2013-09-12

HEAD PHONES PRESIDENT on 7th & 8th Sep 2010



旧マイスペ崩壊のため、読めなくなってしまったブログをここに再掲する。
ちょうど3年経った、ということもあるが、今年ふたたび「FUSE THE SOUL」なる名称を聞いたことが大きい。

来る9月28日に開催される「FUSE THE SOUL」は、HEAD PHONES PRESIDENT主催の(正確には「提唱」であり、実際の主催者はCarry Onという制作会社)「ロックとファッションの融合」を謳った複合イベントだ。そして、「ふたたび」というのは、このタイトルが元々は2010年9月にカナダのヘヴィロック・バンドDOMENICAとのツアーの際に使われていたもので、その使用が2回目であることに拠る。また、先の名称は最初の文字だけが大文字の「Fuse the soul」という表記だった。ここでは両者の区別のため、ふたつの表記を使い分けることにする。


HPPが関わっていること以外に、連続性はあまりない。ただ、「海外バンドを招聘して自らがトリをつとめる」ツアー形式や、「バンドのライブとファッション・ショーを交互にやる」イベント形式(まだ明言されていないけど、常識的に推論するにそのような方法しか考えつかないから、これで間違いないだろう)には、他のバンドとは違ったことをやろうとするHPPの意欲的な姿勢がうかがえる。「魂の融合」と題されたこの名称は、彼らの気概を表明すると同時に、「ここぞ」というときにのみ使用されるものだと思われる。

(時期はあやふやなのだけど、いつだったかHPPファンサイトがTwitterやマイスペで「招聘してほしいバンド」のアンケートを採ったことがあった。これは「Fuse the soul 2」と冠されていなかっただろうか?めずらしく記憶が曖昧なので、思い込みによる間違いがあるかもしれないけど。)


2010年9月に話を戻そう。
3年前の9月の第2週、9/6(月)~9/12(日)はHPP一色だった。ライブが5本もあったのだ。

7日(火)はタワーレコード新宿店でアコースティック・ミニライブ、
(これは前ブログで詳述した『Pobl Lliw』リリースに伴うイベント)
8日(水)はClub Asiaにて「Connect Note」という(確かマイスペ主催の)イベント出演、
一日だけ間を置いて、
10日(金)はVijonにて「Fuse the soul」大阪公演、
11日(土)はHeartlandにて「Fuse the soul」名古屋公演、
12日(日)はBoxxにて「Fuse the soul」東京公演と、
実に慌ただしい一週間だったのだ。(このすべてに先述のDOMENICAが帯同した。)


わたしはすべての公演を観ることができた。大阪公演については、よく行けた(間にあった)ものだとわれながら思ったものだし、いま振り返ってもひやひやするぐらいだ。

さらに、HPPはこの一週間後の19日にもD'ELANGER主催イベントに出演しているし、わたし自身はこの他にRouse Garden(14日)、「THRASH DOMINATION 2010」(18日)、METALLICA(26日)も観に行っている。随分と忙しい、でもそれ以上に、この上なく楽しい一ヶ月だった。


ここに再掲するのは、7日のアコースティック・ミニライブと、8日のAsia公演についてのブログだ。

前者はともかく、後者はかなり呻吟させられることになった。「ブログを書く」ことに初めて躓きを覚えたブログである。(以後、その躓きは常態化・深刻化し、精神的・知的停滞を悪化させつづけているのだが、それは別の話だ。)それでもなお書き得たのは、意地、いや、敬意が書くことの放棄を許さなかったからだろう。(だれに対するそれであるかは、以下のものを読んで確認してほしい。)

再掲するに当たって、私事に関連する箇所は極力削除することにした。マイスペ時代のように読む側をこちらで限定できないし、また、当時のブログに出てくる人物が、現在このブログを読んでいる方々にはわかりようもないからだ。(SNSで知り合ったひとと現実で後に知り合ったのではなく、現実に知っているひととあらためてSNSで繋がったという経緯があったので、マイスペ時代はほぼ全員が顔見知りだった。それで、そうゆう書き方をしていた。)

実のところ、7日のブログの読みどころはそうした友人たちの姿を描出した箇所なのだけど、いまここで再掲するのは憚られる。Facebookでフレンド限定にして公開することも考えたが、多くのひとに読んでもらいたいので、一部削除したうえで投稿することにした。なお、文章はメモに残っていたものであって、当時のブログとは若干の異同がある。ただ、誤字脱字や明らかに修正した方がよいもの以外は、一切手を加えていない。


まずは、2010年9月7日(火)のアコースティック・ミニライブについて書いたものを。
(これは一字たりともかえていない。改行も当時のままである。)


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9/7 at Tower Records Shinjuku


21:30ごろにHEAD PHONES PRESIDENT登場。

Marさん、Narumiさん、Batchさん、Hiroさんがまず出て来てイスに座り、
各自が音を出し始め、そのまま"Hang Veil"に。

黒い帽子に薄い青/緑のケープと、
いつもとは違う装いのAnzaさんがゆっくりと歩いてきて音に合流、歌い出す。



この時点で、すでに辺りはHPP一色、と言っていいほどの濃密な空気に満たされる。
哀切なメロディを丁寧に奏でるMarさん。
弾きまくるHiroさんのギターに耳がいきがちな新作ではあるけど、
要所要所でしめているのはむしろMarさんのギターなのか、と思った次第。




Batchさんの呪術的なパーカッションで曲が終わり、
(その間にギターチェンジなどを済ませてた)
Anzaさんのかるい挨拶程度のMCを挟んで、
"Fight Out"がCD通りにエフェクトのかかったのヴォーカルから始まる。

曲を始める際に、アイコンタクトで呼吸を合わせるバックのメンバー一同。
Hiroさんのメンバーを見る目に「バンマス」的な厳しさを初めて見た気がしたのが印象に残っている。

ノリのいい快調なアレンジとなっているため、
座っているのに体を前後に大きく動かしながらプレイするNarumiさん。



Anzaさんも途中からは立ち上がって歌い、イスをうまく使って動き回る。
このあたり、キャリアの経験が違う、と得心す。
隠しようのないものが「格」なのだ。


引き続き"Inside"へ。

それぞれの音が曲をタペストリーのように編みあげている、
というイメージを初めて聴いた時から抱いているのだけど、
やはり素晴らしいアンサンブルで、コーラスではうっとりしてしまった。
極彩色というほど派手ではない、華やかだけど品のある織物を幻視したほど。
(「一角獣と貴婦人」の青ヴァージョンが動いている、みたいな…わからんか)



AnzaさんがあらためてMC。
「普段はしゃべらない…」「ボロが出るので…」
「ライブを渋谷で…」「こんな感じじゃないけど…」
など、終始控えめかつ恥ずかしそうに言う(微笑)

曲名を紹介し、一番聴きたかった"Sand"がプレイされる。

新作の感想でも書いたけど、HPPならではの不思議な曲。
ここでも完全に異質な磁場を放っていたように感じた。

「爆発」感のある中盤以降のアンサンブルはCD以上の見事さで、
とくにBatchさんのパーカッションが凄い迫力。
これがアコースティックライブだろうか、と思ったほど。

すべてが混然一体となっていて、その統一感がどこかで幸福感と重なり、
観ていて聴いていて体感していて、なんとも言えないうれしさを感じる。
(と同時に、曲の持つ哀しみもまた、体に浸透してくるのだが)


素晴らしい演奏を終え、一端会場を後にするメンバーたち。
アコースティックでも、HPPはHPPらしいライブをするのだった。


SET LIST
1. Hang Veil
2. Fight Out
3. Inside
4. Sand









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「貴婦人と一角獣」ならぬ「一角獣と貴婦人」が文中に登場するが、わたしとしては完全に忘れていたのでハッとさせられた。まさか、三年後に現物を東京で観ることになるとは。また、Marさんのギターに言及していることも忘れていた。5人編成時代のアンサンブルも、非常に緊密なものだったことは言うまでもない。AnzaさんのMCはまだまだものめずらしいものとして、わたしは観ていた。店頭イベント(それも、初めての)なのだから喋って当たり前なのだが、それでも奇妙な思いがしたものだ。

この前後には、わが友人知人たちの愛すべき愉快な姿が描かれているのだが、前述の理由により削除。


次に、翌8日のライブについて書いたものを再掲しよう。これもまた同様の削除を行っている。ただ、ブログの性質上、ひとりだけは登場している。いまは別の名で知られているが、これは当時のままとした。また、一瞬だけ登場する「N氏」とは、当時HPPでPAを担当していた方である。(この後、一時離れ、最近また何回か担当するようになった。OzzfestもN氏が音を作ったはず。)

このブログ冒頭にある「Anzaさんのブログ」とはマイスペのブログであって、Anza.jpのそれや、アメブロのそれとは違う。内容について書かれていないのは、わたしのブログ読者ほぼ全員がそれを読んでいることが前提となっているからだし、実際、だれもが読んでいたはずだ。

掻い摘んで言うと、Anzaさんの近親者が亡くなったことに触れたブログだった。
7日早朝か、6日深夜だったかに連絡を受けていたと、書かれていた覚えがある。
(具体的にだれであるかは書かない。書いたところで何になろうか。ご冥福を祈るほかない。)

それでは、こころしてお読みいただきたい。
わたしのとって、もっとも思い出深いライブのひとつである。


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9/8 at Club Asia


この日の朝、Anzaさんのブログを読んで固まったひともいるのではないだろうか。
アコースティック・ライブもそのあとのイベントも終始和やかに進行していたので、
まさかその背後に何事かが起こっていたとは、到底思えなかっただけに驚きも大きかった。
(Iさんだけは、何か察していたらしいことがそのブログから窺える)
折しも、過酷なツアーが始まるその日に…と嘆息せずにいられないが、
その方が気も紛れるかもしれない、という点のみに気を払うことにした。


視界を遮る幕もなしにセッティングがメンバーたちによって進められ、
出演予定より30分押しの、21:40くらいになってスタート。

半ば目をつむったAnzaさんがマイクを持ったまま歩いて中央に来る。
囁き、祈り、歌、それぞれを往還しながら紡がれる導入部は、
その始まる直前の静寂をも遡及的に曲の一部として含んでいる。
観る者は場内が暗転したその時から、すでにHPPの世界に引きずり込まれている。



"Nowhere""Desecrate""Labyrinth"とつづいた序盤では、
最近やるようになった日本語での煽りをいつも以上に入れてくるAnzaさん。
この日は胸元にリボンをあしらった赤~ピンクのキャミと黒スカートを着用。
Hiroさんはめずらしく髪を固めていた。

HPPの楽曲群のなかではとくにストレートなアグレッションをもった曲がつづき、
フロアも激しくその楽曲に応える。ほんの少し前までは、絶対になかった光景だ。




ここまで、パフォーマンスもいつも通り素晴らしく、
またクリアなサウンドバランスも完璧で文句なし。

Anzaさんも心配していたような影響は見受けられず、
「安定」という言葉に潜む怠惰とは無縁の強度でもって、
「安定」したパフォーマンスを繰り広げてくれたので、
心配は杞憂だったようだ、と安堵していた。

それどころか、クルクル廻ったり、あぐらをかいて座ったり、
"Labyrinth"の最後では「ありがぢょおごじゃりまじだぁ~」
と、おどけたような言い方さえしていて、
むしろノリにノッている、という印象さえあった。


いちおう念のために付言しておくが、この心配は
パフォーマンスの低下・不安定化・劣化に向けられたものでも、
彼女/彼らのプロフェッショナリズムへの疑念に根差すものでも、ない。

また、感情表現に悲劇的な出来事の影響の一端を読み込んでしまうことから、
ある種の痛ましさを感じてしまうことを予期した躊躇から生じる心配でも、ない。

われわれファミリー=ファンは、ただ単に心配していただけなのだ。
いまこの場に、目の前にいるけど、きっと辛いのだろうな、と。

それが、前半部の見事なパフォーマンスに
プロフェッショナリズムを見せつけられることとなり、安心したのだった。

しかし、パフォーマンスの揺るぎない「安定」に変わりはなかったものの、
その表現のベクトルは急激にその色を変えていくこととなった。



それまでの「ロック・バンド」然としたタイトな演奏とアグレッションが一瞬で引き、
短いセッション的なインタールードのなか、機材に腰かけたAnzaさんが何やら口にしている。

Anza語で…いや、英語を介したAnza語、というべきか。
(この点、いずれ詳述したいところなのだが…)

人差指を天に向け、「my friend, family...」と言っている。

先月のAsiaでも、「"Light to Die"が先立ったファミリーに捧げられた」、
とIさんがブログで書いていたので、どのように捧げられたのかと気になっていたのだが、
どうやらこうゆうことだったようだ、とひとり得心していた。


"Light to Die"が、いつものように哀感と浮遊感と幽かな怒りとともに始まる。

ここまでは、「いつもの」と書くことに間違いはない。
また、それは称賛されこそすれ、揶揄される性質のものではない。
裏を返せば、この後は「この日だけの」ものだったのだが、
それもまた、同様である。

曲が中盤に差し掛かったころ、Marさんのマイクスタンドへ歩み寄り、
コード付きマイクを取って胸に抱えるようにして中央に戻ったAnzaさんに、
何かただならぬものを、いや、そんな過剰よりもむしろ空虚を感じ、
突如として「不安」と「心配」がアタマをよぎった。

後ろではN氏が急ピッチでマイクの立て直しに奔走するなか、
体をのけぞらせてサビを熱唱するAnzaさん。
さらに、マイク越しではもどかしいとばかりにマイクを置いて、
柵に乗り出し、目を思いっきり閉じ、両手を胸に当て、轟音のなか絶唱したのだった。


このとき、はじめてHPPを観たときのような戦慄とともに、
なぜこのバンドがかくも他のバンドと違うのか、悟った気がした。



あまりに過剰な現在形として提示された存在そのものが孕む圧倒的な強度、
それが引き起こす認識の脱臼によってもたらされる驚異と眩暈(ときに恐怖)、
一瞬にして頭の中を脱色し空白を生じしめ、その場を占拠してしまう視線、
まったき現在形としてのみ成立する事件/アクシデントとしての時空。

いまはこの、断片化された言葉のみをここに止めておくとする。
いずれ機会があったら、解説を試みることもあるだろう。


話をAsiaに戻そう。

曲が終わったあと、
Anzaさんは依然、放心状態といった雰囲気を纏っており、
マイクなしのまま「Are you happy ?」と消え入りそうな声で、
ときに見開かれ、ときに柔らかく歪められた目をむけながら、
オーディエンスひとりひとりに訊いて回る。
その場だけ舞台が開かれているような調子で。

その「舞台」はステージを右側から降りたAnzaさんによって拡張され、
また「Are you happy ?」と訊いてまわる。

どうやらそれに答えたらしいひとりのアタマにポンと手を置いて、
これで満足したのか、ふたたびステージ中央に戻ってきて何やら呟きだす。

なお、この「happy?」なるやりとりがその色合いを変えつづけ、
充実度を高めていった点にこそ今回のツアーの有り様が凝集されてもいるのだが、
それはまだ先の話だ。

この時点では、オーディエンスはただ圧倒されるだけで、言葉を呑みこむよりほかなかったのである。


N氏がマイクを渡すと、左手で髪を押さえたまま右手で受け取る。
Marさんがゆらゆらと前後に揺れながら不穏なシグナルを発し、
機材に腰かけたHiroさんがクリアなタッピングで彩りを加える。

"sacrificed"が、いつもより「怒」も「哀」も増強されて、
序盤とは打って変わった重さと炸裂感でもってプレイされる。
たじろいだまま目を見張るだけだった。



チリーン、という音で"Sixoneight"へ。
きっと何か起こるだろう、と覚悟に似た予感が告げる。

もはや立っていることすらやっと、といった絶え絶えな歌声が、
悲しそうというより、辛そう、という言葉を選ばせてしまう。

歪められた悲痛な表情は、どこか必死で頑ななこどものようでもあり、
為すすべのない者が浮かべる表情の空白をわたしたちは晒していたはずだ。

バンドサウンドが合流し、音ともにゆっくりと感情がかたちを成していく。
消え入りそうな声、束の間の「音=感情」の爆発、いま一度の静寂。

ほとんど泣き声となった歌声、精神崩壊寸前に見える表情。
這うようにして前の方にやって来て、手を伸ばした。


「それ」が起こったのは、この時だったと記憶している。

AnzaさんがIさんの手を強く、引っ張るように握り締めたのは。
そして、Iさんが何かを理解したかのようにこうべを垂れたのは。
同じく、やはり深くこうべを垂れるAnzaさんとIさんの間に、
何かが共有されたことを知らされた。その相似形の姿に。

「それ」は、わずかな間の出来事にすぎない。
しかし、時間の長短などは所詮、相対的な多寡でしかない。
この時、時間はふたりの絆に遠慮してゆっくり流れたに違いないのだ。
永遠にも似た、ひととひとの関係が持ちうる神聖さを見た気がした。
感動せずにいられなかった。だが、すぐにも次の衝撃が襲いかかる。


手を放し、すっと立ち上がり中央へ。
いつもは「Diiiiiiie!」と伸ばされ叫ばれるところが、
瞬時の反転と同時に「DIE!」と短く切り取られた叫びでなされる。

あまりの唐突さと声の強さに、
まるで鮮血が飛び散ったかのような生なましい衝撃を受けた。

あとは茫然とその終局を見守るしかなかった。


アンコールとなって、ひとりふたりと姿を現す。
耳元で何か伝え合っていたが、どうやら曲の変更だったらしい。
(当初は"Cray Life"の予定だったようだ)

髪を結んで戻ってきたAnzaさんが、うつむきながら照れ笑いをもらしつつ、
「MCは慣れてないけど…」と話し出した姿を見て、正直ホッとした。



その分、アンコールの"Chain"は激烈な曲なのにどこか幸福感すら漂っていて、
ショウの締めくくりに相応しい、明るい大団円となったのだった。


SET LIST
1. S.E.
2. Nowhere
3. Desecrate
4. Labyrinth
5. Light To Die
6. sacrificed
7. Sixoneight
Encore
8. Chain


その後のことは、言葉少なにとどめよう。

Anzaさん、やはりかなり参っていたようで、
終演後、開口一番に「ごめんね~」とIさんに声をかけていた。
「今日だけはホント、勘弁して…」と。

かけるべき言葉の見つからないわたしたちは、ただ黙って頷いていた。



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1曲目に"S.E."とあるのは当時のイントロで、結局どこにも収録されることなく終わった、いまとなっては幻の曲だ。確か、2009年10月のO-West公演か、同12月のBlackhole公演から演奏していたはずだ。わたしはこのイントロがいちばん好きだった。いや、いまでもこれを採る。いつかまた、聴くか観る機会があればと思っている。


このブログは難産だった。これにつづく「Fuse the soul」ツアー3公演までは書くことができたものの、その後は不可能となってしまった。書けないだけでなく、読んでもらえないことに苦しんでいた。(その後のさして変わらないが。)かろうじて書き継いできたのは、わたしなりのHPPへの敬意としか言いようがない。

しかし、わたしのことはどうでもいい。8日のブログにあるように、あのときのライブが(仮に事情を知らなかったとしても)異質なものであったことは、読んでいただいたいまとなってはお分かりいただけるだろう。機材トラブルに端を発したAnzaさんの一連のパフォーマンスは、途轍もない緊張感をもたらした。

それだけに、アンコールは文字通り開放感があった。ライブにおける"Chain"に幸福感が付加されたのは、このときだったとわたしは思っている。これもまた、漸進的な変化を遂げていたHPPの一コマであり、かつ、決定的な一コマだった。それについては、いずれ述べることになるだろう。


Anza語について、言い淀んでいた箇所があったが、それはこの2年後、書かれることになった。
もうひとつ、言い淀んでいた箇所がある。それこそが、今度こそ書かれねばならない。もう3年になるのだ。


その前に、「Fuse the soul」ツアーのブログを再掲しなければなるまい。
明日か明後日あたりに、まとめて投稿する予定だ。



4 件のコメント:

  1. 当時、このブログを胸が締め付けられるような・・・
    鼓動が早くなるのを感じながら読んでいたと記憶しています。

    文章から伝わってくる緊張感に【何かが起きたのだ】と・・・

    今読んでもやはり張りつめた空気を感じます。

    ただ救いだったのはIさんとのやり取りがあったことです。
    Iさんの存在は大きいですね。


    因みにアンケートは【The Agonist】って書きました(^^)

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    1. そうなんです。書いているときですら、ピリピリしていました。
      ブログを投稿したのは、たぶん月の半ば。
      9月8日から10日くらい経っていたはず。

      あきらめずに書いてよかったと、その後何度も思いました。
      いま再掲してみて、またそう思ったのでした。

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  2. あの日大雨だったよね。
    あの日のことも記憶は薄れつつある。
    忘れないけど、思いだすことを心のどこかで禁じている。
    胸が痛くなるから。
    それがどの感情に基づいたものかはわからないのだけど。

    あの日のライヴはHPPのライヴの中でも最も印象的なものの一つであったのは今もって間違いない。

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    1. そうです。大雨というか嵐でした。
      外に出られなくて、職場から外を眺めていました。

      わたしは逆に、この頃のことはよく思い出します。
      自分にとってのPoint of no returnというか。
      忘れないことを自分に課しているというか…。

      あの日は何の境目だったのだろうかと、自問しています。

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