ニュースの時間になったのでテレビをつけたら、
渡辺真理さんの後ろに煙をたてるビルが映っていた。
ビルはツイン・タワーの南塔で、火災は旅客機が突っ込んだためだという。
事故か事件か、判断が付きかねた。
こうゆうときに限って久米さんお休みなんだよな、と思った。
それにしても、こんなありえない事故があるなんて、とも。
21時54分時点では、NHKはまだ字幕スーパーでもニュースを伝えていなかった覚えがある。
22時になると、NHKもニュースを始めた。やはり、事故か事件かわかっていなかった。
ザッピングをしていると、煙の柱がもう一本増えていた。もう一機、突っ込んだと言う。
旅客機衝突の瞬間を、日本のテレビ局がオンタイムで中継したかどうか、覚えていない。
気がついたらそうなっていたのだった。
そして、すぐさまその衝突場面が映し出された。
これが航空事故などではないことを、誰もが悟らざるを得なかった。
相ついで、旅客機はハイジャックされた機体であること、まだ複数の機体が飛行中であること、
ペンタゴンにも旅客機が突っ込んだこと、さらにホワイトハウスに向かっている機体があること、
などが報道された。
その間、映し出されたツインタワーから、構造物とは大きさが違う何かが落ちていくことに気づいた。
人間だ、と思った。そして、たぶんそれは当たっている、とも思った。
テレビをつけてから1時間ぐらいしか経っていなかったころだった。ツインタワーの南塔が崩壊した。
どこかの局の専門家が、あんなに早く崩壊するはずがない、と言っていた。確かに、妙な気がした。
その30分後、北塔も同様の道を辿った。
時間を覚えているのは、その当時、友人たちとメールのやりとりをしていたからだ。
「一時間で潰れたぞ!?」「北はまだもってるな」といったやりとりを。
そういえば、キャンプ・デーヴィッドにも旅客機が落ちた、という誤報もあった覚えがある。
わたしはといえば、翌々日に迫っていた海外旅行の身支度をしていたのだった。
その翌日に足りないものを買いに行くため、早めの準備を意気揚々としていたのだ。
時間の経過とともに錯綜していく報道を見ながら、
旅行ができなくなったらどうゆう手続きをしたらいいのだろう、
パリに行っても同じようなことが起こったらどうしよう、と自分のことばかり思っていた。
実家や友人からも「本当に旅行行く(行ける)の?」と電話で聞かれた。
たぶん、としか言いようがなかったから、そう応えた。やめ方がわからなかったのだ。
翌日、友人と買い物をしながらもずっと不安だった。
結局、パリには難なく着いた。
いや、空港の警備や手荷物検査は、それ以前より厳しかったらしい。
わたしは「それ以前」を知らなかったから、とくに何も気にならなかった。
ホテルのテレビに「New War」という文字を見たのは、何日目のことだっただろう。
アメリカ大使館のまわりには、たくさんの花束が置かれていた。
自動小銃を持った大きな衛兵が何人か、辺りを睨みつけながら歩いていた。
本物の銃火器を目にしたのは、それが初めてだった。とても重たそうだった。
"Imagine"を筆頭に多くの曲がラジオで放送禁止になり、
アメリカのミュージシャンが発する愛国的な言葉に触れる機会が増え、
イスラム社会への敵意と無理解と偏見が際限なく増幅された。
イスラム史を専攻していたわたしにとって、それはつらいことでもあった。
そして、戦争が始まった。
あれを戦争と呼べるのなら、ではあるが。
Hora Fugit. - 時は逃げる。
あのときの旅行のために申請したパスポートの有効期限が、先日切れた。
10年経ったのだ。
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TVに映る光景に【恐い】という感情しか湧いてきませんでした。
返信削除恐怖から涙が溢れ出し止まらなかったことも思い出しました。
あれから10年。まだ10年。
戦争と呼ばれるものは、必ずと言っていいほど宗教が発端になります。
宗教の本来の姿を思えば、その行為は違うのでは?といつも感じますが・・・
信じる力が強すぎるが故の悲しい行為。
非日常的なあんな光景は、もう二度と見たくないですね。
>kanaさん
返信削除恐かったですね。
この先どうなっちゃうんだろうという見通しの不透明感と、
現在進行形の「何か」に見入るしかない、ある種の高揚感と。
311の大地震もそうでしたけど、あのピリピリした感覚は嫌ですね…。
残念ながら、宗教以前に人類が持たざるを得なかった政治性ゆえに、あらゆる争いはこの先もやむことなくつづきます。それでも嘆くよりは、祈りたいところです。