2014-03-09

THOUSAND EYES at 'Wailing of Nightfall II' on 22nd Feb



前回、THOUSAND EYSのブログ冒頭で、わたしはこう書いた。
先日(2月22日)行われた「Tokyo Dark Fest: Wailing Of Nightfall II」のトリを飾った千眼のライブは、あまりにも強烈だった。あれを観て何も書かないなどという選択肢はありえない。(中略)その強靭なライブ・パフォーマンスと、わたしが目にした「ある光景」について、ここに書き留めておきたいと思った。
今回は、2月22日のライブを辿りながらあらためて千眼の音楽性やメンバー構成に言及しつつ、そのパフォーマンスが如何なるものであったのか、書いてみようと思う。そして、あの場においてわたしにしか見出し得なかったであろう「ある光景」について、回想と述懐を行きつ戻りつしながら、ここに書き留めてみることにする。
(前回を未読の方はこちら


その前に、前回ブログと今回では千眼のメンバーが違うことに触れておかなければならない。デビュー作の録音~レコ発ライブ~ツアーの間、ドラマーをつとめていたJuhkiが脱退し、新たにFu-minが加入(10月2日)。新体制となって最初のライブが、わたしが初めて千眼を観た11月の「Japanese Assault Fest 13」だったのだ。現在のメンバーは以下の通り。


(l to r) Toru (g), Akira (b), Dougen (vo), Kouta (g), Fu-min (dr)


この日のライブは他にGYZE、Ethereal Sin、BELLFASTも出演していたのだが、今回は千眼に焦点を絞りたいので割愛する。いずれのバンドも初見だったが、異なる個性を際立たせた素晴らしいパフォーマンスを繰り広げていたことをお伝えするに止めよう。

また、この日はBURRN!誌の取材も入っていた。前田岳彦氏による同日のライブレポートも近いうちに同誌で読むことができるはずだ。


* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *


メンバーの登場から冒頭まで、記憶を辿りそれを言葉に換え文章として練り上げる徒労をここに放棄しよう。百聞は一見に如かず。早速、このライブ映像を見てもらいたい。




画質、音質ともに良好なものとはとても言い難い、記録用に撮影されただけであろう映像にすぎないというのに、ここから伝わってくる会場の熱気、バンドが発散するエネルギーたるや相当なものがある。

衝撃のデビュー作となった『Bloody Empire』のタイトル・トラックであり、かつ一撃必殺のオープニング・チューンでもある"Bloody Empire"はその役目を十二分に果たし、THOUSAND EYESがそんじょそこらのバンドとは一線を画するアクティヴでエナジェティックなライブバンドであることを、その場にいた者すべてに否が応でも認めさせたのだった。

11月のライブは(わたしがいた場所も悪かったのかもしれないが)音が潰れたダンゴ状態でインパクトを欠いたオープニングとなってしまっていたのが、映像にあるようにこのときは申し分のない完璧なスタートダッシュで、溜飲が下がる以上に度肝を抜かれるかたちとなった。出音の良さもさることながら、千眼のメンバーが躍動するその姿、ふてぶてしい面構えの迫力はまさしく「非日常」を体現するロックバンドのそれであり、このような徹底的に圧倒される経験こそがロックバンドのライブではなかったかと、あらためて思わずにいられなかった。

しかし、この映像では現場の騒乱を伝えるにあまりにも役不足だ。実際、この日のライブではモッシュピットが途絶えた曲はほとんどなかったはずだ。(この角度では確認できないが。)全曲演奏されたアルバム収録曲の大半がファスト・チューンであることは元より、バンドの圧倒的な熱量にオーディエンス側が引っ張られ、その後は相互作用によるエネルギーの循環と増幅もあって場内は終始「良好な騒乱状態」となっており、ステージの上と下とを分たずだれもが笑顔でライブを楽しんでいたのである。


つづく"God Of Blind"は力強いコーラスワークが活きる曲で、CHILDREN OF BODOMSOILWORKが2003年前後に完成させたメロディック・デス・メタルの洗練型の嫡流にあたる曲と言えるだろう。それまで「クサメロ(クサいメロディ)」と言われていた北欧の土着的旋律を現在形(当時)に昇華することで、メタルにおける同時代的な正統性を、異端でしかなかった北欧のメロディック・デス・メタル勢が提唱したのだ。

80年代には異端だったスラッシュ・メタル勢が、気がつくと「現在のメタルシーンにあってはむしろ正統派」となっていたように、あの時、またも過激な異端は正統派へと繰り込まれたのだった。以後の流れは前回、概略を書いた通りだが、メロディック・デス・メタルというサブジャンルは2010年代も半ばを迎えた今となっては、正統派メタルの一形式と呼んでいいのかもしれない。実際、わたしは千眼を聴いていて「メロディック・デス・メタル」を聴いているという意識に囚われることはなく、単に「この上なくかっこいいメタル」として聴いている。それも、「現在における正統派メタルとはこれのことではないのか」と、思いながら。

千眼における「同時代性」の多くは、間違いなくDougenのヴォーカリゼイションに由来する。メタルコアやスクリーモ勢ほどハイピッチでもなく、かといってデス声と呼べるほど「濃い」声でもない(もっとも、デス声にはそれなりに幅があるので一概には言えないが)、歌唱法自体はスラッシュ・メタル的な「オールドスクール」のシャウトスタイルなのだが、声や歌い方の頻繁な切り替えや、表現力豊かな「歌うスクリーム」は、オールドスクール勢にはないものとして聴こえてくる。

Dougenの美点は歌だけではない。コードを腕や肩に巻き、気合いの入ったパフォーマンスを見せつける厳ついアピアランスが実によく、MCも変に見下したり上目づかいだったりすることのない、自然体の「メタルあんちゃん」なMCで、聞いていて恥ずかしくなることがない。(日本のバンドにとって、MCは鬼門中の鬼門だとわたしは常々思っている。)

この気合い。メタルバンドにとり、気合いは必須事項である。


Toruが書いた"Divided World"は突撃型デスラッシュ・チューンの最たるもので、ここでわたしは新ドラマーのFu-minの異常な力量にようやく気づいて感嘆させられたのだった。

ブラスト・ビートのショットが「重い」のだ。トリガーで整えられた音でないことは、観ていればすぐにわかる。この手の音楽では、ライブの場合は主にブラスト時のスネアが軽くなることが多い。にもかかわらず、Fu-minのドラミングは常にラウドかつタイトで、その上、金モノの使い方には繊細ささえ見受けられたのだった。これほどのドラマーは、(音をどうにでもできるスタジオはさておき、ライブの場においては)そうそういるものではない。
(YouTubeにドラム視点動画がアップされているので、確認されたし。)

彼が国内最高峰のメタル・ドラマーとしてその名を馳せるのは、もはや時間の問題だろう。


聞くところによると、"Cardinal Sin""Shades Of Black"の原曲は10年近く前にまで遡るらしい。容赦ないリフ攻勢と暴虐的なブラストが吹き荒れたかと思えば、サビでパワフルなコーラスと哀愁漂うギターハーモニーが交差する前者と、北欧のオリジネイターたちの初期作を想起させるギターパートのもっとも多い後者は、言われてみれば確かに他の曲よりもオールドスクールな感触がある。(とくに後者。)

とはいえ、原曲ができた当時とはあらゆる点において格段の進歩を遂げたことは間違いないだろう。その上、千眼には大ベテランのAkiraがいる。要所要所でDougenのバックアップとしてヴォーカルをとっていたが、YOUTHQUAKE時代もそうであったような強烈な存在感でもってステージを締めていた。

千眼においては「影」にまわるベースプレイがほとんどだが、ここぞというところで素晴らしいフレージングを入れてくるあたり、流石と言うほかない。千眼のベーシストが「そこらの若手」だったら、ここまでの「質」に到達することはなかっただろうと思わせるに充分すぎる存在だ。

彼がステージにいるだけで緊張感が増す、その独特な存在感…。


ここで新曲の登場となった。直前に少しだけYouTubeで公開された"Bleeding Insanity"である。おそらくまだ完成形に至ってはいないのだろうが、現時点ですでにライブ映えする曲となっていた。
(これもまた、ドラム視点動画がアップされている。)

とくに、ギターソロもハーモニーも音がはっきりと聴こえてきたため、KoutaとToruの力量に括目する仕儀となった。曲の一部にして見せ場でもある(とくにメタルでは)千眼のギターソロはそれ自体の完成度がどの曲においても高く、リッチー・ブラックモアの名言を借りるなら「ハミングできるような」キャッチーさがある。それでいて、何度聴いても飽きない。この新曲もまた、そのような曲として提示されることとなるに違いない。

技術、サウンド、フレージングと三拍子揃っているこのギターチームには、さらなる飛躍を期待しよう。


激しく疾走する同系統の曲で方向性を固めていたアルバムのなかにあって、とりわけそのイントロにおいて異彩を放っている"Sign"は、わたしがとくに気に入っている1曲でもある。どことなく儚さの漂うギターに導かれ、Dougenの獣じみた蛮声がなにか曰くありげな物語として響く。なかなか類例を思い浮かべることのできない、ありそうでなかった曲調ではないだろうか。

千眼におけるKoutaの曲作り及びアレンジ能力は、抜群の冴えを見せている。わたしは彼の全仕事を押さえているわけでもなく、むしろ他の活動については疎いくらいなのだが、それでも彼が本領を発揮し出したのはこの二三年のことではないだろうかと思っている。というのも、彼の前バンドであるSUM RIZEを2011年に観ていることが大きい。(確か、サポートでToruとJuhkiがバンドにいたはずだ。)

ライブ後、ほどなくして空中分解してしまったようだが(ヴォーカルのJunは音楽業界から足を洗ったもよう)、あの時点ですでに「デスラッシュ・スタイルのリフ構成」「テクニカルでメロディアスなソロとハーモニー」という、彼の得意な方法論に手ごたえを得ていたと思うのだ。

ただ、決定的に違うのがヴォーカルで、日本語詞だったこともあって全体的に「スラッシーな正統派メタル」といった趣きが優っていた。(ANTHEMのリフがデスラッシュ化した、とでも言うと少しは印象が伝わるだろうか。)いま聴き返すと、攻撃性を解放し切れなかった分、対比としての叙情性も千眼と比べると弱さを感じる。

逆に言うと、Koutaは短い間にその美点をすべて完成形に導くことに成功したのだ。それだけDougenの存在が大きかったのだろうし、また、大ベテランのAkiraにバンド加入を打診するほどの意気込みや自信があったことも窺える。

ライブを観てもひとりひとりの個性が立っていて、絶妙なバランスが取れていた。わたしなどはライブを観ながら、「FINAL FANTASY」シリーズでお馴染みのジョブシステムに因んで、「侍・ナイト・モンク・戦士・バーサーカーによるやたら戦闘力の高いパーティー」などと思ったりしていたのだが、実際、彼らのライブアクトとしての戦闘力は極めて高く、世界レベルである。
(どのジョブがだれに該当するかは、すぐにわかるだろうから割愛。)


すんでのところでアルバム収録が見送られることになりそうだったという"Dead Night, Moonlight"はしかし、DougenがMCで「人気曲」と言っていたように千眼の代表曲のひとつであり、聴く度に様々な思いが込み上げてくる名曲だ。

ここまで、具体的なライブ・パフォーマンスについては左程触れずにきたが、先述したように会場は終始盛り上がっていて、MCでも「楽しくて仕方ない」といったことが度々口にされていた。バンドはステージ上でテクニカルな演奏を繰り広げながらもアクティヴに動き回り、それでいて一糸乱れぬアンサンブルでもって強力な楽曲のポテンシャルをさらに上のレベルに引き上げていた。

都市型フェスの定着以降だったろうか、主に若いバンドのステージ上の「運動量」が格段に上がってきている。跳びはね、走り回り、楽器をぶん回し、ときに回し蹴りも決め、体全体を「くの字」に折り曲げて激しいヘッドバンギングに興じ、盛大にオーディエンスを煽る。こうしたパフォーマンスとオーディエンス側のモッシュ、クラウドサーフ、ウォール・オブ・デス、ツーステップなどはお互いに影響を与え合いながら、スタンディング型のライブにおいて「いつもの光景」として根づいていった。

しかし、ここにはいくつかの問題点がある。そうしたライブ独特の「運動」が目的化することで、本来は主であるべき音楽が「騒ぐためのBGM」と化す傾向、バンド自体がそうした騒乱状態を求めて音楽性を「ライブ仕様」に安易にシフトしてしまう傾向、ステージアクションが楽曲の表現としてではなくほとんど機械的な(激しいからこう動く、と定式化でもされたかのような)「振りつけ」のようになってしまう傾向などがそれだ。音楽がないがしろにされつつある、と言ってしまっていいだろう。

千眼のステージングは確かに激しくそしてアクティヴで、そこだけ取り出したら上記した「若手」たちと同様のパフォーマンスを思い浮かべるかもしれないが、両者はまったく違う。千眼にとり、あのような激しいアクションは楽曲(の構成や世界観)に起因するのであって、盛り上げるための手段でもなければバンドを大きく見せる目的のためでもない。「若手」たちに(嫌というほど)見受けられる過剰な自意識や作為的な所作はなく、そのステージングはいたって自然なのである。

そして、この場合の「自然」とは楽曲それ自体を意味する。楽曲が激しく慟哭しているから、動きもそのようになるのだ。オーディエンスがバンドと共有するのは「ライブでひとつになるオレたち」などという自意識ではなく、お互いが愛しやまない楽曲であり、その楽曲が騒乱状態という自然をもたらす。目的としての騒乱ではなく、音楽を愛した結果としての騒乱であるからこそ、あの場はこの上なく楽しい場となっていたのだ。

メタルのおける典型的なワンシーンだが、ライブは典型を遥かに凌駕していた。


本編ラストを飾ったのは、アルバム同様に"Black Sun"だった。Koutaと同じく、マイケル・シェンカーに多大な影響を受けているマイケル・アモット率いるARCH ENEMYを想起せずにいられないナンバーだ。

とくにサビとエンディングのギターがいかにも「シェンカー=アモット節」なのだが、前回ブログでも言及したように、影響元としてのシェンカーを母胎とした上で、その叙情性を現代的なエクストリーム・メタルに接合した結果としての類似性であって、アモットはあまり意識していないだろう。(指摘は受けたと思われるが。)

Koutaの主眼は「Dougenのヴォーカル、叙情的なギター、ファストなメタル」であって、先行するメロディック・デス・メタル・バンドと相似形をなすのは、「影響元と発想の近似性」からくる論理的な帰結として当然の事態である。そのなかで最大限の個性を出すべく「質」を高めていったのが千眼であり、アルバムを聴きライブを観る限り、彼らはオリジネイターたちに並ぶ存在となり得るどころか、場合によっては上回りさえもするだろう。

この日の圧倒的なパフォーマンスをもってすれば、どんなバンドの前座についてもそのバンドを脅かすに充分だ。曲に込められた熱量と、それを発散させていくエネルギーは比類ないものだった。(昨年観たCARCASSを思い出したことをつけ加えておこう。)大団円を華々しく迎え、バンドはステージを一端引き下がっていった。


アンコールでは、メンバーがこの日から発売となった新しいTシャツに着替えて登場。Dougenが感謝の意を伝えるMCをした後は、正統派メタル寄りのキャッチーさが魅力的な"Eternal Flame"でふたたび場内を沸かせた。これで残すはあと1曲、"Last Rebellion"だけである。

メンバーもお気に入りの曲であるようで、それは度々この曲のサビである「This is my! Last Rebellion!!!」をツイートしていることからも容易に察することができるのだが、ここにもうひとり、この曲を愛してやまない人物がいる。Koutaが「たったひとりの親友」と呼ぶひとであり、わたしの数少ない友人でもあるひとだ。(拙ブログにも何回か登場している。)

彼にはいくつか「通り名」がある。Koutaはむかしからの呼び方で「エース」と呼んでいるし、以前はMySpace、ここ二三年はTwitterで、その時々におけるハンドルネームでSNSユーザーに知られてもいるし、BURRN!誌に三回寄稿しているため、本名で知られてもいる。ゆえに、その名をここに出しても何の不都合もないのだが、あえてKさんとイニシャルで呼ぶことにしよう。(ちなみに、ふだんは本名で呼んでいる。)


Kさんはふしぎなひとで、意識しているのかいないのか、それとなくひととひとを繋いでしまう。現に、わたしは彼を通じてHEAD PHONES PRESIDENTのメンバーとの面識を得、Rouse Gardenを知り、その他たくさんの友人知人に恵まれた。先述したSUM RIZEのライブもKさんにくっついていくかたちで観に行ったのだったし、"Cardinal Sin"と"Shades Of Black"がむかしからある曲なのだと教えてくれたのもKさんだった。

そもそもKoutaさんを(ここからはわたしの回想録でもあるので、「さん」づけに切り替える)知ったのは、Kさんのマイスペ時代のブログが最初だった。いまは失われたマイスペブログを、記憶だけを頼りに振り返ると、あれは2010年秋のLIGHTNINGライブにKさんが赴き、久しぶりに学生時代の旧友と再会した、という内容のブログだったはずである。そこで書かれていたことはライブの内容以上に、旧友との思い出や間に流れた歳月のことが過半を占めていて、Kさんは自分の過去をそれまで一切語ってこなかっただけに、余計に驚かされたのだった。そのKさんの旧友が、Koutaさんだった。

ともにSLAYERのコピーバンドをやっていたこと、当時よく聴いていたバンドのこと、馬鹿げた飲みを繰り広げていたこと、KさんはバンドをやめたがKoutaさんはバンドや同人で音楽をつづけ、最近(当時)ではDRAGON GUARDIANのアーサーさんとも仲がいいらしいこと、などが書かれていた。(また、このブログが書かれた後日、KさんがB!誌の前田さんにLIGHTNINGのCDを渡していたところにわたしが居合わせたこともある。)

それまでも連絡は取り合っていたのだろうが、これを機に交流が頻繁になっていったというのが、傍から眺めていたわたしの印象である。Twitterでもふたりはよく絡んでいて、Koutaさんの過去に在籍していたバンドを知悉していたり、むかしのデモを複数所持していたりすることをKさんがたまに暴露ツイートするたびに珍妙なやりとりをしているから、知っているひとも多いかもしれない。(なお、その内容は99%くだらないと断言する。)


千眼のSNSアカウントの「お手伝い」をしてもいるKさんは、当然のようにこの2月22日も関係者・スタッフとしてライブに来ていた。場内はかなりの熱気に包まれていたにもかかわらず、マフラーもコートも脱がないままでいたのは、そうした関係者としての意識がファンとして振る舞うことを許さなかったからだろうか。(ただし、その「いちファン」はもっとも厳しいファンでもあるのだが。)

わたしたちはKoutaさんが陣取る上手側の前方へと移動したのだが、ライブ開始と同時に巻き起こったモッシュピットに分断され、わたしは後ろに避難することができたものの、Kさんは上手前方に押しやられて、わたしの方からはかろうじてその頭部を確認できる程度にしか見えなくなっていた。とはいえ、それはライブにはよくあることであり、わたしも大して気にせずライブを楽しんでいた。アンコール待ちの間、前方に移動して合流することができたのにしなかったのは、ひとりライブの余韻を味わっていたかったからだ。

そのとき、ふと脳裏をかすめたのは、Kさんが"Last Rebellion"を絶賛するツイートを度々していたことだった。SUM RIZEリリース後も、その楽曲についてツイートすることの多かったKさんであるが、千眼についてはより明確なかたちで称賛を送っていただけに、アンコール用に残されたこの曲をどう観るのだろう、と気になったのだ。それとなく彼を探してみると、前方でもみくちゃになっていただろうに、いまだにコートもマフラーもつけたまま、遠方から駆けつけた友人と談笑していた。


さて、これでようやくわたしが書きたかった「ある光景」に辿りつける。それは時間にするとほんの数秒の出来事ですぎないのだが、些細なことではあっても、これはわたしにしか書き得ないものである。では、つづけよう。


最後の最後に叩きつけられた"Last Rebellion"を前に、疲れ切ってほとんど肩で息をしていた前方のオーディエンスは、残った力を振り絞ってモッシュに興じてはサビで声を張り上げていた。ファストなヴァース、ブリッジの部分では肉体のぶつかりあいがフロアに混沌を生み、サビのタイトルコールになるとその混沌の波が引いてすべての意識がステージへと向かう。その後、ビートの疾走と同時にフロアはふたたび元の坩堝へと戻る。

あれは二番のサビに入ったときだった。オーディエンスのうねりが引いて、視界が開けるとKさんの姿が見えた。それまで上手側にいたのが少し中央に出てきたので目に止まったのだが、ちょうど「This is my! Last Rebellion!!!」のパートでKさんが拳を振り上げているところが見えたのだ。

その光景を目にしたとき、わたしは微笑ましさのような思いを抱いた覚えがあるのだが、振り返ってみるとこれほど感動的な光景はまたとないのではないかと思わずにいられなかった。

かつて同じ時間を共有していたふたりがいま、ステージの上と下にいる。ステージに立つ男は多くのファンに囲まれ、快心の出来であった"Last Rebellion"のタイトルコールを全身に浴びている。一方、ステージの下にいる男は、関係者としての意識からかいちファンとして振る舞うことを自制していたというのに、日頃からもっとも称賛していたこの曲ではやはり、旧友ではなくいちファンとして、その拳を振り上げるに至っている。

これは、友情にとってありうべき最上の姿のひとつではないかと、わたしは思う。それと同時に、芸術作品にとってこれほど完璧な称賛もないのではないか、とも思うのだ。長きにわたって多くを共有してきた旧友の評価ほど厳しいものはないだろう。だからこそ、あの光景は微笑ましくも美しかった。いま、こうして書きながら思い出して、また感動しているほどだ。

もちろん、Kさんは他の曲でも拳を振り上げ声を荒げて歌っていたかもしれないし、コートなどを着たままだったのは単に脱ぐのが面倒だったためかもしれない。それでも、わたしの目に映った限りにおいて、つまりわたしの文脈においては、以上のような「美しい」ものとして、あの光景が目に焼きついたのだった。


KoutaさんはKさんがB!誌に初めて寄稿したとき、こんなツイートをしてエールを送っている。引用しよう。
友人が「夢の舞台」に足を踏み入れていく姿を目の当たりにしながら、何だか夢のような日だなぁ~と感激しているなぅ。それがそいつにとって夢だったかは知らんが、俺にとっては夢だったし、そいつはいつかそこへ行くべきだと思っていたし、なるべくしてそうなったんだろうなとも思える。
学生時代は馬鹿なことばかりしていたというふたりが、ひとりはステージ上のミュージシャンとなり、もうひとりはそのステージを見守るライターとなった。それはふたりそれぞれの夢でもあったが、同時にお互いがお互いの夢をも夢見ていたのだった。そして、この夢はより大きなものに向かって、この先もつづいていくのである。


わたしはふたりを横から眺めていたにすぎないのだが、こればかりはわたしにしか語りようのないことであり、このブログについては義務感のようなものを感じていた。なかなか時間が取れず、また持ち前の怠惰と無能が拍車をかけて、完成が遅れただけでなく思うように書けなかったことにも忸怩たる思いがありはするのだが、ひとまずはこれをもって「ふたりのK」に対するわたしなりの敬意と感謝としたい。


ライブ終了の記念写真。なお、写真はすべてここから頂戴した。



SET LIST
01. Bloody Empire
02. God Of Blind
03. Divided World
04. Cardinal Sin
05. Shades Of Black
06. Bleeding Insanity (new song)
07. Sign
08. Dead Night, Moonlight
09. Black Sun
Encore
10. Eternal Flame
11. Last Rebellion














オマケ。ステージに振ってきたさとつ(END ALL)。



4 件のコメント:

  1. 月並みな言い方で申し訳ないですけど、いい話だ。
    人との繋がりを大事にしないとできない関係。
    千眼次は行きたい。

    返信削除
    返信
    1. はい、いい光景でした。わたしにとっては。
      SNSのおかげでどんどん新たなつながりができていますけど、
      結局は「ひと」ですからね。わたしは恵まれています。

      千眼の次回ライブ(4月19日)は、ぜひ観てほしいですね。

      削除
  2. 鋼鉄武装(裏)2014/04/19 19:07:00

    なんか 久々に半泣きなりました!
    いい記事ですね(^o^) 3人の素晴らしい表現者を見ましたよ! 2人のKさんと貴方です( ̄ー ̄)ウム

    返信削除
    返信
    1. ありがとうございますm(_ _)m
      これは何としてでも書かねば……と思っていたので、書きあげたときはホッとしました。

      いま、ライブを観て帰ってきたところです。きょうもいいライブでした。音は爆音すぎてバランスおかしかったですけど(笑)

      削除