2013-09-13

HEAD PHONES PRESIDENT on 'Fuse the soul' Tour in Sep 2010



「Fuse the soul」と銘打たれた東名阪3公演は、
2010年9月10日金曜日の大阪公演から3日連続で行われた。

前ブログでも書いたように、このツアーはHEAD PHONES PRESIDENTがカナダのDOMENICAを招聘し、自らトリをつとめるという形式で行われたものだ。今月末に行われる「ロックとファッションの複合イベント」としての「FUSE THE SOUL」とは、連続性も共通点も少ないが、HPPが意欲的な活動を展開した記念すべきツアーだったと思う。


HPPが如何にこのツアーに力を入れていたのか、そのセットリストを見るとよくわかる。3公演で毎回演奏した曲は3曲だけ(イントロを入れると4曲)で、2回演奏が4曲、1回だけ演奏が19曲と、一日ごとにセットリストの約半分を入れ替えていたのだ。ここまでセットリストが毎回異なるツアーは、後にも先にもこのときだけだ。3日連続だからその間には長距離移動もあるし、よくやったものだといまでも思う。


以下に、その3公演について書かれたブログをまとめて再掲する。私事は削除した。
もちろん、旧マイスペ時代は1公演ずつ書かれたわけだが、いまとなってはこの長さでも構うまい。
そもそも、わたしは3公演まとめて書くつもりだったから、これが真の姿であるとも言えるのだ。

それでは、読んでいただこう。
前ブログと連続しているので、未読の方はそちらを先に。



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9/10 at Club Vijon (Osaka)


予定より30分押しの20:30ごろにスタート。

幕が開くと同時に始まるイントロのSE。
毎回書いているように、始まる前から放出される磁場によって、
すでにしてHPPのショウは形成されている。

Anzaさんは黒キャミに白スカート、と今年の標準装備。
"Nowhere"から"Desecrate"へとつづく導入部では、Asiaでやっていたような煽りは抑え目。
むしろ、じっくりとその世界観を浸透させる役割を果たしていたようにさえ思えた。
同じ曲、同じ演者だというのに、受ける印象が毎度異なるのがHPPのライブである。



このまま最近の「定番」がつづくのかと思いきや、曲は久々の"Snares"へ。
個人的に大好きな曲であるのみならず、後のアグレッシヴな"Labyrinth"登場の橋渡しをした、
HPPにとっても転換点にあたる重要な曲でもある。(と、わたしは思っている)
重厚なリフと激しい展開、空虚さと哀感と怒気を孕んだ曲調は、HPPならではの世界観だ。

さらに、2月以来の"Just Like?"がつづく。
次から次へと新たなパートに展開していく比較的ヘヴィなナンバーだが、
ライブだと重々しさよりも(解放感とまでは言わないが)奇妙な心地よさを感じる。
(満たされた羊水に視力を失った状態で浸る、とでもいったイメージが浮かぶ…)


ここで、セッション的な短めのインタールード。
Batchさんのパーカッシヴなドラミング(一部素手による)に、
MarさんとNarumiさんが音を重ねていき、Hiroさんがソロをとる、
というのが基本的なスタイルだが毎回その内容はかなり違っていて、
この日は中央のAnzaさんの動きに合わせた伴奏的な印象。

そのAnzaさんは、ゆっくりと歩いては止まり、歩いては止まり、
振り返り、上を見上げ、俯き、フロアを見渡し、手を合わせる。



「Please, my friend, my family, live happy, please」

そう口にしていた。ならば、つづく曲は"Light to Die"しかない。

ステージの高さと、それに伴う見上げる角度もあったのかもしれないが、
この日の"Light to Die"はいつにも増して天に昇るかのような飛翔感があって、
見上げたその先にある「光」をつい思ってみたのだった。


"Hang Veil"で会場の空気に哀しみを織り込み、
"Chain"でふたたび怒気を重ね、曲は"Cloudy Face"に。

Asiaのときからそうだったのだが、Batchさんのドラムの抜けがズバ抜けてよく、
その威力が全開となったのがこの曲だった。粒の揃ったベースドラムが気持いい。


曲が終わって、Anzaさんが「Are you happy?」と訊いてくる。
Asiaのときと同様に、はじめは固まって反応できなかったオーディエンスであったが、
2回目か3回目に訊いたとき、「大丈夫やで!」という声があがり、多少空気が和らいだ。

二週間近く経ったいま考えるに、この答え/応えほど相応しいものはなかったように思えてくる。
そもそも、「幸せ?」という問いに「大丈夫!」とは、おかしい応答であるのだ。
にもかかわらず、もっとも相応しい答え/応えに思えるのは、その前後に言葉を足せばわかる。
これは、「(われわれは)大丈夫(だから、心配しなくていいよ)」であり、
同時に、「(われわれは)大丈夫(だけど、Anzaさんは大丈夫?)」でもあって、
応答者がそう意図した/しないは、もはや関係ない。
この応答は、そのように機能したのだ。

その答え/応えを受けたAnzaさんが、どのようにそれを受け取ったのかはわからないが、
翌日、その訊き方が変わったことから意識下無意識下を問わず、何らかの変化があったに違いない。



そのためかはわからないが、この日の"sacrificed"は前回の激烈感よりも、
もっとオーガニックな質感だったように記憶しているのだが…これは記憶の改変かもしれない。


Batchさんが素手でプリミティヴかつシャーマニスティックにドラムを叩きだす。
まるで、地霊を呼び起こすか鎮めるかのような、呪術的な響きがある。
ギターをレスポールのブラック・ビューティーに代えたHiroさんが音を重ね、
"Remade"が静かに、地面から湧き上がってくるように、始まる。



"Remade"も"Light to Die"と同様に「祈り」の系譜に連なる曲だ。
ただ、"Light~"が絶対神的なものへの怒りを含んだ祈りを感じさせるのとは違って、
この曲は偏在する八百万の神へ語りかけるような祈り、とでも言いたくなる節がある。
「祈り」の形態を、前者は「垂直的」、後者は「水平的」と便宜的に峻別してもいい。


ふたたび、セッション的なインタールードへ。
今度は、Anzaさんが声と歌の中間、といった音節をループさせて重ねていき、
そこにバンドが合流していくというもので、どんどんリズミックになっていったり、
HiroさんとMarさんがメロディを絡めていったり、と同時多発的。

「最近のバンドはセッションができない」とは伊藤政則氏がよく仰ることだが、
「HPPほど優れたセッションができるバンドはいない」とわたしは言うことにしよう。


セッションが行きつくところに行きつき、「Savage in my heart...」との呟きが。

バンドにとってテーマ曲的な位置にある曲のひとつ、
"I will Stay"が久々にその凶暴さを剥き出しにして襲いかかってくる。
はるか前からそうだが、スタジオヴァージョンとは比べ物にならないヘヴィネス。
そして、込められたあらゆる想いの、一切の秩序を失った発散。

この時だっただろうか、衝動の赴くままに暴れるNarumiさんのベースのヘッドが、
Marさんの即頭部を直撃したのは?(流血を危惧したほどの勢いだった)
それでも演奏が乱れることはなく、カタストロフィックなエンディングへ。

最後に「I will staaaaaaaaaaaaaaaaay!」と叫ぶところでは、
AnzaさんだけでなくMarさんもギターを弾きながら、上体をのけぞらせて叫ぶ。
そのとき、動きがシンクロしたかのようにまったく同じ姿勢となったふたり。
ここでもまた、「絆」とでも呼ぶしかないものを感じることとなった。



アンコールでは、Batchさんの短いドラムソロにつづいて、
先日のAsiaと同じくAnzaさんが(やはり、照れながらの)MC。
DOMENICAの紹介と感謝を告げ、曲は"Labyrinth"で最後にまたモッシュ。

Marさん、あまりの熱演であの高いステージを降りてしまい、
最後は激しくヘッドバンギングしながらフロアでリフを刻みに刻み、
終わった後は放心状態だったのか、自力で立ち上がることができず、
周りのファンの方々に支えられながら、やっと歩き出したのだった。


SET LIST
01. S.E.
02. Nowhere
03. Desecrate
04. Snares
05. Just Like?
Short Session
06. Light to Die
07. Hang Veil
08. Chain
09. Cloudy Face
10. sacrificed
11. Remade
Session
12. I will Stay
Encore
13. Labyrinth

緑色は大阪公演のみの演奏



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9/11 at Heartland Studio (Nagoya)


この日も予定時間を20分ほど押した20:20すぎにスタート。
会場は壁も床も天井もすべて白、とめずらしいライブハウス。

名古屋公演ということでAnzaさん(そっくり)の弟君や妹君の姿も。
(妹君は次女か三女かわからず、また確証もなし。でも同じ声してたから…)


幕がまだ開かないうちに聴こえてきたAnzaさんの声。
ギターの音とほぼ同時に幕が開き、
スカート前部が膝上までカットされた新衣装のAnzaさんの姿が。



そのまま「最近の流れ」になるのかと思いきや、
まさかの"Life Is Not Fair"で驚かされる。

徐々にその密度を高めていき、臨界点に達したところで激情が爆発、
激しくハネるリズムにのってフロアでは早くもモッシュが起こる。



"Nowhere""Desecrate""Labyrinth"と矢継ぎ早に繰り出される曲に、
モッシュはその騒乱の度合いを高め続け、さらにはコーラスの合唱さえ起こる。
国内で、はっきり聞き取れるほどの合唱が起こったのは初めてなのでは?

モッシュもコーラスも、少し前までは考えられないことだった。
HPPのライブといえば、オーディエンスは静観することしかできなかったのだ。
その世界観の密度があまりに高く、われわれは圧倒されて動くことすら躊躇われた。

IN THIS MOMENTとの最初の共演、そして「LOUD PARK 08」の出演以降、
バンドのパフォーマンスの漸進的な変化によってできた(煽りとかの)「隙間」から、
新たなライブの場が形成されようとしており、今は長い変化の真っ只中なのである。


ここで短いセッション。この日はHiroさんの叙情的な美しいソロがいつも以上に冴えていた。
こういったソロを、いわゆる「クサメロ」とは無縁の領域で弾けるのだから、
ソロ・アルバムを期待しないわけにはいかない。(ソロライブはあったが)

ソロがひと段落したところで、Anzaさんの「Are you happy?」が。
はやくも「Yeah!」と声が上がる。Anzaさんの表情も和らぎ、何人かの頭を撫でる。

Asiaで行われたような、ギリギリの地点から発せられた鬼気迫る問いかけはそこにはなく、
もっと平素の精神状態に近い、いや、ごく普通な応答として、このやりとりは行われた。


「My friend, family...」と言いながら天を指さすAnzaさん。
Marさんがコードを鳴らしだして"Light to Die"が始まる。

両足を大きく踏ん張って歌う姿は、前日の神々しさとは違って人間的なそれであり、
等身大のAnzaさんというか、「いますぐそこで歌っている」ことに目を見張らされる、
とでもいった印象だった。



ふたたび、英語を流用したAnza語で、何事か囁きはじめる。
「I will be a star in the sky...」といった意味のことを呟いた覚えがある。
(すでにライブから二週間近く経過しているので、この辺はご諒承されたし)

曲は、去年のワンマン以来の"star"だ。
しかし、オリジナルと異なるサウンド、異なるアレンジのリフで、
はじめは何だかわからなかった。
"star"だとは思ったが、違う曲のように聴こえたのである。

こうして、よりヘヴィになったサウンドで聴くと、
曲の「成長」「変化」「重層化」に驚かざるを得ない。


それは、つづいてプレイされた"puppet"にも当て嵌まる。
それでいて、オリジナルを特徴づけていたアジアンなテイストや、
歌メロやギターソロのラインが持っている妖しさは失われてはおらず、
メリハリのついたヴァージョンとなっている点が素晴らしい。



Anzaさんが人差指を立てて唇につけ、「シィィィーッ」と場内を制する。
"Cray Life"が原曲通りのユニゾンで始まり、印象的なギターハーモニーへ。

水滴が滴り落ちるかのような美しい音色のクリーントーンと、
手数の多いドラム、ヘヴィに炸裂するリフとの対比が見事。
さしてアイコンタクトを取るわけでもないのに、
ピッタリと息の合うギターは言わずもがな。


Narumiさんのベースが"f's"の異様な世界へとわれわれを導く。
この前日にプレイされた"Just Like?"と同様に、
次々とパートが展開していく、ヘヴィかつストレンジな曲だ。

神経症的な心象風景が浮かんできそうな「危うさ」を感じさせる。
「障らぬ神に祟りなし」なる諺の、「障らぬ神」とはかくの如しであろう。


Batchさんのドラムが「あの」フレーズを奏で出す。
"Endless Line"の、"Light to Die"とは一味違った浮遊感に会場が満たされる。

これまたHPP以外ではおいそれと出会うことのない奇妙な、しかし美しい曲だ。
その美しさにヒビが入り、亀裂から叫びが漏れ、拡がった裂け目から終末へ。



重たい雰囲気を空気に刻印したまま、セッション的なインタールードが、
前日と同じくAnzaさんのヴォーカル・ループを起点に始まった。

リズミックな印象の強かった前日とは違って、
この日はもっとメロディにウェイトが置かれていた。
(この点、短めのセッションも似た印象である)

締めはやはり"I will Stay"の「この日の」ヴァージョン。
"Sixoneight"の登場以来、やらないことが多くなっただけに、
二日連続で観れたのはうれしかった。


アンコールでは、メンバーがBatchさんのほうに手を向け、注目を促す。
凄まじいショットとキックの連続…だったが、スティックを落とした上、
出てきたAnzaさんに「うるさーい!アタシしゃべんだから!」と言われてしまう。

とくに照れた様子も今回はなく、
「みんな、アタシしゃべれないと思ってんでしょ!」とさえ言う。


来てくれたファンに謝意を告げて"Chain"が、
やはりどこか幸福感すら漂わせ、演奏されたのだった。


SET LIST
01. S.E.
02. Life Is Not Fair
03. Nowhere
04. Desecrate
05. Labyrinth
Short Session
06. Light to Die
07. star
08. puppet
09. Cray Life
10. f's
11. Endless Line
Session
12. I will Stay
Encore
13. Chain

橙色は名古屋公演のみの演奏



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9/12 at Boxx (Tokyo)


いつもはセットチェンジに最低25分はかかるのだが、
この時ばかりは20分弱とかなりの短縮に成功、
客電がスッと落ちてステージを覆う幕が開く。


この日のAnzaさんの衣装はワンマンの時のように凝ったもので、
黒字に金を施したビスチェ(肩紐のないコルセット的なもの)は、
表がブーツを模しているのか紐が胸のところまで結ばれていて、
後ろは腰のところに薔薇を模したリボンが付いている、というもの。

いつものキャミソールと違ってドレッシーな衣装ゆえ、
「正装」しての登場にいつもとは違うライブになることが早くも窺われる。



もはやお馴染みとなって久しいイントロにつづいて、
"Hang Veil"からこの日のライブが始まった。

水面に小さな波紋が広がっていくような繊細さのメロディをMarさんが奏で、
残酷な悲劇の始まりを告げるかの如きリフが、暴虐的に刻まれる。

儚げな美しさと、その美を破りかねない激情の発露との交差が生むダイナミズム。
それは、あらゆる曲にHPPならではの「指紋」として刻印されてはいるが、
この曲はもっともその対比がわかりやすいもののひとつであり、
会場をHPP色に染め上げるに極めて適したナンバーである。


曲が終わって"Nowhere"のイントロがつま弾かれているなか、
前方に来てフロアを見渡したAnzaさん、
「みなさぁ~ん、いかかですかぁ~?…いきますわよ~」
と、うつろで間延びした言い方で、少し冗談めかした煽りを披露。
言い終わると同時にリフが炸裂、場内の熱気が一瞬で高まる。



この日もコーラスでは声が上がっていた。
何かが、ターニングポイントを迎えていることに間違いはない。

"Desecrate"からの"Labyrinth"でその熱気はさらに膨張するが、
曲が終わると突然、異質の空気に会場が満たされ、静寂が。


Anzaさんがしっかりした表情で「Are you happy?」と声をかける。
すぐさま「YEAH!!!」と応える大勢のオーディエンス。繰り返される応答。

Club Asiaでの(わずか四日前の)ライブを観たひとは、
その違いに驚いたかもしれない。いや、間違いなく驚いただろう。

わたしは、間の大阪・名古屋公演を観ていてなお、その変化に驚いていた。
それと同時に、うれしさも感じていた。Anzaさんの、精神的な恢復を思って。



Marさんがコードをかき鳴らし"Wailing Way"の開始を告げる。
7月の水戸公演で(たぶん初めて?)披露されたときと同じく、
コーラス後のギターソロと二番はカット、という短縮版なのだが、
その分、込められた想いの重さがストレートに伝わってくる。



Anzaさんがステージから姿を消し、セッションへ。
実は、セッションでAnzaさんがいるといないとでは大きな違いがある。
時間的なものではなく、音楽的な違い。
少なくとも、わたしの印象では、そうだ。

ワンマンでなければ滅多に観られないのが惜しいのだけど、
Anzaさんがいるときはより装飾的な音として聴こえ、
いないときはより密度の高い、有機的な音の繋がりとして聴こえる。
(いや、これでは語弊がある…まだうまく言えないことをお許しあれ)



端的に言うと、後者の方がメロディの多い印象があり、
毎回、オーガニックで心地よいサウンドを提供してくれる。
それも、どのバンドにも似ていない心地よさの。

Anzaさんが舞台の仕事などでバンドを離れているときは、
是非とも四人編成のインスト・ライブを観たいものだ、と毎度のように思った。


黒のミニスカートに着替えたAnzaさんがゆっくりと戻ってくる。
その間にエレクトリック・シタールが用意され、
"A~La~Z"のアルペジオをHiroさんが弾きだす。



水にゆらゆら浮かんでいるような、
水底からゆらゆら揺れる光を眺めているような、揺らぎのある曲。
シタールの音色とパーカッションの効果で、南アジア的な印象もある。
ただし、陽ざしの厳しい昼ではなく、漆黒に塗り込められた夜の、だが。


セッションからつづいていた有機的な柔らかい音の連鎖が、
"Corroded"の硬質なベース音で違うフェイズへと移行した。

昨年のワンマン以来となるが、実にヘヴィである。
底辺を這うようなグルーヴ、怒りと哀しみを往還するメロディ、
そのどれもが心に突き刺さってくるかのごとき刺を潜めている。


さらに、2008年のワンマン以来となる初期ナンバーの"Room"が、
オリジナルとは比較にならないヘヴィネスでもって畳みかけてくる。

"Sand"のように謎めいたイントロや展開で構成されてはいるものの、
そそり立つ壁の如きリフの迫力が、HPPの数多いリフの中でも異質だ。


久々の曲がつづくなか、
個人的に極めて思い入れのある"ill-treat"には昂奮せざるを得ない。

その音を聴いていると、
あらゆる厳しい悲しさを担わされた者がその重さに押し潰され、
倫理的な怒りが不条理に屈し、ついには発狂に至る…
というストーリーを思い浮かべてしまう。

(精神的な)重さ、という点では屈指の曲ではあるのだが、
ライブという空間に放たれるとパフォーマンスの鮮烈さのため、
ある種のカタルシスが得られる曲でもあるのだ。
浄化されたものが何なのか、それは判断付きかねるが…。


"wandering"がこれにつづいた。
これも極めて思い入れの深い曲で、何をどう書いたらいいのかわからない。

救いをあきらめた者の彷徨、とでも言おうか?



"Lie Waste"が、哀しみに満たされた会場に追い打ちをかける。
轟音とともに破砕した感情が畸形的な変形を見せたかと思えば、
ふたたび理性を取り戻して哀しみに沈み、そして最後は咆哮。
変転しつづける曲展開がなぞるその「想い」に、否が応でも同調させられてしまう。


たしか、ここで「My friend...」と言った覚えがある。
"Light to Die"かと思いきや、チリーンと鳴らされたその音が、
"Sixoneight"の開幕と、ライブの終幕を告げる。

クレイジーな曲展開をせねばならないほどの「想い」、その重さ。

それと並行して、哀しむ心の「優しさ」を感じる前半部では、
Asiaのとき同様に、Iさんの手をAnzaさんが握る。
目の奥に力強さを、表情に優しさを感じさせながら。

「Are you happy?」のやりとりがあったからだろうか、
わたしには、これがAsiaでAnzaさんがIさんに言った、
「ごめんね」の返答にも思えた。「もう大丈夫」、というような。

中盤以降、軋んだ「想い」の決壊で一気にアグレッシヴなパフォーマンスに。
かつては見入るよりほか仕方のなかったオーディエンスも、
Marさんとともに「DIIIIIIIIIIE!」と蛮声を上げる。

行きつくところへ行きついた「想い」の暴走が終わり、
いま一度、哀しみと同義の静寂を会場にもたらす。


バンドがカタストロフィックな爆音を叩き出すなか、
AnzaさんがMCを取り出した。もはや照れた様子はない。

ツアーのこと、スタッフやメンバーやファン=ファミリー、
DOMENICAとそのレーベルや、ゲストなどへの感謝の言葉。


当然の光景と言えばそれまでだろう。
それでも、充足感と達成感に満ちた空間で述べられたわずかな言葉は、
その場にいた者すべてを笑顔にさせずにおかなかったのである。


SET LIST
01. S.E.
02. Hang Veil
03. Nowhere
04. Desecrate
05. Labyrinth
06. Wailing Way
Session
07. A~La~Z
08. Corroded
09. Room
10. ill-treat
11. wandering
12. Lie Waste
13. Sixoneight

黄色は東京公演のみの演奏



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以上が2010年9月の「Fuse the soul」ツアー3公演を追った、3年前のブログである。

なお、BARKSにある東京公演のライブレポは、セットリストに誤りがある。当日、アンコールは2曲予定されていたものの行われることはなかった。進行が押したためだ。(残念なことに、これ以後、この手のやむを得ない演奏曲カットは度々なされている。)


さて、3年前のわたしは、9月8日のAsia公演ブログでこう書いた。
「happy?」なるやりとりがその色合いを変えつづけ、充実度を高めていった点にこそこのツアーの有り様が凝集されてもいる。
3公演の間、この言葉の内容は少しずつ変わっていった。緊迫した空虚から、あたたかみのある充溢へと180度転換していったのだ。わたしは驚きをもってライブを観ながら、その様に感動したことを覚えている。


いま、こうしてかつてのブログを読み返し、かつ画像を貼りながら振り返ってみて、ライブにおけるMarさんの強烈な存在感にあらためて打たれている。Marさんの存在は、HPPにとって間違いなく不可欠だった。にもかかわらず、HPPは四人編成として再生することができた。

この背理が詭弁ではなく事実であること、変わることと変わらないことの弁証法的関係、『Stand In The World』はHPPの何を変え何を変えなかったのか、彼らの表現する対象や手法や背景、そして考え得るこの先について、わたしは未だに書きあぐねている…。


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