2011-03-20

Unknown Pictures at Louvre

  

11日にあげるつもりだったブログです。


さる9日に、パリ帰りの方々からケータイで撮ったルーヴル所蔵の絵画を数点見せられ、
「これ知ってる?」「この絵だれのかわかる?」との質問を受けるもその場では答えられませんでした。

それで、帰宅後すぐに調べて絵が誰のものか特定していたのですけど、翌10日は花粉症で潰れてしまい、
翌々11日は地震で交通網が遮断されて帰宅すらできず、その後はタイミングを逸しつづけたままでした。


被災されている方々が何万人もいるのに、のうのうとこんなもん書いてていいのだろうかと気が引けますが、
それはそれ、これはこれ、と強引に割り切ることにして、以下に絵の解説的な雑文を連ねてみます。


順番は、作品の年代順にしてみました。
あと数点あった気がするけど、当たり前ながら覚えているものしか調べられないので、5点のみです。



Daniel SEGHERS (1590-1661)
Domenico ZAMPIERI (1581-1641), known as DOMENICHINO


Le Triomphe de l'Amour avec Entourage de Fleurs (1650's?)


「花の画家」ダニエル・セーヘルスドメニキーノの絵画に花飾りを描いた『愛の勝利と花飾り』です。

年代は特定されていないようですが、セーヘルス晩年の作品らしいので、おそらく1650年代のものでしょう。

「ドメニキーノ」の愛称で有名なバロック期のイタリア人画家ドメニコ・ザンピエーリの作品に、
ネーデルラントはフランドル地方のセーヘルスが精緻な花飾りを施した、という作品のようです。
(ネーデルラントはオランダ、フランドルはフランダース=南オランダ北ベルギー北西フランスです)

一目見て、ああコレはマニエリスム以降の画家の作品だろうな、とは思ったし、
精緻極まりない花の描写からオランダ人画家だろうとも思ったので、調べたらすぐにわかりました。

ヤン・ブリューゲル(父)に師事したセーヘルスはイエズス会士でもあったようで、
「すべてを可視化せよ」というイエズス会の方針とも合致した、宗教性と寓意に満ちた作品となっています。

どこからどこまでがドメニキーノの描いた部分なのかは、わかりませんでした。
たぶん、中央の天使と花飾り以外がドメニキーノの筆によるものと思われます。

描写に関しては傑出した技能を持っていたオランダ画家のなかでも、
「花の画家」とまで呼ばれたセーヘルスのそれは、PC上の画像でもその技量が伝わってきます。
師であるヤンも「花のブリューゲル」と呼ばれています。いつか見比べてみたいものです。

なお、セーヘルスはヤンの正当な後継者として当時から世評が高かったようです。



Nicolas de LARGILLIERRE (1656-1746)


Études de Mains (1715)


ロココ期のフランス人画家、ニコラ・ド・ラルジリエールのユニークな『手の習作』です。

初期はステュアート朝イギリスで、その後はフランスアカデミー会員としてフランスで、
主に王族や貴族など上流階級の肖像画をたくさんものしていた画家です。

パッと見、少しグロテスクな印象があったのでマニエリスム期の画家かなと思ったのですが、
王道中の王道をいく中央の画家が、題にあるように「習作」として描いた作品のようです。

でもどこかユーモラスなところがおもしろいし、それゆえに習作にも関わらず生き残ったのでしょう。
いかにも貴族らしい、ぷにぷにむちむちとよく肥えたこどものような手の数々が、なんともおかしい一品です。



Jean-Hippolyte FLANDRIN (1809-1864)


Jeune Homme Nu Assis au Bord de la Mer (1836)


アングルに師事した、ジャン=イポリット・フランドラン『海辺に座る裸体の青年』です。

一目見たときシュルレアリスム期の作品かと思いつつもどこか違和感を感じたのですが、
それもそのはず、アカデミーの画家が19世紀前半にこんな大胆な作品を描いていたとは思いませんでした。

一言でいえば、当時のアカデミーが認める画家及び作品は伝統主義的・保守的なものがほとんどです。
(もちろん一枚岩であるはずもなく、内部では派閥の対立がいくらでもあったのですが)

歴史画/宗教画、肖像画、風俗画、風景画、静物画の順でランクが下がっていきます。
絵画に限ったことではないけど、こうした序列はいつでもどこでもあるものです。
(音楽も、なんとなくクラシック、ジャズ、ポップ、ロック、となってませんか?)

アカデミーは、そのうち上位を取り扱っていたわけです。とくに上位ふたつを。

歴史画/宗教画が上位を占めていた時代にこうした作品が評価されていたことは、
アカデミーの(意外な、と言っては失礼?)懐の深さを窺わせて、とても興味深く感じました。
(まあ、大した評価ではなかったかもしれないのですけど)


【参考リンク】
HODGE'S PARROT 「ルーヴル美術館で最も美しい絵」
Kamio Gallery 「No.508 イポリット・フランドラン」



John MARTIN (1789-1854)


Pandæmonium (1841)


イギリスのロマン派画家、ジョン・マーティン『パンデモニウム(伏魔殿)』です。

ミルトンの『失楽園』に材を採っているとはいえ、なんとも恐ろしい絵です。

はじめ、「イタリア人画家のフロアにあったかも」と言われたので、
イタリア人で廃墟と言えばモンス・デジデリオ、なのでそうだろうと思ったけど違い、
そもそもデジデリオ的な建築物の垂直感に欠けていたから違っても大して驚かず、
じゃあカスパー・ダーヴィト・フリードリヒとか「崇高」周辺の画家だろうと再度探してたら、
ああ~忘れてた、あんなのジョン・マーティンしかいねぇや、と気づいて探索終了でした。

メタルを聴くひとには、ANGEL WITCHのあのジャケのひと、と言えばいいかもしれません。
パリ帰り御一行のお一人は「メタルな絵」と言ってましたが、様々な文脈において完全に正しい表現/評言です。

旧約聖書や神話や『失楽園』の一場面を、これでもかというほど鮮烈なイメージで描いたマーティン。
ソドムとゴモラの崩壊や大洪水など、旧約の内容は当時「歴史的事実」だったので、
彼が描いたダークでアトモスフェリックな幻想画は、ジャンル的には「歴史画」でした。

ただ、あまりに鮮烈な描写、動的な構図、そしてなにより題材の終末感から賛否が別れています。
同時に、その「崇高」な絵の強烈さから、「狂ったマーティン」との異名をとることもあります。


ちなみに、「崇高」とは詩学ないし美学の用語で、
「美」と対立するもの、もしくは「美」の一種として定義されています。

小ささ・円環宇宙・直線・完全性・人工・画一的・安定・有限の「美」に対する
巨大さ・無限宇宙・曲線・不完全・自然・多様性・不安・無限の「崇高」といったところです。

ごく簡単に表現してみますと、
都市にある教会などの建築物を見て「わ~キレイ…」となるのが「美」で、
旅先の険しい山や渓谷を訪れて「うわ~スゲェ…」となるのが「崇高」です。
(ここら辺はいくらでも長くなってしまうので、ここらで打ち切ります)


【参考リンク】
無為庵乃書窓「Gallery-V ジョン・マーティン」



Hippolyte DELAROCHE (1797-1856), known as Paul DELAROCHE


La Jeune Martyre (1855)


アカデミー派、ポール・ドラロッシュ(本名はイポリット・ドラロッシュ)の『若い殉教者の娘』です。

ロマン派のジェリコードラクロワ、新古典派のアングルダヴィドなど有名どころとほぼ同世代で、
1970年代になるまで「保守的なアカデミー派」の一人として忘れられていた画家でもあります。

そもそも、いちばん初めに「これわかる?」と聞かれたのがこの作品で、
「湖に天使の輪がある、手の縛られた女の子が浮かんでいる絵」という言葉だけを頼りに探したのでした。

「水に浮かんでいる女の子」からジョン・エヴァレット・ミレイ『オフィーリア』を思い、
ミレイじゃないけどオフィーリアを描いた作品かもしれない、で探したらすぐ見つかったのでした。
(なお、『落穂拾い』のジャン=フランソワ・ミレーと区別するため「ミレイ」表記とします)

ちなみに、オフィーリアとはシェイクスピアの『ハムレット』の登場人物で、
その悲劇性と知名度から、絵画のモチーフにされることが多い架空の人物です。
(夏目漱石の『草枕』にもミレイの『オフィーリア』が出てきます)

ついでに、これがミレイの『オフィーリア』です。

Sir John Everett MILLAIS (1829-1896)


Ophelia (1852)


話をドラロッシュに戻すと、この絵は知りませんでした。
ルーヴル、2001年に行ったのに気づかなかったようです。

ドラロッシュも、忘れていた名前でした。
漱石が『倫敦塔』で別の作品を取り上げているあの画家か~、と、今回調べて納得した次第です。
(漱石がつなぐ英国のミレイと仏国のドラロッシュ…。おもしろい取り合わせです)


わたしはジェリコーもドラクロワもアングルもダヴィドもかなり苦手でして、
そのためこの時代の画家は英国の方に興味があり、すっぽ抜けていたようです。

アカデミー派の画家は、後の印象派以降の「前衛」たちに「保守」と弾劾・糾弾され、
20世紀も後半になるまで(いや、今も?)ずっと評価が右肩下がりになっていました。

どのジャンルにも言えることですが、サブジャンル傘下のすべてを否定できるわけがなく、
すべからく作品はそれ自体が吟味・鑑賞されてしかるべきなのに、
古今東西において、つねにその時代の評価軸によって作品は浮き沈みさせられてしまいます。
(メタルは論外、本格ミステリやSFは受賞作の選外、ホラー映画は対象外、などなど)

評論家というものが、時代に合わせねば生活を全うできない売文業であるという側面を考慮に入れても、
作品にも作者にも非は一切ありません。運がなかった、とかで済ませるに惜しいものは、たくさんあります。


また話が逸れました。
わたしはこの『若い殉教者の娘』をPC上の画像でしか見れていないのに、感銘を受けました。

どうやらディオクレティアヌス帝時代(284-305)の「大迫害」に時代を設定しているようなのですけど、
宗教画的な仰々しさはまったくなく、殉教という悲劇すら感じさせないほど静謐な安らぎを感じました。

水の描写を見ただけでも、相当な技量が推し量れます。この点、さすがアカデミー派です。
そして、その技量と完成度ゆえに却って「嘘っぽい」と断罪されることになるのが、なんとも皮肉です。


ルーヴルでこの絵を見たとき、感動のあまり身動きが取れなくなり、涙が流れてきたと聞きました。
それだけの力のある、素晴らしい作品だとわたしも思いました。
でも、つまらない認識の壁に拒まれると、これほどの作品さえ忘れられてしまうのだから恐ろしいものです。
どうでもいい偏見に囚われないよう、心がけたいところです。


こんな感じで展示されているようです


【参考リンク】
カイエ「ドラローシュ 若き殉教者と倫敦塔」



ところで、パリ帰り御一行は、昨年秋にはニューヨークに行っていて、
メトロポリタンでアレコレ見て気になる一枚があった、と帰国後しばらくしてから聞かれました。

うろ覚えではあるのだけど、たしかブランコの絵だったはずなので、だとしたらコレしかありません。


Pierre Auguste COT (1837-1883)


Le Printemps (1873)


やはりフランス・アカデミー派だった、ピエール・オーギュスト・コット『春』です。

コットは『オフィーリア』(1870)も描いていて、それもわたしは好きなのですけど、
『嵐』(1880)と対になっている『春』は、メトロポリタンでも人気のある作品のひとつです。

ただ、アカデミー派らしくコットは基本的には肖像画作家で、
おそらく神話に材を採ったであろう『春』や『嵐』のような作品は、むしろ異色作です。


それにしても、フラゴナールの下品極まりないあの『ブランコ』と同じ題材で、
よくもまあこんなにかわいらしい作品を描いたものだ、と感心してしまいます。




以上、慣れない絵画紹介をしてみました。


偶然か必然か、美術史で埋もれがちなアカデミー派が何人もいたのが興味深かったです。

なお、「アカデミー派」とはわたしが勝手に言っているだけで、美術史家も呼称はまちまちです。
それだけ放っておかれている、とも言えるかもしれません。今後、復権されるとしたら彼らでしょう。
(アカデミー派については、ウィキの「アカデミック芸術」を参照してください)

異常なまでの技術的達成と、西洋的教養に根差したモチーフが「過去の遺物」となったのは19世紀半ばです。
それすら遥か昔の過去の出来事となった21世紀の今になっても、彼らの扱いは大してよくはなっていません。
おそらく、当時の絵画に描かれたモチーフの「読解」が困難となっているからでしょう。


でも、絵画とはそもそも「見る」ものであって「読む」ものではありません。
図像学的な「読解」なんぞは、学者や作家やテレビ番組に任せておけばいいのであって、
われわれ素人はただ絵を見て喜んでいれば、それでいいのです。



最後に、蛇足ながらルーヴル所蔵作品でわたしがいちばん好きなものをご紹介します。
でも、作者も題名も伏せておきます。その方が、作品の謎めいた感触と、静謐な余韻が伝わる気がするので…。





3 件のコメント:

  1. MoonさんはArtにも造詣が深いのですね!素晴らしい!
    Ophelia は数年前に文化村で観た憶えがあります。
    テレ東の「美の巨人たち」でも紹介してて、このモデルの少女は何日もバスタブの中に浮かんでモデルになったとか?
    とても神秘的かつ幻想的で不思議と惹きつけられる絵で、私も好きです。

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  2. 素晴らしい!!本当にYouに感謝♡
    こうやって気になった絵の情報を知ると深いとこまで辿りたくなるんだね(笑)
    絵の持つパワー感は音楽と重なる今のmeの栄養源になってます。
    早くフェルメール行こうね!

    A

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  3. >Orangeさん
    こっちに引っ越してから初めてのコメント、ありがとうございます。
    てゆうかこれ、返信的なことできないのか…。残念。

    『オフィーリア』のモデルは、その後ロセッティ夫人になるひとです。確か。


    >A-姉さん
    メールだと長大かつしつこすぎるので、ブログになりました(笑)
    わたしとしては、読んでもらえるだけでうれしいです。

    それにしても、おもしろい作品に目を付けましたね。
    ルーヴル、オルセー、ポンピドゥー…。パリ、行きたいなぁ…。

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