2013-06-22

Steve Hackett 'GENESIS Revisited Tour' at Club Citta' on 9th Jun



今月の9日、クラブ・チッタでスティーヴ・ハケット(Steve Hackett)のライブを観てきた。
ただのライブではない。ハケット在籍時のGENESISの曲だけを演奏するという、特別企画だ。




昨年、ハケットは『Genesis Revisited II』という(やや変則的な)セルフ・カバー作を発表した。
今回のライブはその発表に伴うツアーであり、世界各地で熱烈な歓迎と高い評価を受けている。
アルバムのセールスも好調で、地元英国では久方ぶりのチャート・イン(24位)を見せた。

ハケットはソロ転向後も(40年近くにわたって!)休むことなく活動してきた勤勉な多作家だが、
近年は質の高い作品を精力的に発表していたこともあり、さらにその評価を高めていた。

そんななか、満を持して制作された本作は大勢のゲストを招いた2枚組(計145分)の大作だった。
(2枚組にも関わらずチャートに入ったところに、英国人のGENESIS愛を感じずにいられない。)


Genesis Revisited II (Steve Hackett)

ハケットが、自らが在籍していた時代のGENESISを如何に愛し、かつ誇りに思っているのかがひしひしと伝わってくる。オリジナルに忠実なカバーに「新解釈」はなく、ハケット編成による楽団が再録音をしたと言った方が実情に近い。ならばオリジナルを聴けばいいとだれもが思うだろうが、間に40年を置いたこのカバーはとても新鮮で若々しく、ともすれば当時の録音レベルが曇らせがちな原曲の煌びやかさを取り戻したかのようにも思えてくる。完成されたギターサウンドによる、名曲の再‐名曲化が堪能できる。


ツアーには「GENESISをプレイするのに最適なメンバー」が選ばれ、盤石な布陣をしいている。
長年にわたる自らの音楽をすべて封殺してでもやりたいほど、ハケットは往時の音楽を愛しているのだ。


では、そもそもGENESISとはいかなるバンドだったのか、少し振り返ってみよう。

トニー・バンクス(key)、マイク・ラザフォード(b)、ピーター・ガブリエル(vo)、スティーヴ・ハケット(g)、フィル・コリンズ(dr)
ハケット、万年浪人生のような驚異的な老け顔だが、このとき(おそらく1972年)22歳くらいである。
ちなみに、コリンズ以外は全員1950年生まれ。コリンズはひとつ下。左の三人がオリジナル・メンバー。

いわゆる「5大プログレ・バンド」のひとつであり、もっとも大きな商業的成功を収めたロックバンドのひとつでもあるGENESISはしかし、ときに「4大プログレ」とされた場合はその中から脱落させられてしまうバンドでもある。

理由は簡単で、中期以降のGENESISは音楽性をポップなものへと大胆に(それこそ、ロック史上に類を見ないほど大胆に)変えたことに拠る。初期の幻想的な音楽性を愛するプログレ・ファンにとって、80年代最高のヒット・メイキング・バンドGENESISは「別物」なのである。ゆえに、「4大バンド」とされ省かれることがあるのだ。
(成功への二重三重に屈折した、複雑な嫉妬に近い感情もあるだろうが。)

しかし、たいていのプログレ・ファンなら「5大バンド」のなかで「もっとも(サブジャンルとしての)プログレに影響を与えたバンド」を訊かれたら、(初期)GENESISと答えるのではないだろうか。ファンタジックな歌詞とキャッチーなメロディ、シンフォニックな音像ならYESも近いものを提示しているし、情景描写的な演奏やコンセプト・アルバムという手法もPINK FLOYDがやっているのだが、両者はヒッピー文化に由来するサイケデリアとリンクしている面が、「時代の子」という側面があるのだ。(そして、KING CRIMSONとEL&Pは音楽的な類縁性があまりない。)

ところが、初期GENESISはそうした時代の風を受けていない。高踏的かつ牧歌的な「いかにも英国」といったあの独特な幻想世界は、60年代末~70年代初頭の世情からはあまりに遠く離れたものだった。(もっとも、本邦の天井桟敷のような、アンダーグラウンドの芝居小屋といった風情と通底する共時的な「何か」はあったかもしれないが。)

そして、そうした「社会的趨勢から自らを切り離したところで音楽を成立させる」ことと、音楽的幻想美とを接合しようとした一群にとって、初期GENESISは究極の模範にして永遠に「超えられない壁」でありつづけているのである。

その初期GENESISを体現していたのは、初代ヴォーカリストのピーター・ガブリエルという存在だった。
ヘンテコなかぶりものや気味の悪いメイクでステージにあらわれ、冗談とも本気ともつかないパフォーマンスを繰り広げる変人にして、知性と歌唱力と作詞作曲能力を天にさずかったこの奇才は、初期GENESISのアイコンに他ならなかった。非日常そのものの奇矯ないでたちは、彼らの楽曲の奇形性を視覚化していた、とも言えよう。

絶大なインパクトの破壊力たるや、ロック史上空前絶後である。これは6th発表後のツアー写真。
なお、GENESIS在籍時のピーターは19歳~25歳だった。奇抜な格好を始めたのは22歳から。


ピーター在籍時の6枚(おもに2ndから6thの5枚、とくに3rdから5thの3枚)のアルバムはそうした幻想性の精髄を伝える色褪せない作品群であり、彼がいた時代のGENESISこそが「5大バンド」のGENESISなのだと、プログレ・ファンが異口同音に主張するのはそのためだ。

ただし、より慎重なプログレ・ファンはこうつけ加えるだろう。
「ハケットがいたころまでは、(プログレ・バンドとしての)GENESISはよかった」と。

この、ハケット在籍時(3rdから8th)とピーター在籍時(1stから6th)の微妙なずれ、
またピーター在籍時と後期GENESIS(=トリオ時代=9th以降)の間にあたる7thと8thの評価、
そして、ピーターのあの超強烈なアピアランス、これらがハケットとの明暗を分けることになった。

「初期=幻想美=ピーター」の図式を、ハケットは持っていかれてしまったのである。
それらの多くは、実のところハケットに起因していた部分が大きかったというのに…。


前置きが長くなった。上述の背景や分析を絡めつつ、以下にわたしが観たライブの模様をお届けする。

ハケット/ピーターのネガポジ反転から見えてくる幻想性の転移と持続、
転換期GENESISとハケット音楽の相関性、そしてすべての要であるギタープレイについて、
わたしがライブを観ながら考え感じたことを縷々つづっていくつもりだ。
(写真は主にオフィシャルサイトのギャラリーから頂戴してきた。)


* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


定刻を5分ばかりすぎたころ、場内は暗転しメンバーがぞろぞろと登場する。

ステージ後方中央には高さ1メートルくらいの階段つきの台座があり、その向かって左(下手側)の、中央よりはやや低い台座にキーボードが、向かって右(上手側)の台座(下手の台と同じ高さ)にドラムが、それぞれ鎮座している。

キーボード台に古株のロジャー・キング(Roger King)が、ドラム台にゲイリー・オトゥール(Gary O'Toole メンバー紹介では「ギャリー」と発音していた)がつき、ステージ前方上手にベースのリー・ポメロイ(Lee Pomeroy 現IT BITES正式メンバー)、前方下手のキーボードにロブ・タウンゼンド(Rob Townsend)、その右隣にヴォーカルのナッド・シルヴァン(Nad Sylvan)、そして中央にわれらがスティーヴ・ハケットが陣取ると、会場が大きな歓声と拍手で包まれた。

ステージはこうゆう布陣。残念ながらスクリーンはなかった。

ロジャーが"Watcher Of The Skies"冒頭の重厚な和音をメロトロンで響かせると、登場時以上の歓声が上がった。次々と重ねられていくメロトロン独特の「ゆらぎ」のある音が、霞みがかった幻想性のさなか次第に緊張感を増していき、全楽器によるユニゾンのリフが刻まれ歌のパートに入ると一転して視界が開け、「大空の監視者」なる異様なヴィジョンが展開されてゆく。

4thの『Foxtrot』(1972)巻頭を飾るこの名曲のリフは、シンプルかつパーカッシヴな「原初のメタル・リフ」のひとつであると言える。LED ZEPPELINやBLACK SABBATHのような切っ先鋭い剣呑さや肉感的なグルーヴはないものの、多重キーボードによるシンフォニックな音像のなか効果的に弾かれるため極めて印象的であり、直情的なアグレッションだけではないリフの使用法を、つまり「あるヴィジョンを描くためのリフ」という手法の在りかを示唆している。シンプルなリフは同時に質的に「ヘヴィ」でもあり、この楽曲の黙示録的な世界観のドラマティシズムを否が応でも盛り上げるのだ。

ロングコートで登場したヴォーカルのシルヴァンは「監視者」よろしく小型の望遠鏡を取り出し、曲に合わせて徐々に望遠鏡を伸ばしたり腕の角度を上げたりカクカクと動いたりと、早くも「本家」ピーター・ガブリエルがやっていたかのようなシアトリカルなパフォーマンスを披露、しかもその歌声もピーガブ似なのだから何をか言わんや。(もっとも、「本家」のそれは狂気の沙汰と呼べるほど狂ったものなので、本気で比べてはいけない。)

かと言ってピーターのコピーに甘んじ、その「モノマネ」をしていたわけではない。原典に忠実な歌唱をしつつ、初期GENESISの世界観に沿ったパフォーマンスをしていただけなのだ。モノマネが招きがちな痛々しさや図々しさといったものはなかった。
この男、その歌声だけでなく佇まいからして説得力があり、すぐさまオーディエンスのこころを掴むことに成功していたと思う。初期GENESISの幻想世界を再現するに当たって、この上なく相応しい人物だった。

こうゆうケレンは必要。ちなみに、シルヴァンはスウェーデン人である。


つづくは6thの『The Lamb Lies Down On Broadway』(1974)から、ハケット自ら曲名を紹介する。
冒頭からハケット流のギターメロディが炸裂する"The Chamber Of 32 Doors"が始まった。
シルヴァンはロングコートを脱ぎ、ステージ中央の台上で身振り手振りを交え歌い出す。

ヴォーカルがメインの比較的地味な曲を選んでいることから、逆説的にハケットがいかにGENESISを愛し、誇りに思っているのかがうかがえる。(しかも、『GRII』では1曲目なのだ。)
今回のツアーは「集金目的のためのヒット・パレード」などではなく、真摯に自らの過去と向き合った、純粋に音楽的な動機から組まれたものなのだということが肌身に感じられた。「懐メロ」的な懐古趣味は一切なく、楽曲こそ40年前(!!!)のものながら、ステージ上から聴こえてくる音は完全に「現在の音」らしい瑞々しさに満ち溢れていた。


最高傑作との誉れも高い5thの『Selling England By The Pound』(1973)から、その1曲目でありアルバムの邦題ともなった『月影の騎士』こと"Dancing With The Moonlit Knight"が披露される。
(まさかとは思うが一応言っておくと、月影とは月光のこと。)

貴族風の?ジャケットを着てステッキを携えたシルヴァンが、ハケットの左隣で歌い出す。

純英国風、という言葉で形容したくなる曲だ。
田園風景の牧歌性と貴族的な文学趣味の混淆がそのままエリザベス朝以降の演劇文化に接続され、
「上品な大衆性」とでも呼ぶべき典雅にして躍動感ある楽曲として展開されていく。

月明かりのなか、迷路のような英国式庭園を彷徨っている光景が浮かんでくる。
そして「騎士」と出会うと一転、その場は野趣に満ちた舞踏会の会場と化すのだ…。


ところで、わたしは中央の2列目といういい席に座っていたのでずっとハケットの手元を注視していたのだが、あらためてとても不思議な弾き方をするひとだと思った。指弾きなのに「ピックを持った」ようなかたちで弾く(と言うか、遠目にはピック弾きにしか見えない)上に、効果音的な小技がたくさんあって、音源でこれまでずっとその音を耳にしていたというのに、いざそのプレイを目のあたりにして驚いてしまったのだ。

ハケットが指弾きに「転向」したのはキャリア30年目(!!!)、50歳になった2000年頃だという。
恐るべき探究心、開拓精神と言わねばなるまい。現在もなにかの「道半ば」なのだろうか…。

1950年代半ばまでに生まれたギタリストは、ピッキング以外では右手/左手(利き手)をまったく使わない場合がほとんどである。しかしハケットだけは、GENESISに加入した20歳のときからずっと当たり前のように右手を使って(文字通り)音を出してきた。

そんな「小技」の代表格が、エディ・ヴァン・ヘイレンに数年先行していたライトハンド・タッピングである。ただ、ハケットのそれは個性的で、指の先ではなくかつてはピックで「タップ」していた。その名残りなのか、指弾きの現在でもピックでタッピングをしていたときのように指を折り曲げたままタッピングしていて、傍目には人差し指の爪か親指でタッピングしているように見える。(なお、その音は通常のものよりもやや「キーボードっぽい」音に聴こえる気がするのだが、これは大元の機材のセッティングに拠るのかもしれない。)

こうゆうフォームになる。他のギタリストで同じようにプレイしているひとは皆無だろう。

タッピングだけでなく、右手薬指や小指を素早く弦上でスライドさせたり(ぴしゅーーーーん!とか、しゅうぃーーーっ!みたいな音が出る)、アームをチョップしたり、右手で指板上の弦をこすってカチャカチャとかキュッキュといったノイズないしスクラッチ的な音を出したりと、芸の細かい動きが多い。また、この曲ではスウィープ・ピッキングも披露している。これまた後続から何年も先行した奏法で、彼のアイディアがいかに優れているかを証明している。

これが「ぴしゅーーーん!」である。上から下、その逆、指違いなどヴァリエーションが幾つかあった。
1、2弦をこするのも特徴だ。巻き弦ではやらないのである。ついでに言うと、アクションとして単純にかっこよかった。

その発想の柔軟性や多様な奏法という観点からすると、意外にもジェフ・ベックがいちばん近いギタリストなのかもしれない。ただしハケットの場合、これらの小技の数々は楽曲に絶妙なフックをもたらすための彩りにすぎない。ギターは目的ではなく、あくまでも手段なのだ。(そんなプレイ・スタイルが、彼をギタリストとして「地味な」存在にしているのだろう。)


ここからはふたたび、6thの『幻惑のブロードウェイ』へ。3曲つづけて演奏された。

The Lamb Lies Down On Broadway (1974)

ピーガブ流の作詞=作劇術がピークに達した作品であり、ロック・オペラ的なコンセプト・アルバムの臨界点を示した作品でもある。(ただし、作曲はトニー・バンクスとマイク・ラザフォードがメインですすめたようで、当初は『星の王子さま』を題材として予定していたところ、ピーガブの悪夢に基づいた複雑怪奇なストーリー・アルバムにされてしまったらしい。)

それまでのアルバムにも毎回、登場人物や場面設定などが記された「演劇のような」楽曲が収録されており、言葉の奔流と人物の演じ分けを歌いながら同時進行するという驚異的なヴォーカル・ラインに圧倒されることが多々あったわけだが、2枚組(計94分)の大作となった『幻惑~』は、それら「ピーガブ劇場」の集大成と言っていい。

しかも、プエルトリコ人の少年を主人公に、アメリカを舞台に、イギリス人が作品をなすというこの倒錯は、いくら夢に材を採ったとはいえ、とても正気の沙汰とは思えない…。
(同時代のポストモダン文学との比較考証も行いたいところだが、今回は割愛する。)

メドレー形式の"Fly On A Windshield""Broadway Melody Of 1974"ではシルヴァンが引っ込み、ドラマーのゲイリーが歌う。前回の来日公演もゲイリーがドラムを叩きながら歌った。ピーターやシルヴァンのようなクセの強い声ではなく、凛とした男性的な声で(ジョン・ウェットンにやや近い)、歌唱力に申し分はない。

もちろん、本職のドラムも素晴らしい。
「本家」フィル・コリンズのドラミングは手数が多いだけではなく、
繊細なアレンジメントともなっている細やかなフィルインも多いのだが、どれも忠実にカバーしていた。

浮遊感のなかに不穏な緊張を宿した、ある種の崩落感がある。
2曲とも短いが、そこで展開されるドラマは深く、その内に大きな謎を秘めて進行していく。

つづく"The Lamia"からはまたシルヴァンが歌う。前2曲とは打って変わって、叙情的な美しさが際立つ、悲哀に満ちた隠れた名曲だ。優しく、そして柔らかいメロディが心地よい。ロブのフルートが美しく、また終盤のギターソロが問答無用に感動的である。『GRII』や今回のライブで、この曲の真価に気づいたひとも多いのではないだろうか。会場をあたたかな感動で包んでくれた。


初期の代表曲にしてロック史に残る名曲、"The Musical Box"がこれにつづいた。

生首が転がるジャケで有名な3rdの『Nursery Cryme』(1971)こそが、GENESISの在り方を決定づけた「真のスタート」と言えるだろう。ハケットとフィル・コリンズの加入により、GENESISは何段階も強力なロック・バンドとなったのだ。

Nursery Cryme (1971)

元々、GENESISはパブリック・スクールのチャーターハウス校に通うとても裕福な少年たちによって結成されたバンドだった。最初期には貴族のメンバーもいたらしい。(ただ、ピーター、マイク、トニーのいずれも貴族と遠戚関係くらいはありそうだし、ピーターは貴族階級出身と書かれることもある。)
二十歳前のデビューにも関わらずその内容が繊細優美にして極めて知的だったのは、彼らが受けた教育水準が非常に高いものだったからだ。なお、超高学歴が約束されたパブリック・スクールに通える財力を持つ英国人は、全体の1割弱と言われる。エリート中のエリート、まさに「選良」なのだ。(コリンズはバンドに加入したころ、「お茶の時間」があることにカルチャーショックを受けた、という逸話もある。)

しかし、本作の制作時から加入してきたハケットとコリンズという「庶民」がおぼっちゃま集団の意識を変え、ロックのダイナミズムと力強さをもたらした。一方で、その高踏的な作風は変えなかった。それらの衝突からなる化学反応から生まれた精華と言えるのが、邦題となった『怪奇骨董音楽箱』こと"The Musical Box"なのである。

さて、一分の隙もないこの曲の凄さを、どう語ったものか。
クロッケーに興じる少女がいっしょに遊んでいた少年の頭を「ふっ飛ばし」、少年の魂はオルゴール(音楽箱)に乗り移ってしまい、そして…という物語を描いた気味の悪いアートワークは、この曲が題材となっている。
歌詞/物語にあわせ、イノセントに始まり次第にインテンスさを増していくダイナミズムと、妖しくも夢幻的な雰囲気のシンクロニシティは圧巻と言うほかなく、とくに中間部で繰り広げられるギターとドラムの熾烈な「バトル」はいつ聴いても興奮させられてしまう。
(ちなみに、70年代のフィル・コリンズは個人的ベスト・ドラマー10選のひとりである。)

これほどの曲を、わずか21歳の若者たちが創りあげてしまったのだから恐ろしい。

ハケット・バンドはこの難曲を精緻に再‐表現していた。(ドラムは流石にコリンズには敵わないが…。)
ラストの「Now! Now!」の連呼はもっと盛り上がってほしかったが(プログレおやじどもは歌わない)、その代わりに曲が終わるともの凄い歓声が上がった。だれもが興奮している。もちろん、わたしも大満足だった。


しばらく大歓声がつづき、ハケット御大もご満悦といった趣き。
これまではずっとゴールドのレスポール(大きめのアームをとりつけたもの)1本だけで演奏してきたのを、ここでゼマイティスの12弦ギターにチェンジ。白い粉を手に叩いて椅子に座り、すぐに曲を始めた。
(しかし、あんなにアーミングを多用していたのにどうしてチューニングがずれないのだろう…不思議だ)

ここからはハケット在籍最終作となった8thの『Wind & Wuthering』(1976)の4曲が、アルバム収録と同じ順で演奏された。(B面の2~5曲目。CDでは6~9曲目。)

Wind & Wuthering (1976)

ふたたびゲイリーがヴォーカルをとる"Blood On The Rooftops"から、
"Unquiet Slumbers For The Sleepers...""...In That Quiet Earth"のインスト・メドレー、
そしてシルヴァンが戻りアコースティカルな"Afterglow"へ、という具合に。

この間、リー・ポメロイは12弦ギター+ベースのダブルネックで大活躍。
いや、これまでも通常のベース(リッケンバッカー)、ギター+ベースペダル、ダブルネックと忙しく立ち回っていたのだった。ポメロイはレフティーなのだがちょっと変わったことをしていて、彼はなぜか通常の「右利きのギター」をそのまま「左手で」弾くのである。それも、ベース・ペダルを踏みながら。なんと器用な男なのだろう…。

見ての通り彼は「右利きのギター」を左手で弾いている。
ライブでは気づかなかったけど、どうやら弦も逆張りしていない「低音弦が下にくる」というもの。

これは12弦ギターも同様で、ものすごく弾きづらそうなのだけど、つねに笑顔で余裕綽々といった印象だった。
なぜか本職のIT BITESでは来日できないが、とても優秀なミュージシャンである。

もっとも、「本家」のマイク・ラザフォードがそもそも「器用な男」の元祖的な存在なのだった。また、ベース・サウンドに特長のあるひとなので、ポメロイは音作りからして超個性的な本家に迫らねばならず、その苦労たるや相当なものだったのではないかと思われる。その高いハードルすべてをクリアし、縁の下の力持ちとして殊勲賞ものの働きぶりだったポメロイに、惜しみなく賛辞を送りたい。
(間近に観て、ああホントに笑い飯のヒゲにそっくりだな…と思ったのはここだけの秘密である。)


話をライブ/曲/アルバムに戻そう。

この頃のGENESISは、1975年にはピーターの脱退~ハケットのソロ・デビュー~ヴォーカルのオーディションとその失敗を経験し、翌1976年2月には7thを、12月には8thをリリースするという、もっとも密度の高い時期にあたる。
さらに、翌1977年にはとうとうハケットが脱退に至る。また同年2月にはピーターが、3月には初代ギタリストのアンソニー・フィリップスが、それぞれソロ・デビューを果たす。『そして三人が残った』という、やや自虐的なタイトルの9thがリリースされるのは1978年4月。実にあわただしい3年間である。
(なお、GENESISが12弦ギターを多用するのはアンソニーの影響と言ってよい。大いなる遺産だ。)

冒頭にも書いたように、「トリオ時代の後期GENESISはプログレではない」という言われ方をすることが多い。しかし実際には、爆発的なヒット作となった13thの『Invisible Touch』(1986)や、コリンズのソロのポップなイメージを遡行的に付与しているだけにすぎない。よく聴くとプログレ的な箇所も多く、同じく商業的な成功を収めたASIAは支持する一方で後期GENESIS(とくに9thと10th、14th)の不支持にまわるのは、公平性に欠くと思っている。

「ピーガブ劇場」時代と、成功したトリオ時代に挟まれた1976年の2作は、そうした派手さのない地味な作品として等閑視される傾向が高い。模索期、転換期、中途半端、折衷的など、ややもするとマイナスのイメージを持たれていることすらある。

ただ、これをハケット側から見なおす/聴きなおすと、違った側面が見えてくる。

"Unquiet..."~"...Earth"のようなインストはハケットがソロで引き継ぐことになる。彼の滑らかでメロディアスなソロは、リアルな感情表現ではなくファンタジックな情景描写に特化したもので、この頃にはすでに完成形に達していた。しかも、ギターというよりは「キーボードのような」音を志向していることも特徴的で、これはソロになってからさらに追及されることになる。

そもそもハケットは音楽的な動機ではなく、その主導権争いを嫌がって脱退したのだった。裏を返すと、音楽的には近いものを志向していた。最大の違いはギターとキーボード、どちらがサウンド面でメインとなるかであり、GENESISに残ったメンバーは後者を選択、ゆえにハケットはソロに転向した。
ハケットの初期ソロ作は、確かに幻想的な雰囲気はあるものの、同時代的なポップさをオミットしておらず、それどころかむしろ積極的に取り入れている。本家GENESISとの違いは歌詞の内容とギター/キーボードの違いくらいで(しかし、その違いこそが決定的だった)、これらはあまり似ていない双子のようにも思えてくる。

GENESISの幻想世界は、少しずつ小さな変化を重ねていた。牧歌的、寓話的なものから都会的、小説的/映画的なものへと。同時に、音楽的にもポップな大衆性の割合を増していた。
バンドがピーター/ハケット/残り三人と分岐したとき、こうしたイメージ群も分割され、もっとも幻想性の濃いハケットが「プログレの良心」としてその筋のファンに評価されることになったのだが、1976年の2作を中心に前後を眺めたとき見えてくるのは、こうした分岐に起因する相違点よりも、その共通点の多さではないだろうか。洗練の方向性も、この三者には近いものがある。より音楽に沿った考察が求められる。
(これ以上はやめておこう。なお、もっと緻密な論述が必要なのは百も千も承知している。)

換言すると、1976年の2作にはハケットと本家の「その後」の多くが出揃っているのだ。それどころか、不在のピーターの影および「その後」すら、ここにはあるように思う。もっとも適正な再評価が待たれる作品と言えよう。(それは後期にも当て嵌まるのだが。)


メンバー紹介を挟んで、5thからバンド初のヒット曲となった"I Know What I Like"がプレイされる。

この曲(だけ)はアレンジが変化していた。ソロ・パートでロブのソプラノ・サックスが大々的にフィーチュアされていたのだ。これがまたジャジーでよかった。原曲のポップさにはこうした可能性が秘められていたのかと、目から鱗だった。ハケットのソロも自由度が高いもので、その妙技を堪能。バンドがいちばんリラックスしてできる曲のようだ。

キーボード、フルート、ソプラノ・サックス、クラリネット、リード、バナナ型シェイカーなど多彩なロブ。
途中、ドラキュラの歯を入れて地味にポメロイを爆笑させていた。ハケットは気づいてなかったが(笑)


これにピーター脱退後初の作品となった7thの『A Trick Of The Tail』(1976)からの曲がつづく。

A Trick Of The Tail (1976)

プログレッシヴな展開の妙とキャッチーな歌唱が楽しめる"Dance On A Volcano"には、それまでになかった明るさが充溢している。この明るさに「否」を唱える向きもいるのだろうが、それならばハケットのソロも同様の理由から否定しなければならなくなる。

ハケットがより探究したかったのはこの路線、つまりプログレッシヴな幻想性とポップな大衆性の融合なのだ。それは月と太陽の結婚に喩えられよう。すなわちこれ、錬金術の骨法である。
繰り返しになるが、ピーターも本家も、やろうとしていたことは大筋でハケットと同じだ。ただ、やり方/語り方が違ったか、違うように見えるだけにすぎない。
(ピーターとハケットが同時期にワールド・ミュージックへの関心を示したことは示唆的だ。)

ゲイリーがドラム台から降りてきて、シルヴァンとともに"Entangled"を歌う。ハケットの後ろで大仰な礼をお互いに交わすあたり、ふたりとも楽しんでいることが窺えてよい。コーラスがとりわけ美しく、アコースティカルな淡さが清々しい。


ハケットがギターを12弦ギターに変えると、なんの前振りもなく畢生の大曲"Supper's Ready"が始まった。傑作4thの『Foxtrot』(1972)収録時間のほぼ半分を占める、7部から成る23分の超大作である。

Foxtrot (1972)

これまた語るに窮する曲だ。あまりにも破天荒な、『ヨハネ黙示録』に材を採ったヴィジョンの威容と、大衆演劇のような親しみやすさが同居した、英国産ならではの音楽世界。

タイトルの「サパー」がキリストの「最後の晩餐」のエコーであることは言うまでもなく、かの有名な獣の数字「666」が歌詞として使用されたおそらく最初期の例でもあり、人類史上初の宗教改革を行った古代エジプトの王イクナートンの登場からも推察できるように、宗教的なコンセプトを演劇的かつ幻想的に音楽として定位することがその眼目となっている。

ただ単に小曲を7曲をつなげただけではない。休みなしに展開されていくためその緊張感は雪だるま式に増大し、クライマックスの「8分の9拍子の黙示録」では本当になんらかの宗教的ヴィジョンを幻視しかねないほどだ。演奏する側も緊張するに違いない。

大団円となるラストでは、ある種の達成感があった。観ているだけであれほど曲に引き込まれることも稀だ。予定調和的なスタンディング・オベーションとは異なった、熱狂とも感嘆ともつかない疲労まじりの大歓声がバンドを讃えた。素晴らしいとしか言いようがなかった。


あまり間を空けずに、バンドがアンコールのため戻ってきた。
曲は5thから、ハケット最高の名演(のひとつ)が聴ける"Firth Of Fifth"である。

Selling England By The Pound (1973)

ロック史上最高のピアノ・イントロとさえ評される、格調高いピアノからしてすでに感無量だった。

トニー・バンクスがもっとも過小評価されているキーボード・プレイヤーであることは間違いない。
同時期に活躍したキース・エマーソンやリック・ウェイクマンのような強烈なショウマンシップや「自我の強さ」がトニーにはなかった。上述の「後期問題」のためプログレ評価の枠外に置かれがちなこともあるだろう。しかし、その作曲・アレンジのセンスがいかに確かなものだったのかは、それこそ「後期」の大成功が証明している。今回のライブで、ロジャー・キングとロブ・タウンゼンドがふたりがかりでキーボードを手掛けていたことは、彼のキーボード・アレンジの複雑さや重層性の証左でもあっただろう。バンクスはキーボードという機材の発展と並走しながら、その可能性を次々と引き出していった天才なのだ。

長年にわたってハケットを支えるロジャー。安定感抜群の鍵盤奏者である。

それにしても、この曲で聴かれるソロの完成度は只事ではない。月光がゆるやかな川面(タイトルは「第5河口」を意味する)を照らすなか、なにかこの世ならぬものが空をよぎっていくような、ファンタジックながらもどこかに緊張を孕んだ、飛翔感/浮遊感がある。(イカロス的、とでも名付けようか。)陶然とするより他なかった。

スティーヴ・ハケット、当時23歳。げに恐るべきはその早熟さではなく、その持続性だろう。真の天才にして孤高の芸術家である。(GENESISが凄いのは、主要構成メンバー全員にこの言葉が当て嵌まることだ。)


フィナーレは7thに収録のインスト曲"Los Endos"だ。イントロに屈強なリフを備えつけた、その賑々しいライブ・ヴァージョンはもはやオリジナルとは別物とさえ言える。

普段は楽曲最優先のハケットも、この曲だけはこれでもかと弾きまくる。手持ちの小技を総動員するかのように、矢継ぎ早に様々なプレイを仕掛けてくるのだ。ライトハンド、スウィッチング、アーミング、スクラッチ、スライド等々、なんでもあり。よくは見えなかったが、おそらく足元のペダル操作もいつも以上の煩雑さなのではないだろうか。
(「右手」だけでなく「足技」も彼が元祖的存在。初期に座って演奏していたのはペダル操作のためだ。)

とうとう、すべての曲が終わった。当然ながらかなりお疲れの様子で、しばし呆けた顔を晒していたハケットは最後に珍妙な礼(むかし、とんねるずがよくやっていた「バーイ、センキュ」みたいなの)をして去っていった。
約2時間20分の熱演だった。


SET LIST

01. Watcher Of The Skies
02. The Chamber Of 32 Doors
03. Dancing With The Moonlit Knight
04. Fly On A Windshield
05. Broadway Melody Of 1974 
06. The Lamia
07. The Musical Box
08. Blood On The Rooftops
09. Unquiet Slumbers For The Sleepers...
10. ...In That Quiet Earth
11. Afterglow
12. I Know What I Like
13. Dance On A Volcano
14. Entangled
15. Supper's Ready
       i) Lover's Leap
       ii) The Guaranteed Eternal Sanctuary Man
       iii) Ikhnaton And Itsacon And Their Band Of Merry Men
       iv) How Dare I So Beautiful?
       v) Willow Farm
       vi) Apocalypse In 9/8
       vii) As Sure As Egg Is Egg
Encore
16. Firth Of Fifth
17. Los Endos

GENESIS (Steve Hackett ERA: 1971-1976)
Nursery Cryme (1971) 3rd
Foxtrot (1972) 4th
Selling England By The Pound (1973) 5th
The Lamb Lies Down On Broadway (1974) 6th
A Trick Of The Tail (1976 Feb) 7th
Wind & Wuthering (1976 Dec) 8th


* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *




随分と長いブログになってしまった。ご容赦いただきたい。

これでも、語り切れなかったことが多い。PINK FLOYDのデイヴィッド・ギルモアやCAMELのアンディ・ラティマーといったギタリストや、同期の群小バンドやGENESISフォロワーの「ポンプ・ロック」勢(MARILLION、PENDRAGON、IQ、IT BITESなど)との類似点および相違点、フュージョンやAORといった70年代後半の音楽地理や、80年代という「ポップ」ディケイドの別の姿、歌詞の分析や、同時代文学とのリンク具合など、まだまだ話は尽きない。

ハケットには、またソロで近いうちに来日してもらいたい。ソロでも名作、名曲がいくらでもある。


もし、このブログを読んで興味を持ったのなら、とりあえず『Genesis Revisited II』をお薦めする。
本家GENESISなら、3rd~5thが聴きやすい。骨が折れるけど6thはいくらでも深入りできるし、7thと8thも虚心に聴いていただきたい。(ついでに、傑作10thの再評価もお願いする。)


あとはただ、その月明かりに照らされた世界に浸り、ひとしきり彷徨えばいい。
もっとも、淡い霧の向こう側に見える影が、ひとのものである保証はないのだけど。



2 件のコメント:

  1. ブログ読んでいたらGENESIS聴きたくなってきました。
    読んでるうちにハケットのソロも購入したくなるから不思議。
    moonさんの記事は僕にとって危険なのです(笑)

    返信削除
    返信
    1. コメントありがとうございますm(_ _)m

      思うつぼです(笑) GENESISもハケット師もがんがん聴いてください。
      ソロは初期4作がすべて傑作ですよ。その後も佳作秀作傑作いろいろあります。
      ただ、まだリマスターされてないので、近作がよいかと。

      今後も危険なブログを書いていきたいものです。

      削除