2013-07-03

HEAD PHONES PRESIDENT at Light House on 3rd Jul 2010



マイスペことMySpaceがリニューアルに伴い、過去のデータのほとんどを勝手に削除してしまった。
メールもブログも写真も、何ひとつ通知のないまま削除というあり得ない暴挙については、わたしにはもはや言葉もない。(ただ、旧ユーザーの思いは万国共通のようで、英語の記事だが参考になるリンクを貼っておこう。)

わたしにとって、マイスペはあまりに大きなターニングポイントだった。マイスペがなければ、現在つながっている人たちとの関係がどうなっていたのか(そもそも、関係があり得たのか)、想像だにつかない。いまはTwitterなどをやっているものの、正直に言って旧マイスペの方がずっと楽しかった。この思いが変わることはないだろう。

実のところ、データの消去は過去にも何回かあったのだが、今回のそれは完全リニューアルに伴うそれであるため、データが戻ることは二度とないように思われる。わたしが他の方々とつながるきっかけとなったブログも、もう読むことはできない。

ただ、ブログの復元なら、ある程度はできる。と言うのは、事前にメモ帳でテキストを書いてからブログをアップしていたからだ。もちろん、編集過程で加筆修正した箇所までは復元できないし(過去の自分は他人である)、メモを作らずにアップしたものは、すでにして忘却の彼方である。

楽しみながらも心血を注いで書いたブログがもう読めないのは、とてもつらい。まるで実家を失ったような思いだ。それだけでなく、ほんの数人とはいえわたしのブログを楽しんでくれていた方々への、申し訳なさも感じている。

そこで、メモがあるものはこちらで復刻することにした。ほとんど文章に手はつけていないので、ほぼ当時のブログそのままのはずである。改行等、違和感があるかもしれないが、これらのテキストは旧マイスペのレイアウトにあわせて書いたものなので、その点はご諒承を。


復刻ブログ第1弾を何にするか悩んだのだけど、ちょうど3年経ったこれにした。
わたしが初めて気合いを入れて書いた、HEAD PHONES PRESIDENTのライブレポである。
これが初めての「遠征」だった。とても思い出深いライブだ。

メモ帳の日付けは2010年7月5日22時06分となっているから、23時すぎのどこかでアップしたものだろう。
以下の復刻ブログは、2010年7月3日(土)のHPP水戸公演について書いたものである。



* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *



客電が落ちると空気が変わる。
「何かが始まる」とその空気は伝える。
沈黙は張り詰めた緊張感を生み出す一方で、
包み込むかのような柔らかな「何か」をも醸し出す。

薄闇のなか、Anzaさんが登場。
定位置に座ると白いスカートのレースが円を描き、
花のように見える。月に照らされた花。囁き。

囁きは悲しげな声に変わり旋律をなぞり始め、
消え入るように伸びた声に楽器隊が音を重ねる。

ギターが透明な音を紡いで「何か」の始まりを告げ、
ドラムが入ると急速に空間は躍動感で満たされる。
ふたたびの静寂にも先ほどの沈黙にはなかったものが、
聴衆の「何か」に対する期待感が充填されている。


Marさんが屈みこんで"Hang Veil"の儚い音をつま弾くと、
リフの炸裂と同時にタガが外れたように動き出すメンバーたち。

一瞬の展開における鮮烈さこそがHPP最大の特徴であり、
鬼気迫るパフォーマンスを繰り広げつづける集中力と、
音楽の「中に」入り込んでしまうという表現者としての特性。

他のバンドと一線を画するHPPのHPPたる所以である。

「泣いているよう」
「怒っているよう」ではない。

「感情表現豊か」なのではなく、
「感情そのもの」をぶつけること。

それらとまったく変わらない精神状態になること。
表現としてではなく、音楽を媒介として「感情そのもの」を、
その場で新たに創出すること。

HPPのライブ・パフォーマンスとは常にそのようなものであり、
聴衆でしかないわれわれは、それに共振させられるだけなのである。


"Nowhere"では最近見られたような煽りをやらず、
劇的なイントロからリフの展開がさらに際立つ。
サビの胸が締め付けられるようなメロディは、
聴けば聴くほど、観れば観るほど、その威力を増す。


獣じみた怒りに満ちた狂気、哀しげな静寂、天を駆ける爽快さ、
という相反したものが混然一体となった"Desecrate"は、
初めて観たChelsea Hotel公演以来、一貫して「狂って」いて、
どうしたらこんな曲ができるのだろうとさえ思ってしまう。


もはやお馴染みとなったHiroさんのソロから"Labyrinth"へ。
Narumiさんが舌を出して嗤いながらベースを弾いていた。
奇矯な振る舞いのようだが、曲調と合っているように思ってしまった。


それまでの狂騒が曲の終わりと同時に消え去り、
悲痛な"Wailing Way"へ。ライブで観るのは初めてだ。
シャウトのパートはMarさんと分け合っていた。
唯一観たことのなかった新作の曲なので、単純にうれしい。


Anzaさんが前に出て、マイクを手に持ったまま腰に手を当て、
笑顔で"Chain"のオープニング・フレーズを口にする。

もちろん、これは「趣向」なのではなく、
「なぜかそのときそうしていた」だけであり、
そして、そのことは聴衆に容易に伝わるのである。

HPPの曲はどれもライブ映えするが、"Chain"はその中でも際立っている。
わずか3分だが、凝縮された想いの密度たるや尋常ではない。


そのまま、Batchさんのドラムがキモの"Cloudy Face"に突入。
攻撃性だけではない、様々な要素が交差するHPPならではの曲だ。


しばし、セッション的なやりとりがなされる。
Hiroさんがメロディアスなフレーズを弾くので、
9月の新作のイントロダクションかと思ってしまったが新曲ではなく、
曲はお馴染みの"Light to Die"だった。

浮遊感さえあるヴァースの心地よさから一転、
激しい感情が爆発するコーラスで胸がいっぱいになる。


そして、すべての感情を鎮めるかのような"Remade"が、
Batchさんの、囁きのようなドラムで始まる。
"Light to Die"もそうだが、「光」や「祈り」を感じさせる曲である。
なにか/だれかを、想い/祈る者へ降り注ぐ、光、とでもいうか。
もしくは逆に、光が天に昇っていくような、そんなイメージがある。


これで終わりかと思ったが、"Sixoneight"がまだあった。

哀しくも優しげなベースの柔らかい音がNarumiさんによって鳴らされ、
Anzaさんがいつにもまして悲しげな表情で歌いだす。

それだけに、激しいパートうつった時の暴れっぷりは最近覚えがないほどで、
跳びはねながら指を天に向け、「何か」を必死に訴えるかのようだ。


そのとき、一枚の羽根が落ちてきた。


少なくとも、わたしにはそれが羽根に見えた。


演出とも思えないし、そのあとステージを見ても落ちていなかったので、
見間違いかと思って一言もその件について口にしなかったが、
そのためか脳裏に焼きついてしまったのだ、羽根が、落ちてくるところが。


目にしていたのはほんの一秒程度だっただろうが、
もっと長い間、それを見ていたような気がする。
あれは、何だったのだろう・・・。



曲は激しさを増し、あまりに苦しげな激情の迸りへと向かい、終わった。

いつものことだが、強烈なライブだった。

次は渋谷で、この「いつものこと」を体験することになる。



SET LIST
01. Intro
02. Hang Veil
03. Nowhere
04. Desecrate
05. Labyrinth
06. Wailing Way
07. Chain
08. Cloudy Face
09. Light to Die
10. Remade
11. Sixoneight









* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *



「羽根」の後日譚を紹介しておこう。

わたしとともに同日のライブを観た方が、「わたしも見た」とコメントしてきたのだ。
やはり「羽根」は現実だったのである。


なお、この当時のブログではわかりづらいが、「羽根」が落ちてきたのは曲の転換点である。
「静か~激しい~静か(短い)~炸裂~終焉」という"Sixoneight"の構成のなかで言うと、「羽根」は「静か(短い)」のちょうど終わりに見え、「炸裂」と同時にひらひら落ちてきたと記憶する。テキストに「演出」という言葉があるのは、あまりにもそのタイミングがよかったからだ。

いちおう、捕捉まで。





2 件のコメント:

  1. もちろん覚えていますよ。

    【羽根】を見たのはIさんでしたね。

    復刻ありがとうございます。

    返信削除
    返信
    1. その通りです。
      ブログだけでなく、コメントがなくなってしまったことも残念でなりません。

      マイスペブログは、当時アップしたのと同じ時期に復刻していこうかと。
      毎度お読みいただきありがとうございます。

      削除