2011-05-15

The Golden Age of Dutch and Flemish Paintings

       





初回は地震後でひとが少ないなか、ゆっくりと時間をかけて鑑賞し、
二回目は連休中、入場規制をしてほしかったほどのとんでもない混雑のなか、
同行者へガイド的なことをしつつ、あまり時間はかけられずに観て回ったのだった。
(二回目に行ったとき、説明プレートが激減していたのはなぜなんだろう?)


印象に残ったことや思ったこと、考えたことなどを備忘録としてここに置いておこう。
会場の展示順に、気に入った作品についてだらだらと書いていくことにする。


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はじめのカテゴリーは「歴史画と寓意画」で、
フェルメールに次ぐ「目玉」だったルーベンスとレンブラントが圧倒的だった。
あまりに早いハイライトの到来に戸惑ったほどである。



ペーテル・パウル・ルーベンス(Peter Paul RUBENS /1577-1640)と、
ヤン・ブックホルスト(Jan BOECKHORST /c1604-1668)の『竪琴を弾くダヴィデ王』(1616~40)は、
ルーベンスが描いた老人の頭部像に、ブックホルストが描き足してダヴィデ王としたもの。

頭部とそれ以外の質の違いが歴然としているばかりか、板の継ぎ足しすら容易に確認できたにも拘らず、
その頭部に起因する重厚な威厳と人間的な哀感は、この老人をダヴィデ王とするに足るものだった。

わたしはむかしからルーベンスが苦手で、好みから言うと「あまりにバロックすぎる」のだけど、
間近で作品を観て、有無を言わさぬ説得力にそんな好みがどうこうなどという瑣事は一掃されてしまった。

「苦悩に満ちた」という紋切型がこれほど違和感なく当て嵌まる例もなかろう、という晩年のダヴィデ王は、
若年のころその腕を買われて宮廷入りした竪琴を弾くことで、陰惨な日々の無聊を慰めたであろうか?

家臣ウリヤの謀殺とその妻パト・シェバの強奪、長男アムノンとタマルの悲劇、次男アブサロムの謀反と死。
そんな激動の日々のなか、仮に竪琴を弾くことができたとしても茫然自失の体(てい)だったのではないだろうか。
目を見開いたまま放心した表情の王は、どんな曲を奏でたのだろう。腕は鈍ったのか、それとも円熟したのか。

絵を眺めながら、そんなことを思っていた。

それゆえに、ブックホルストはよくこの頭部像をダヴィデに見立てたものだ、と思った。
周囲のだれかや、ルーベンス自身が示唆した可能性もあるのだろうが、真相は永遠に闇のなかである。


ちなみに、展覧会タイトルにも含まれる「フランドル」とは「フランダース」(英語由来)とも呼ばれる地域で、
西ベルギー・南オランダ・北フランスにまたがる旧ブルゴーニュ公国領の一部なのだが(ほぼ現ベルギー)、
われわれ日本人には、あの「泣ける」(←厭な言葉だ)アニメ『フランダースの犬』の舞台、といえばいいだろう。

その『フランダースの犬』最終回で、主人公ネロが念願かなって観ることのできた絵の作者が、ルーベンスなのだ。
(ルーベンスはフランドル(フランダース)地方最大の画家なのだから、当然と言えば当然の登場なのだけど)

わたしがルーベンスを苦手としているのは、あの最終回が幼少期のトラウマになっているためかもしれない。
ネロが「素晴らしいだろう?」と愛犬パトラッシュに語りかけるほど素晴らしい絵だとはこどものわたしには思えず、
むしろこの絵を観て安心したからこそ愛すべきネロは天に召されてしまったのではないか、と思ってしまったため、
一時期ルーベンスはわたしにとって目の敵だったのである。



これにつづくレンブラント・ファン・レイン(Rembrandt Harmensz. van RIJN /1606-1669)の、
『サウル王の前で竪琴を弾くダヴィデ』(1630~31)は「光と影の魔術師」が24歳前後のときに製作した作品。


まだまだ若いのに、すでにスポットライトの手法が完成されているのだから、まったく恐ろしい男である。

余談だが、映画技法ではスポットライト/ピンスポット照明を「レンブラント照明」と呼ぶ。
ライティング機材のあるはずもない17世紀に照明を「発明」してしまった視覚効果の天才が彼なのだ。

劇的な効果を盛りたてる、彼独自の手法であるライティング効果は、
間近で観てよくわかったのだけど、ハイライト(明るい箇所)に絵具を「盛って」作っている。
レンブラントが登場するまで、絵画の表面はフラットなのだ。彼は画面の改革者でもあった。

サウル王と、若き羊飼いにして宮廷に召されたほどの竪琴の名手であったダヴィデ。
悪霊に苛まれていた王はその竪琴の音色に救われ、重用されたダヴィデは長じて各地で戦功をあげた。
しかし、ゴリアテを破り名声を高めると、却って王のこころに嫉妬と猜疑を生む新たな「悪霊」となった。

悪霊は祓わなければならない。すぐにでも。そして王は、槍を握りしめた。

この場面は、まさにその瞬間を描いている。彩色はけっこう落ちているらしいが、それでも傑作だと思った。
カリフ風のターバンを巻いているところに、当時、世界最大の国だったオスマン帝国の影を見なくもない。

若いダヴィデは王の槍をかわし、サウルが没すると自らが王となってイスラエルとユダを統一する。
悲劇的な晩年の終わりに息子であるソロモンを王に指名し、自らはその「波瀾に満ちた」生涯を終えた。
その後、イスラエルはソロモン王の下で黄金時代を迎える。神殿が建てられ、聖櫃が安置されたと言う。
紀元前1000年ごろの出来事だ。旧約聖書に拠るが、ほぼ史実とみてかまわないだろう。


ちなみに、トランプの「スペードのキング」はこのダヴィデ王がモデルである。参考まで。
(ハートはカール大帝、ダイヤはカエサル、クラブはアレキサンダー大王となっている)



次は「肖像画」の部で、ここから「いかにもオランダ」と言いたくなるような、
驚異的に緻密で細部まで技巧を凝らした絵画の登場となった。



ヨハネス・フェルスプロンク(Johannes VERSPRONCK /1606~09-1662)の、
『椅子に座る女性の肖像』(1642~45)は驚嘆すべき細部の描写に超人的な技量のほどが窺えた。
黒服のゴブラン織り、レースの模様、椅子の飾り、襟や肌の質感、すべて本物と見紛う出来。


逆に、自由なタッチで人物像を浮かび上がらせることに成功していたのが、
フランス・ハルス(Frans HALS /1582~83-1666)の『男の肖像』『女の肖像』の連作(1638)。


ほとんど印象派と言えるような荒々しい筆のタッチに驚かされた。
筆の痕跡を可能な限り消すのが当時の常識なのだ。
実際、印象派の連中はそれまで忘れ去られていたハルスを「発見」して、熱狂したらしい。


残念ながらほどよい画像が見つからなかったので紹介できないものもある。せめて名前と題名だけでも。
(図録を撮ってもいいのだけど、満足できなかったのでやめることにした)

ピーテル・サウトマン(Pieter SOUTMAN /c1580-1657)作とされている『子供の肖像』(1635~40)は、
男の子か女の子かわからない、赤い服と帽子を身に着けたかわいらしいこどもの肖像画。
ただの肖像画なのに受ける印象は不思議と複雑であった。天使を描いたのかもしれない。



次は「風俗画と室内画」の部。

というより、とても広いスペースを割いてフェルメールの『地理学者』ゾーンとなっていたのだけど、
それは長くなるので次回に述べることにして、定義が曖昧な「風俗画」から二点。


ディック・ファン・バーブレン(Dirck van BABUREN /c1595-1624)の『歌う若い男』(1622)には、
こんなに「イタリア風の」絵を描く画家がネーデルラントにいたのか、と驚かされた。



ふつう、ネーデルラント(オランダ)の絵画はいわゆる「北方ルネサンス」の枠内で捉えられていて、
イタリアのそれと比べて細密な描写や「陰惨」と言いたくなるほど暗い人物像にその特徴がある。

もっとも、その北方ルネサンスほどには陰惨でないところがネーデルラント/フランドル絵画の美点で、
むしろ明るい人物像が多いところに、17世紀に覇権を握っていた国家とその市民の矜持が窺えもする。

それにしても、これはいかにもカラヴァッジョ的なキアロスクーロ(明暗対比)だ。
ルーベンスという「感情に訴える色」の巨匠がすでに輩出されているにしても、彼以上にイタリア的。
どうやら早世した画家らしい。活動期間が長かったら、いったいどんな絵を描いていたのだろう。




アドリアーン・ブラウエル(Adriaen BROUWER /c1605-1638)の『苦い飲み物』(1636~38)は、
見ての通り、思わず笑ってしまうような絵である。描かれた男には申し訳ないが。

ブラウエルは、ふつうは描かれない「醜い」題材のものを描いた。絵のタッチも荒々しい。それが魅力でもある。
しかし、いったいどこのどんな人物がこの絵を自宅に飾っていたのだろう。毎日目にしたくはないと思うのだが。




ヘラルト・テル・ボルヒ(Gerard ter BORCH /1617-1681)の『ワイングラスを持つ婦人』(1656~57)は、
小品(40cm×30cmくらい)だけど、精巧の極みと言うほかない陶器やグラスや銀器の描写に驚かされる。

手紙の質感、机の細工、スカートのドレープ、鮮やかな赤い椅子と、何もかもが見事。ひび割れが惜しまれる。
ほとんどフェルメール級の技巧の持ち主と言っていいのかもしれない。凄い奴がいたもんである。



次の「静物画」はわたしの好きなジャンル。今回も素晴らしい作品を目にすることができた。
ただ、目玉のひとつだったヤン・ブリューゲル[父](Jan BRUEGHEL the Elder /1568-1625)の作品は、
彼の「工房」の作品で、思ったほどの出来でもなくまた小さすぎて期待外れだったのが残念だった。
(19世紀まで、たいていの画家は自らの工房で弟子とともに作品を描いている。現代の漫画家と同じ)



ヤン・ド・ヘーム(Jan de HEEM /1606-1683~84)の『果物、パイ、杯のある静物』(1651)は、
細密描写にもほどがある、と言いたくなるような作品。グラスに写る窓に気づいたとき、鳥肌が立った。
全体で三角形をなす構図も見事だが、とにかくこの技術的達成のすべてが恐ろしい。狂気の沙汰である。


ド・ヘームの弟子ないし影響下にあった以下の三人の作品も、師匠同様かそれ以上だった。
画像がないのが悔やまれるが、狂的なまでの執拗な細密描写は現物を観て目ん玉ひん剥いてほしいところ。

ピーテル・ド・リング(Pieter de RING /1615~20-1660)はド・ヘームの弟子。
『果物やベルクマイヤー・グラスのある静物』(c1658)は、背景の石柱(?)が奥行きを作っていて謎が深まる。

ハルメン・ルーディング(Harmen LOEDING /c1637-1673?)はド・リングの同僚と目される詳細不明の画家。
『苺の入った中国製の陶器とレーマーグラスのある静物』(1655)もまた、寓意画のように謎めいている。

アブラハム・ミフノン(Abraham MIGNON /1640-1679)はド・ヘームの弟子。
『合金の盆の上の果物とワイングラス』(1663~64)は、カタツムリや蝶もいて賑やか。葡萄の描写が精密すぎる。



ヤコブ・ファン・ワルスカッペル(Jacob van WALSCAPELLE /1644-1727)の
『石の花瓶に生けた花と果物』(1677)は、美しい花が、その美しさゆえに非現実的な量感を伴っている。
トカゲや蝶や蠅に寓意を嗅ぎつけなくもない。花瓶のレリーフに施された神話もまた寓意表現だろう。
活動期間が限られていた画家らしい。オランダ黄金時代が戦火によって終わりを迎えたころにやめている。


ヤン・ウェーニックス(Jan WEENIX /1642-1719)の『死んだ野兎と鳥のある静物』(1681)は、
タイトル通り死んだ野兎の描写が克明で気味が悪い。猟自体が特権的であり、その収穫物は富の象徴だった。
ゆえに依頼主がいて題材足り得たわけだが、それにしてもあまりに陰惨な絵ではないか。

これを観て、ジャン・ルノワール『ゲームの規則』(1939)の狩りの場面を思ったひともいるのではないだろうか。
(「呪われた映画作家」ルノワールの、この「呪われた作品」についてはいまはその名前を出すに止めよう)


ほかに、「謎の画家」ペトルス・ウィルベーク(Petrus WILLEBEECK /c1620-1647~48)の、
『ヴァニタスの静物』(c1650)も気に入った。横たわる頭蓋骨の描写に並々ならぬ技量が窺えたのだ。


これら静物画か開示しているのは、物それ自体が孕む「謎」、「存在という謎」である。
即物的な描写を徹底したら、物の「向こう側」が「こちら側」に迫ってきたのである。
それは、言葉本来の意味におけるシュルレアリスム―超現実主義でもあるのだ。
(「超」は強調のため使用されている接頭語で、要するに、「超だるい」の「超」である)

晩年のダリが、一斤のパンを克明に描いて「これこそがシュルレアリスムだ」と言ったことが思い出される。


この後、最後に「地誌と風景画」の部があったのだけど、
二回目は混雑と時間の都合で観られなかったということもあって、あまり印象に残っていない。
図録を見返してみて、もっと時間をとって観ておけばよかった、と思ったが後の祭りである。

それでも気に入った作品はもちろんある。ただ、ちょうどいい画像はなかったが。

アールベルト・カイプ(Aelbert CUYP /1620-1691)の『牧草地の羊の群れ』(c1641)は、
的確な羊の描写と広がりのある青空が魅力的な作品で、開放感があるのどかな風景が素晴らしい。
極めて平坦なネーデルラント的風景なのに、イタリア風の柔らかい光に満ちているのがおもしろかった。

サロモン・ファン・ロイスダール(Salomon van RUYSDAEL /1600~03-1670)の、
『渡し船のある川の風景』(1644)は、さすがに画家一族の出身だけあって技巧・センスともに素晴らしかった。
画面左半分を占める木の繁みと、右半分の明るい空との対比、その下を流れる川、という構図がわかりやすい。
船に乗せられている牛、牛が写る川面、遠くの街並み、木の繁みや林の奥行きなどの精密な描写を楽しんだ。

アールト・ファン・デル・ネール(Aert van der NEER /1603~04-1677)の、
『漁船のある夜の運河』(1644~45)は、月明かりで青くなった夜空とその月を霞めている雲が印象的な一作。遠近法の消失点と月が少しズレている。運河で働くひと、近くの家、対岸を行く馬上のひと、運河沿いの木々など、月の光でいっそう叙情的になっていた。



厳選した上にかなり端折ったのだが、長くなってしまった。

ヨハネス・フェルメール(Johannes VERMEER /1632-1675)の『地理学者』(1669)は、
対となる前年の『天文学者』(1668)にも触れつつ、次回にまわすことにしよう。


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2 件のコメント:

  1. 前から興味はあって、NHKとかの特集みたいなやつで見たりしてました。
    2回も観たMoonさんが羨ましい(笑)

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  2. >kanaさん

    2回目は凄い混みようで、あまり観た気がしません(笑)
    1回目はひとりで行ったので、かなりじっくりと観ました。
    ほとんどそのとき(3月末)の記憶だけで書いたんですけど、
    さすがに印象が薄れたので、次どう書こうかと悩んでます(笑)

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