2014-08-20

Roberta Flack / Killing Me Softly (1973)



以下の文章は、2010年8月20日19時頃、MySpaceに投稿したものの再掲である。


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ロバータ・フラック(Roberta Flack: 1937-)の"killing Me Softly With His Song"を、
聴いたことのないひとは少ないだろう。




ドン・マクリーンにインスパイアされたロリ・リーバーマンが詩を書き、
それを元にノーマン・ギベルが作詞、チャールズ・フォックスが作曲、
1972年8月にロリが歌い、シングルがリリースされるも、ヒットせず。

ロバータが偶然、飛行機のBGMとして流れていたこの曲をいたく気に入って版元を特定、
彼女のバージョンが制作されるにいたり、その後はビルボード1位、グラミー賞3部門受賞、
日本でも「やさしく歌って」の名邦題で知られ、ネスカフェCM曲として長年愛されてきた。


それまでの「黒人シンガー」と言えば、感情的かつ躍動感のある野性的な歌唱、が主流だった。
いや、たとえそうではなかったとしても、そのような「イメージ」のもと、認知されていた。

ロバータはそのような「野性味溢れる」黒人シンガーといった紋切型のイメージとは対極の、
知的で上品で洗練された都会的なシンガーとしてデビューし、新たな黒人歌手像を打ちたてた。

もしくは、彼女やダニー・ハサウェイなど、「ニュー・ソウル」と呼ばれた新世代の登場によって、
ポップ・ミュージックにおける黒人と白人の差異、壁が解消されたのだ、と言うべきかもしれない。


彼女にとって3rd Albumとなる『Killing Me Softly』(1973)は、
名盤である以上に音楽が好きならば一度は聴かねばならず、
そして何も感じなかったならば一生音楽に近づく必要はない、
と断言したくなるような、「音楽という愛」に満ちた、ある意味「究極の」アルバムである。

とはいえ、そのような名作の常で、いっさいの大仰さや押しつけがましさとは無縁の、
日常的な息遣い、ちょっとしたスケッチ、先週書いた日記、とでもいった雰囲気で、
あちらのほうからわたしたちに寄り添ってくれるような、そういったアルバムである。


ジャニス・イアン作の感動的な"Jesse"
クラシカルな趣きもある、ジャジーな"I'm The Girl"
軽やかで映画的な印象の強い"Conversation Love"や、
遠足やピクニックを楽しみにするこどものように屈託のない"When You Smile"など、
素晴らしい曲と歌唱ばかりの傑作だ。死ぬまでに一度は聴いてほしい。


ところでこのジャケット、何かおかしいと思わないだろうか。


ピアノが合成っぽくて不自然?
そう、それもある。サイズもアングルもおかしい。
さらに言えば、ライティングの当たり具合もおかしいし、ピアノの色も同様。

ロバータがマイクを持っていることに気づいただろうか?
ふつう、弾き語りならマイクスタンドがあるため、マイクを持つ必要はない。

これらの疑問は、オリジナルのレコードを見れば氷解する。
実は、そもそもこうゆう作りをしているのだ。


この通り、そもそもロバータの顔にピアノがかかっている。開くと、こうなる。



マイクを持って歌うロバータが出て来る、という仕掛け。
ちなみに、レコードはここにこうゆう風に入っている。



レコードがいまだに「アート」として一部に認知されているのも頷ける、シャレた作りである。


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マイスペ時代は、それこそ「日記」のような気軽さでブログを書いていたことがわかる短い文章だ。
もっとも、これは気軽に書けた最後のマイスペブログでもあるのだけど。


昨年だったか、ロバータは来日公演を行った。
残念ながら観に行くことはできなかったが、当然のように好評を博したと聞く。

多くのひとは、彼女の歌/音楽になんのわだかまりもなく「懐メロ」という言葉を使うかもしれない。
もちろん、それは彼らが彼らなりの人生を歩んできた証左であり、
その言葉は好意的なニュアンスをもって発語されてもいるだろう。

実に、40年以上前の曲なのだ。
往時を振り返る当人にあっては、追憶の遠近に驚きもするであろう時間の幅だ。


しかし、だからこそ、わたしは「懐かしい」という言葉は使いたくはない。
それは長い間、忘れられていた何がしかがあったことを意味するからだ。

当然のことではある。なにもかもを抱え、記憶したまま生きることは不可能だからだ。
それでも、それだからこそ、わたしは好きな音楽を古くしたくはない。


音楽を繰り返し聴くことは、初めて聴いたときの自分を保存しながら、
いま聴いている音楽を自己のなかで更新することでもある。

聴き返すたびにわたしはこどもに、中高生に、学生に、「その頃」のわたしになる。
同時に、ふえつづける知見は、その音楽に新たな発見を見出しもするだろう。
磨滅した感性と型に嵌った認識が、その音楽を矮小化することもあるだろう。

それでいて、どこかで「その頃」のわたしは、初めてその音楽に触れたときの感動の核は、保たれる。
一度でもこころ奪われたものを、たとえそれが一時的なものであったとしても、忘れたくはない。

だからわたしは、好きな音楽を「懐かしい」とは決して言わない。
これは、自分の好きな音楽を探り当てた「その頃」のわたしへの、仁義のようなものである。


それがどうした、ということばかり書き足してしまった。
蛇足ではあったけど、追記まで。


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