2011-09-10

Rory Gallagher / Notes From San Francisco (2011)

 

この一ヶ月ほど、ロリー・ギャラガーの「新作」をよく聴いている。

もちろん、周知の通りロリーは1995年に鬼籍に入っているのだから純然たる新作ではない。
1978年に「お蔵入り」となってしまった作品に、ライブ音源を加えた2枚組だ。

これが、ロリーのディスコグラフィーに「未発表音源集」としてではなく、
「正規の作品」として登録されるに値する出来だったがゆえに、「新作」と呼びたくなるわけだ。



Notes From San Francisco (2011)

Disc 1 - STUDIO
01. Rue The Day
02. Persuasion
03. B Girl
04. Mississippi Sheiks
05. Wheels Within Wheels
06. Overnight Bag
07. Cruise On Out
08. Brute Force & Ignorance
09. Fuel To The Fire
Bonus Trucks
10. Wheels Within Wheels (alternative ver.)
11. Cut A Dash
12. Out On The Tiles

Disc 2 - LIVE
01. Follow Me
02. Shinkicker
03. Off The Handle
04. Bought And Sold
05. I'm Leavin'
06. Tattoo'd Lady
07. Do You Read Me
08. Country Mile
09. Calling Card
10. Shadow Play
11. Bullfrog Blues
12. Sea Cruise


Disc 1は1977年~1978年の録音。Disc 2は1978年12月の録音である。

ロリーのファンならわかりきっているように、Disc 1のスタジオ録音盤は、
ボーナス扱いになっている3曲以外、基本的に既出の楽曲だ。(ミックスは違うが)

4,6,7,8,9はリメイクされて7th albumのPhoto-Finish (1978)に収録される。

1,3はCalling Card (1976)の、2はDeuce (1971)のCD版ボーナス・トラックとして、
5はロリーの死後に編集されたWheels Within Wheels (2003)に、それぞれ収録されている。
(ちなみに、3は"Public Enemy No.1"の原曲。8thのTop Priority (1979)で聴ける)


この点、目新しさはないとも言えるのだけど、こうして楽曲がひとつの作品の一部として並べられ、
「幻の作品」として知られていた音源の全貌が露わになったことは、とても意義深いことだと思う。

まして、この作品のように素晴らしい出来であるなら尚更だ。
(なお、ボーナス・トラックは純然たる未発表曲である。)


概略は以下の通り。

・「アメリカン」な作品を構想し、シスコにて録音する。
・しかし、曲はいいものの、ミックスに納得がいかない。
・ロリーが一方的にお蔵入りを宣言。バンドも解体する。
・バンドを新たに編成し、録り直したものが7thとなる。
・その新バンドとなってからのライブ音源がDisc 2。
・時を経て、ロリーの実弟ドネルが本作の再リリースを検討。
・「ロリーが当初思い描いていたであろう音」にリミックス。
・本作がリリースされ、わたしがしたたかに打ちのめされる。


Disc 1を聴くと、たしかにアレンジが「アメリカン」である。

元々、ロリーのバンドにはキーボード・プレイヤーがいたので、
おそらくそこが「アメリカン」に押し出されたのだろう、と思っていたのだけど、
これは半分も当たっていなかったようで、実際はホーンの導入など多彩なサウンドだった。

曲は、そもそもロリーの音楽性自体が間口の広いものなので、色々あっても違和感はない。

わたしとしては、曲さえよければ何やってもいいというスタンスなので、とくに不満はない。
それどころか、これほどのアルバムを「お蔵入り」にしてしまう完璧主義者っぷりに驚いた。

もっとも、当時のミックスと、いまわれわれが耳にできるミックスは違うので、
一概にどうこう言えるものではないのだろうけど。


この作品の録音後に、バンドを解体。ベースのジェリー・マカヴォイだけが残る。
新たなプロデューサーの紹介でドラマーにあのテッド・マッケンナを迎え、トリオ編成となる。
そして、上述のように7thをリリースし、以後この体制がつづくことになった。
(テッドは1981年に脱退、コージー・パウエルの後任としてMSGに加入。)


この編成のライブ盤として、各地で録音されたものを集めた名盤Stage Struck (1980)がある。
それと同時期に録音されたライブ音源が、Disc 2だ。ブートレッグでも出回ってなかったらしい。


これがまた、とてつもなく素晴らしいのである。
付属音源のような体裁だが、名盤とさえ言いたくなるほどだ。

「お蔵入り」宣言をした後のロリーは、トリオ編成によるハードロック路線に邁進した。
SEX PISTOLSの解散ライブを観たことが刺激になったようで、(ヤケであるが故の激しさ、か)
「ロックの直接性」とでも言える直情的な表現方法に、触手を(ふたたび)向けたのだ。


ロリーのライブは、山崎智之氏が解説で述べているように「常に超ハイテンションだ」が、
ひたすら激しく押しまくるこのライブ音源の迫力を前にして、ほとんど茫然とするほかなかった。

3枚のライブ盤はすでに愛聴して久しい。いずれも名盤であり、聴かず嫌いは馬鹿をみるだけだ。
それでもなお衝撃的だったのは、最新のマスタリングに拠るところもあるのかもしれない。
そうかもしれないが、何よりも讃えるべきは、そのギタープレイの凄まじさ、これに尽きる。


ロリーはいつも、ステージに普段着であがった。チェックのシャツに、ブルーのジーンズ。
その飾らない気さくな姿は、ドキュメンタリー映画になった『Irish Tour '74』で確認できる。

当時、アイルランドではIRAによるテロが最盛期を迎えており、
ほとんどのバンドがツアーを断念していた中での「地元の英雄」の帰還に狂喜する観衆が印象的だ。
(たしか、映画では市街地を走る戦車や装甲車が映し出されていた。ロリーはそこを飄々と散歩する。)


そんなロリーは、間違いなく「ロック・スター」のひとりでもあった。

「世界一のギタリストって、どんな気分?」と訊かれたジミ・ヘンドリックスが、
「ロリー・ギャラガーに訊けよ」と応えたことは、あまりに有名な逸話だ。

ジミが非常に謙虚なひとだったことを差し引いても、当時20歳前後のロリーへの評価は非常に高い。
ジョン・レノンも「素晴らしい才能を持った新人」と讃えている。
そして、誰もがそれに納得せざるを得なかった。


荒々しく、かつルーズでもある独特のヴォーカルも評価は高いが(ピッチも案外正確)、
クラプトンやジェフ・ベックが「廃業を考え」させられたあのジミをして「世界一」と言わしめた、
その鬼気迫るギタープレイはライブでこそ本領を発揮する。


陳腐な表現だが、「燃える上がるギター」「魂のギター」とでも言って思考放棄したくなってしまう。

前回、ゲイリー・ムーアについて「その心情が音に転化されてダイレクトに伝わってくる」と書いたが、
これはロリーにも当て嵌まる。と言うか、そもそもロリーこそがその第一人者なのだと思っている。

70年代に活動の全盛期を迎えたギタリストたちは、そのほとんどがステージで毎回違うソロを弾いた。
ロリーもそのひとりなのだが、彼ほど毎回違うソロを弾くひともいなかったのでは、というほど違う。


本作を聴いて、これまで愛聴していたロリー像が少し変わった。

感情表現豊かなギタープレイの内に「痛み」を抱えていたのではないか?そう思ったのだ。
終始「超ハイテンション」で弾きまくるギターに、何度かそうした影がよぎるように感じた。

わたしのくだらぬ心情の投影、と言われてしまえばそれまでだ。
しかし、そう思うのはわたしだけなのだろうか?これほどのギターを聴かされて?


歌うことのできたロリーは、それでもやはりギターの方がはるかに雄弁だった。
それは前回のゲイリーもそうだし、その他「歌えるギタリスト」すべてに当て嵌まる。

歌とはすなわち歌詞でもあるから、言葉が持つ定型性や意味の重力から逃れることはできす、
仮にスキャットや非言語的な音声でその呪縛を振り切ろうとしても、必ずいつか「壁」にぶつかる。

その点、ギターはもっとも効率的に「振動を電化」することができる楽器だから、
「こころをあらわす/あらわにする」ことにおけるアドヴァンテージは大きい。


そうした文脈において、こうも思ったのだ。

「ロリーのギターに匹敵するヴォーカリストはいる/いただろうか?」と。


わたしは見当違いなことを言っているのだろうか。
同じ表現でも、媒介するものが「歌」と「ギター」の比較はナンセンスだろうか。
それでも、聴き手として受ける「絶対値」のようなもの、それは厳然とあるのではないかと思う。


ロリーやゲイリーのような凄まじい「表現力」をもったギタリストが限られているように、
鬼気迫るヴォーカルを聴かせてくれるヴォーカリストもまた、限られている。

もちろん、そのような類の表現「だけ」が至上のものだとは思わない。そんな排除はしたくない。
あらゆる表現の「良さ」は多様に並立していてほしいし、できる限りそれを甘受したいと思っている。


だが、こころのなかを洗いざらい吐き出さずにはいられない「絶唱型」のミュージシャンなら、
音楽のジャンルや楽器の種類を問わず、ロリーの薫陶を受けねばならないだろう。
なぜなら、基準とは平均値にではなくその最高値にこそ設けられるからだ。


次々と繰り出されるフレーズの、あの立体感とストーリー性、その厚みと切実さ。
その「絶唱」は、必然的に重くなる。

かつて、ブルース・ディッキンソンはこう言ったそうだ。
「当時、ロリー・ギャラガーのライブが一番ヘヴィだった」と。


まだロリーを未聴の方には、とりあえず3枚のライブ盤を薦める。

スタジオ作は聴き手によって好みが分かれるから、
ライブ盤で気に入った曲の入っている作品を聴けばいい。


もしくは、本作から入ってもいいと思う。
必ずや、そのギターにうちのめされることになるだろう。


ちなみに、本作のジャケットになったものは、ロリーが郷里の母に宛てた絵葉書であるそうだ。
ツアーで行く先々で、必ず絵葉書を送っていたのだという。彼らしいエピソードだ。

本作の豪華版は、それらの絵葉書つきノートブック仕様になっているので、
余裕がある方にはそちらの購入を薦めたい。彼の直筆メモや歌詞ノートがついている。


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2 件のコメント:

  1. 素通りしてたギャラガーです・・・。

    やっぱり聴くべきなのですね。そうですよね。

    メタラーのくせに、実はそんなにギタリストに興味のない私。
    あ、何も言わないでくださいね。分かってますから(笑)

    Moonさんのお勧めどおり、ライブ盤から聴いてみようかしら。

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  2. >kanaさん

    いえいえ、メタラーはかなり高い確率で素通りしてますから(笑)

    ライブ盤から入るのが、いちばん抵抗がないかと。
    スタジオ盤は慣れてないと「かるく」聴こえてしまうかも、なので。
    実際は、とても作り込まれているのですが。

    歳を重ねるにつれてこの手の音楽の深みにはまっていき、
    その結果、抜け出せなくなります(笑)

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