていて、
これに枝葉がついたものが各自の主張なり行動なり判断なりになっています。

これには様々なものがあって、「音楽って最高だから!」みたいな、楽観的というより単に思慮の浅いものから、
長いキャリアや幅広い影響力を前提とした「いつか(被災された方々に)必要とされる時が必ず来る」というもの、
限定された認知度を前提としてもなお「それでも、少しでも力になれたら」と活動を決めたもの、
などなど、いくらでもあります。


彼らミュージシャンたちの言葉に触れ、どう思ったかはひとまず置いておきます。


わたしは、14日のラウズのライヴは中止になるだろうと思っていました。

都内の交通網はかろうじて復旧したものの、千葉方面との交通網は依然途絶えたままでしたし、
前日の夜には「輪番停電」が急遽決定され、どこがいつ停電するのか判然としていなかったし、
電力事情だけでなく、メンバーや共演者やライヴハウスの方々の気持ちも気になってました。

予定通りにライヴはするものの、アコースティックで、出演者も一部かわって、入場無料で、
とツイッターで知ったのは、前日の夜でした。意外なようにも順当なようにも感じました。


実は、少々精神的に込み入っていたので14日のライヴは行かないつもりでした。震災があるまでは。

いや、当日になっても、やはり行かないつもりでした。
理由は精神的なものから物理的なもの(交通や停電など)に変わってはいたけど、
その日の仕事が終わって駅に向かう途中で、ライヴのことを思い出したほど、
わたしのアタマの中からライヴはすっぽりと抜け落ちていたのでした。


それでも、わたしは行くことにしました。いくつもの思いが、急に胸をよぎっていきました。
いちばん大きかったのは「行動を選択したことに敬意を示さねばならない」と感じたことです。

その時は大勢を占めていた「ライヴ自粛派」が、彼らに余計なことを言いはしまいか、
終わってからも何か言ってくるのではないか、との心配もあるにはありました。

もちろん、彼らはまだまだ無名なバンドであり、それに気づくものは多くはないでしょうけど、
言葉というものは、量の多寡に関わらずひとを容易に傷つけることができるものですから…。


彼ら出演者やライヴハウスは、想定されるいくつもの批判を前提とし、
おそらくはすでにそうした批判を受けてもなお、動くことにしたのだと思います。

そうした矜持ある決断にわたしが払うべき敬意とは、会場に駆け付けることでしか示せません。

そう思ったので、わたしは行くことにしました。


新宿では、いつもとは違う、不安がその底流をなすであろう怒りにも似たざわめきを聞きとりました。
代々木は、いつも以上にひっそりとしていて、町全体が隠れ家みたいな密やかな空気を醸していました。


それでは以下に、簡単なライヴレポをお届けします。



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開場してしばらく経った19時20分ごろだったでしょうか、Zher The Zooに入りました。
入り口では店長と思しき人が、明日以降の出演バンドの方と何か交渉をされていました。

会場はイスとテーブルが置かれていて、わたしはステージ正面のイスに荷物を置きました。

物販には永高さん以外のラウズのメンバーが座っていて、
一目こちらを見るなり「おお~」「無事でしたか~」といった声をかけてくれました。

永高さんもすぐ合流して、しばしの間、地震当日のことや被災した知人友人、停電や原発のことなど、
短い間ながら素早くアレコレと話しているうちに、すぐにステージが始まりました。


すでに、sjue(スー)のヴォーカル&ギターのやちこさんがアコギを抱えてイスに座っています。

自然体の姐御肌MCを挟みつつ、やわらかい声でやさしい歌を6曲か7曲くらい、聴かせてくれました。
6曲か7曲くらい、というのは、最後から二番目の曲が「ああーっ、忘れたーっ!」と中断されたため。
いきなり両手であたま抱えて「うわ~」と爆笑しながら終わった曲を、カウントしたもんだか悩みます。

なお、わたしが覚えている曲名は"五本指のうた""人魚のうた"です。
「いい曲書くね、あたしはね」とビール飲みながら言っていましたよ。

いや実際、いい曲だと思いました。
妙な言い方に聞こえるかもしれませんが、最近の「みんなのうた」でかかっててもおかしくないような曲です。

sjueは一回しか観ていませんけど、フルエレクトリックのバンドサウンドでまた観たいものだと思いました。


そのMCで気づいたのですけど、この日のライヴはストリーミングで中継されていたそうです。
急なストリーミング放送決定で、どれだけのひとがそれを見れたのかわからないけど、
柱の横のテーブルでディスプレイを光らせていたPCは、それ対応のものだったようです。
(節電のためステージもフロアも照明は暗めになっていたため、余計目立ったのです)


ラウズのライヴではほぼ毎回顔をあわせているNさん(@beni_kogane)も来ていましたが、
毎回必ず来ているKさん(@IwillStay54)は千葉方面の交通網遮断のためか、来ていませんでした。
(やちこさんも千葉の方ですけど、車に乗せてもらってなんとか辿りついたとのことです)

わたしも何回かメールをしに階段上まで行きましたが、返事がないので来れないのだろうと諦めました。



二番手は、ハーミットレイジの野良さんでした。彼女も6曲くらいだったと思います。

一人称が「ぼく」で、「ぼくは明るい歌は歌われへんから」と大阪弁のMCを曲間にしつつ、
立ち上がって足踏みをしたり、ステージから降りて歌ったり、最後にはステージを走り回ったりと、
とてもエネルギッシュなパフォーマンスを披露してくれました。

音楽性はたしかに明るいものではなくて、例えば1970年前後のフォークのような暗さを孕んだもの、と感じました。
でもそれは、アコギ一本でプレイされたから、かもしれません。バンドはまた違った印象を与えてくれるでしょう。
(逆に'70年前後はこんなパフォーマンスが毎日いたるところで展開されてたんだろうなぁ、とも思いました)

ちなみに、曲自体はフォーク的なものというよりは、ロックないし70年代初期のソウルといった感触で、
普段はどんなライヴをしているのか気になりました。



そして、Rouse Gardenの番となりました。

アコースティックなので転換に時間はまったくかかりません。
すぐにライヴは始まりました。

下手から高嶋さん、はるかさん、永高さん、拓さんの順。

拓さんは「カホン」というパーカッションの一種に座っていました。
カホンは座りながら叩く楽器で、スペイン語で「箱」を意味します。
実際、スピーカー大の「箱」にしか見えない、おもしろい楽器です。
前回のアコースティック・ライヴ(2010年10月11日)でも使ってました。
(前回の銀座アコライヴは、はるかさんのこちらとKさんというかIさんのこちらを参照のこと)


不在のはるかさんが白いドレスを身に纏って登場すると、それだけで場の空気が変わりました。

やちこさんも野良さんも普段着だったから、白いドレスが際立って「空気が変わった」のではありません。
一目見てそれとわかる、はるかさんの繊細さと繊細であるがゆえの強度にその場がたじろいだとでも言うか、
明らかに異質とわかる存在の登場に、それまで持続していた時間と空間に亀裂が走ったとでも言うか…。

自分の受けた印象を語るにはこうした隠喩表現に頼らざるを得ないから、大袈裟に感じるかもしれません。
でも、残念ながら言語でそれら印象を再構築するにはこうした隠喩表現しか為す術はありませんので、ご勘弁を。


1曲目は新作から"呼吸"でした。
わたしは前回のアコースティック・ライヴには行けなかったのですけど、
アレンジはシンプルなものながら、却って曲の良さを納得させられることとなりました。
というより、いい曲でないかぎり「シンプル」にはできないのだと、思い至りました。


それはつづく"かなしみの国"でも同じことで、
ギターはごく普通なコードストロークになっていても、電化された音とは違った音が、
曲の「いつもと同じところ」を照らし、かつ「いつもと違うところ」をも照らす、という、
アコースティックの意義をちゃんと感じさせてくれる素晴らしい出来のものでした。

ここで、すこしMCタイム。

地震のこと、被災地のこと、ライヴハウスのこと、バンドのことなどを、
手短に、簡潔に、そうした状況に戸惑いを見せつつも語り、「来てくれてありがとう」とうれしそうに言いました。

わたしは、はるかさんが「ザーザズーに着いてもまだ実感が沸かなくて…」と言っていたのが印象的でした。
どこか半信半疑な思いを抱いていたのは、おそらく出演者やライヴハウスの方々だけでなく、
この日、集まっていたお客の方々も同様だったのではないか、と同じく半信半疑だったわたしは思いました。

非現実的とまではいかないものの、現実に起きている/している/観ているという感覚がなぜか希薄で、
いま振り返ってみると、それはあの場がもたらしていた安心感によるものだったかもしれない、と思います。


「次は、明るい曲を歌います」と言ったのだったか、「春」という言葉も入っていた覚えがあるけど、
とにかく曲は久々に1stからの"daisy"でした。ときおり笑顔を見せながら歌うはるかさんが実に楽しそう。


「やさしい歌を歌います」と紹介されたのが、"ゆりかご"でした。
2月12日にもアンコールで樹海の愛未(まなみ)さんとプレイしましたけど、それでも久々な気がしました。

感情を込めてじっくりと歌うその歌を、楽器隊は壊れものを包み込むような慎重さと細やかさで支えていました。

普段のライヴでも見られる光景ですけど、アイコンタクトをとりつつ呼吸を合わせることは当然のこととはいえ、
お互いの信頼を前提とした関係の良さがなければいとも簡単に破綻してしまうような繊細なものでもあります。

もちろん、音楽的なつながりだけのバンドなどいくらでもあるし、むしろそちらの方が多いでしょう。
でも、繊細かつ強度のある音楽性のラウズにあっては、音楽的なつながりだけでは足りないのでは、と思いました。

彼らは音楽を離れてもメンバーの仲がいいバンドですけど、そこには逆説的に音楽的必然があるように思います。
普段から仲よくできないひととは、たとえ音楽的技量に卓越するところがあったとしても、おそらく一緒にできない。

それはわたしの思い込みかもしれないけど、このときはそんなことを考えていました。
そうでなければこれほど「やさしい歌」は歌えないだろうな、と…。


最後の曲は"真夜中"でした。

新作の収録が見送られた「昔からある新曲」です。
(デモ音源をこちらで聴くことができます)

ポジティヴな白ラウズともネガティヴな黒ラウズとも言い難い、
言うなれば"かなしみの国"の先駆けとなった曲、でしょうか。

ラウズの場合、祈りのような「思い」を込めると音の「重さ」とは違った比重が生じます。
時間と空間の密度が変わり、その「思い」には否応なしに共振させられてしまいます。

それはアコースティックでも変わりはありませんでした。

彼らの音楽的な強度の高さと、ひととしてのあたたかさを感じた一夜となりました。



SETLIST
1. 呼吸
2. かなしみの国
3. daisy
4. ゆりかご
5. 真夜中



終演後、すぐ帰るのもおかしいので、しばらく会場にたむろして談笑していました。

初代ベーシストのアッキさんも来ていて、しきりに"真夜中"を絶賛していました。

N氏がBURRN!今月号をちょうど持っていたので、前田さんが書いたとこを開いて色々話しました。
はるかさんは前日に読んだのだそうで、ものすごい喜んでいました。
永高さんと高嶋さんも高い評価と予想以上に文面を割いてくれたことに驚いてました。
なお、拓さんはドラムのことが触れられてなくて不満だったそうです。ふむ。


去りがたいものがあったのですけど、N氏とその場を辞して帰途に着きました。

ダイヤは乱れたままで、それでも電車は動いていました。まだまだ運行に不安があった頃でした。

募金入れるのを忘れていたので急いで会場に引き返し、こっそり入れてすぐ駅に戻り、帰宅しました。


14日は、そうゆう一日でした。


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2 件のコメント:

  1. あ。できた(笑)!

    アーティストにはもっとライブをやって輝いてほしい。
    そして、それを観られる人はちゃんと観てほしい。
    そこで得た何かを発信してくれたら、私たちはその気持ちを共有できるし、がんばろうって思えるから。
    まだ完全に普通の生活には戻れてませんが、元気な人たちが元気にしててくれることが何よりだと思うこの頃です。

    ・・・いつもどおり、支離滅裂なコメントですみません。

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  2. >kanaさん

    コメントありがとうございます。マイスペからようこそ(笑)

    ライヴは、できる場合はやってほしいですよね。
    来日組が激減して、放射能問題でさらに減りそうな気配がしているだけに、
    国内のバンド/アーティストは観たり知ったりしてもらう機会が増えたと思います。

    音楽とともに生活をしてきたひとは、音楽から離れると元気がなくなっちゃいそう。
    できる範囲で、ふつうに…。そうやって生活していきたいですね。

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