2014-09-28

TEARS OF TRAGEDY at Crescendo on 27th Sep



昨夜、ようやくTEARS OF TARAGEDY(以下TOT)のライブを観ることができた。


(l to r) Yohei (b) Toru (g) Haruka (vo) Hideyuki (dr) Hayato (key)


TOTは、女性ヴォーカルHarukaを擁するメロディック・スピード・メタル・バンド。
リーダー、メインコンポーザー、ギタリストのToruは、THOUSAND EYESにも在籍している。

TOTはデビュー前から知っていたのだけど、1st発表時は音源を聴いていなくて(わたしはあまり「メロスピ」を聴かない)ライブに足を運ぶことはなかった。ただ、縁あって間接的にHarukaさんとToruさんにTOTとは違う場で会うことが数回あり、あらためて興味をもつようになっていった。2ndは発表後少ししてから手にとったのだけど、その楽曲の素晴らしさに驚かされ、あわてて1stも聴いた次第。2nd発表後はライブの本数が少なかったこともあって、今回「ようやく」観るに至ったのだった。


少し、その作品に触れておこう。

Elusive Moment (2011)

この1stの時点で、キャッチーでポップな歌メロ、クラシカルかつシンフォニックなアレンジ、テクニカルでメロディアスなギターソロ、疾走感ある叙情的な楽曲というTOTの「売り」は出揃っている。ゴシック・メタル的な質感もあるにせよ、基本となる音楽性自体はメロディック・スピード・メタル以外の何ものでもない。ただ、そこにHarukaの癖のない歌声がのると、凡百の同系統バンドには出し得ない個性が生まれる。次作のクオリティを前にすると「若書き」のようではあるけど、原石はすでにして輝いている。


Continuation Of The Dream (2013)

現体制になって制作され、昨年末にリリースされた2nd。これはまごうことなき傑作。流麗なメロディ、劇的な構成、緻密で繊細なアレンジなど作曲面の向上が著しく、全面的に彼らの美質をスケールアップさせた会心の出来となっている。歌詞の多くが日本語詞になったこともあったのか、ナチュラルな歌唱のよさがさらに前面に押し出された感がある。ギターも、サウンド、リフ、ソロとすべて素晴らしい。他のメンバーも、バックに徹しながら要所でその実力を発揮している。11分を超える大曲も見事。






さて、ここからは昨夜のライブを観ながら、わたしが思い、感じ、考えたことを書きとめていこう。先に断わっておくが、わたしのブログはいわゆる「ライブレポート」とはやや違う。ライブ中に何があり、どんなことが語られ、どのような雰囲気だったかを再現的に書くことに、いつしかわたしは興味を失ってしまったのだ。(かつてはそれこそが本義だったのに)

よって、以下に書かれるのはTOTのライブレポというより、彼らの個性や美点とは何なのかについて、わたしが思い考えたことが過半を占めることを、どうかご諒承願いたい。


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開演の5分前に会場である吉祥寺のクレッシェンドに着き、チケットの代金を払っていると階段をTEARS OF TRAGEDYのメンバーが下りてきた。クレッシェンドはステージ裏に楽屋がないため、出演者はフロアを通ってからステージに上がらなければならないのだ。(「プロレス入場」とも言う)

中に入ると、ソールドアウトというだけあってスペースがほとんどない。ドリンク・バーの近く、段差の手前くらいしか居場所がなく、そこからステージを見守ることとなった。結果、メンバーの動きが見えないことも多々あったのだけど、遅れて来たのだからそれは仕方ない。(とくに、HarukaとToru以外のメンバーはほとんど見えなかったため、あまり言及できず申し訳なく思っている)


2ndの巻頭を飾るイントロの"Continuation Of The Dream"が流れ、アルバム通り"Euclase"からライブは始まった。音の分離もよく、これまでクレッシェンドで観たなかではもっともサウンドバランスのいいライブだった。とくにギターの音がいい。残念ながら、お立ち台に上がってソロを弾くToruの手元は見えなかったけど、正確なフィンガリングとピッキングでなければ絶対に出てこない綺麗なトーンでギターを聴かせてくれた。(THOUSAND EYESでも彼のプレイは見ていたけど、あらためて巧いと思った。印象はキコ・ルーレイロが近いか)

同じくお立ち台に上がって歌うHarukaは、まるでこどものような屈託のない笑顔を浮かべながら、実に楽しそうに歌っている。アルバムで聴かれるように、地声と裏声の境がほとんどわからない、透明でやわらかい声の特性はライブにおいてより顕著に感じられた。もちろん、音程も発声もしっかりしている。

歌だけでなく、身振り手振りや表情、ちょっとしたステップやダンスのような動きも交えてパフォーマンスをしているのがまた、素晴らしい。それも、必死さや「努力の跡」がうかがえない、意図されたものが身にまとってしまう「力み」とは無縁な、自然さがあった。要するに、嫌味がないのだ。(この点に関しては、他のメンバーにも同様のことが言えるだろう)


この、ライブが始まったばかりの時点ですでに、わたしはほとんど感嘆さえしていた。いいバンドはライブを観ればすぐにそれとわかるものだけど、そこに確固たる個性まで感じさせるバンドは稀で、TOTはまさにそんな稀なバンドだったのだ。傑作となった2ndの出来を前に期待はしていたものの、これほどライブ・バンドとして「も」素晴らしいとは思っていなかった。それほど、音楽性とパフォーマンスに齟齬のない一体感を覚え、彼らはもっと広いフィールドで勝負できる逸材に違いないと思ったのだった

それは、ライブを観るにつれて確信に変わっていった。同時に、彼らの音楽性がいかに個性的なものなのか、思い知らされることとなった。"Another World""The Arclight Of The Sky""Stay With You"と素晴らしい楽曲がつづくなか、あまり得意ではない「メロスピ」バンドをあれこれと脳内に召喚しては、TOTと比較してその差異がどこから生じているのか、考えてもいたのである。

個性の中心にあるのが、Harukaのヴォーカルにあることは言うまでもない。「癖がない」「透明でやわらかい」と形容したような歌声のキャラクターは、メタルというジャンルにおいては異質なものだ。むしろ、対極にある。これがハードロックであれば、まだしもAOR的なメロディアス・ハードやハード・ポップなど接点があるのだけど、メタルにおいて求められるのは「強靭」で「硬質・金属質(メタリック)」な「癖の強い」声であることがふつうだ。DOKKENのように、そうした「ソフトな声でメタルをやる」という手法はあくまでも例外にとどまる。(単に歌がヘタなのは論外)

加えて、メタルという音楽はヘヴィでダークな題材との親和性が高い。(また、ときにヒロイックでときにイノセントでもある倫理性や、神秘性、官能性といったものとの親和性も高いのだけど、これはまた別の話だ) そのため、リアリスティックなものでは、戦争や暴力や違法行為、抑圧された心情や差別意識といった、社会の暗部を扱ったものを材に採ることが多い。また、非リアリスティックなものでは、SFやファンタジーのような、スケール感ないし細部へのこだわりを必要とされるものと息が合う。いずれにおいても共通するのは緊張感や高揚感を伴ったものであること、喜怒哀楽で言えば「怒」と「哀」に特化したものであることだろう。


ところが、TOTはこうしたメタルの快楽原則とは趣きを異にする。強さよりも弱さを、硬さより柔らかさを、重さより軽さ(軽やかさ)を、暗さよりも明るさを、その音楽性は志向していると思われる。

確かに、バッキングは絵に描いたように類型的な「メロスピ」である。(出来がいいので、教科書的と呼ぶべきか) 巧みなアレンジによってクラシカルかつゴシカルな彩りも加味されてはいるけど、あくまで「メロスピという枠」あってこそのものだ。しかも、メタルにおいて比較的ライトなこのサブジャンルは、「明朗さ」や「ユーモア」といった要素を許容するものでもある。TOTに柔らかさや明るさが認められても、特筆すべきことではないと思われるかもしれない。

しかし、ここで強調すべきはTOTの「繊細さ」にある。「メロスピ」において、明るさは「脳天気なオプティミズム」と表裏一体であることがほとんどだ。(そこがいいのだけど) それはある種の「図太さ」であって、彼らがその楽曲に託した「儚さ」とは相容れない。こうした「明るさ」と「繊細さ」の両立は、おそらくANGRAやKAMELOTといったトップクラスのバンドにしか見出し得ないものだろう。ただ、わたしがTOTに見出したのはそれ以上のものでもあった。


それは、ライブの終盤に演奏された、"It Like Snow...""Spring Memory"において感じとった「喜び」の感覚である。上述したように、メタルでは喜怒哀楽の「怒・哀」が主に表現される。また、「メロスピ」ないしその周辺のサブジャンルや80'sメタルでは、「怒・哀」がやや減ってその分「楽」が加わると言っていい。しかし、「喜」を表現した楽曲は、ほとんど見かけられないのである。あったとしても、よりハードロック寄りの楽曲に例外的に見出されるだけだろう。「喜」の感情はポップスにこそ、いや、「メタル以外」にこそ相応しいからだ。

にもかかわらず、この2曲は「喜び」とメタルを「儚さ」によって架橋している。そこに水と油をあわせたような強引さはまったくない。それどころか、この上なく自然なのだ。才気溢れる作曲と絶妙なアレンジの賜物である楽曲を、こうした「本来ならあり得ない自然さ」で体現してしまうもの、それがHarukaの存在だ。

しかも、この「自然さ」は音楽面だけでなく、ライブというパフォーマンスの時空においても達成されていた。楽曲のポップな躍動感が、身体的な表現(いや、むしろ無意識的な「表出」なのかもしれない)によって可視化されていたわけだ。ここにToruの卓越したギター(これもまた、「喜び」の表現に長けたもの)が加わるのだから、感嘆しない方がおかしい。ラストは、そのToruのギターがもっとも前に出た曲でもある"Falling Star"で幕を閉じた。


帰宅しながら、わたしはこんな述懐(前半後半)をしている。ここに引いておこう。
ただ明るいだけではない、冬のおわりに春のきざしを感じとるような、淡彩で透明な明るさ。それがポップなメロディとあいまって、ライブにおいてより明確な躍動感となる。そういった楽曲を、身振り手振りを交えて笑顔で表現することの自然さ。メタルの枠にとどまらない、間口の広さを感じた。とりわけ素晴らしいと思ったのが、TOTの、とくに遼さんの歌とToruさんのギターソロにおける「喜び」の表現力。メタルという音楽性においては、実に稀なものだと思う。そして、ライブを楽しむメンバーとオーディエンスに、楽曲の「喜びの表情」が重なる。それはとても自然で、幸福なものだった。

そう、あの幸福感は得難いものだった。すべては素晴らしい楽曲と優れた演奏あってこそなのだけど、昨夜のライブはTOTの魅力を知るには十分すぎるものだった。その余韻を引きずっていたら、こうしてブログを書かずにはいられなかった。作品だけでなく、ライブであらためて出会えたことを感謝したい。


なかには、例によって「あんな(ポップな)のはメタルじゃない」と言うひともいるだろう。たしかに歌メロはJ-POPを強く思わせもするが、TOTの曲は「ポップな歌とメタルの伴奏」と単純化できるほど安易な作りをしていない。むしろ、メタルを聴き込んでいるひとほど、その緻密さに耳を奪われることだろう。

もちろん、課題がないでもない。英詞はもっと完成度を高めるべきだし、歌声やギタートーンにはさらなるヴァリエーションと「深み」を期待したい。でも、それはこれからの話だ。

なお、次回ライブはこのクレッシェンドでのワンマン公演となる。12月27日土曜。
余程のことがない限り、かけつけたいと思っている。



SET LIST

00. Continuation Of The Dream
01. Euclase
02. Another World
03. The Arclight Of The Sky
04. Stay With You
05. Voice
06. Rebirth
07. The Invisible World Of The Moon
08. Anfillia
09. It Like Snow...
10. Spring Memory
11. Falling Star








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以上が、わたしがライブを観て思ったことだ。もちろん、言及し切れなかった点も多々ある。
ただ今回は、その特異性について語りたかった。他の点はいずれ機会が巡ってきたら書くだろう。

蛇足ながらつけ加えるとするなら、彼らの可能性について、だろうか。

バッキングはメタルであるものの、親しみやすいHarukaのヴォーカルとこのメロディをもってすれば、メタルにとどまらないオーディエンスを獲得しても不思議でないどころか、むしろそれは理の必然であるように思える。陰陽座やLIGHT BRINGERは(女性ヴォーカルを擁している点でも)彼らにとっても目標のバンドであるかもしれないけど、その後につづくだけのポテンシャルは十分にあるはずだ。

また、飾り気のない自然体のHarukaは、「TOTの声」としてだけではなく、その人柄も含めて女性ファンにも支持され得ると思う。現時点ではほぼすべてのファンは男性であると思われるけど、彼らの音楽の大衆性を考えると、このままではもったいない。

それだけに、もっと広い会場で、彼らを知らないひとたちを前にライブをしてほしい、とも思った。もっとも、これは彼らだけではなく、国内のロックシーン全般に言える大きな「課題」なのだけど。世代やジャンルやオーディエンスの「思い込み」の壁の厚さが、音楽とその人との出会いを阻害しているのは残念なことだ。(わたしもまた、未だに「出会えていない」アーティストを山とかかえていることだろう) アーティストだけが奮闘するのではなく、レーベルやマネージメントやプロモーター、ライブハウスやメディアやなど、より多くの「交通」が開かれることを、もうずい分と長い間、願っているのだけど…。


少し話が重くなってしまった。これではTOTを讃えるブログに相応しくない。この辺でおわりにしよう。


2014-09-22

30年30枚 HM/HR編



前回に引きつづき、「30年30枚」です。というかこっちが本番ですね。HM/HR編!


わたしが「意識的に」音楽を聴くようになって、もう20年経ちます。つまり、「TVでやっているヒット曲がたくさん入っているアルバムを買う」時代が終わり、自ら手探りで未知の音楽(洋楽)を求めるようになったのが、1994年だったわけです。

入口はBON JOVIのベスト盤『Cross Road』でした。あとはCDショップで試聴したり、雑誌を立ち読みしたり、友だちと情報交換をしたり、映画やCMの曲を探したり。そして、NIRVANA『Nevermind』VAN HALEN『Balance』が契機となってハードロック方面に舵をきり、HELLOWEEN『Master Of The Rings』で初めてヘヴィメタルを聴いたのが決め手となって、今日に至るというわけです。(なお、この「原初の4枚」は選から外してあります。評価云々や思い入れ以前に、まさにわたしの「基礎」となっているので…)

正直なところ、年々「もうメタルは聴かなくてもいいかな」と思うことが多くなりましたが、こうして今回いろいろと振り返ってみて、自分がどれだけこのジャンルの音楽に救われてきたのか、思い知らされました。

前回も書いたように、好きなアルバムをメモっただけで30枚どころか300枚もありました。そのうち、HM/HRは220枚くらい。実に7割以上がメタル。ここから30枚に絞るなんて、とてもじゃないけどできない!と一度は放棄したのですけど、次から次へと友人知人のみなさんが30枚を選んでいくではないですか。

tokuさんKoutaさん(THOUSAND EYES)、DEATHさん、takasaアニキは洋楽編邦楽編ふたつ(後日、ブログに引っ越し→洋楽編邦楽編)、レイニーさんGeorgeさん(JURASSIC JADE)、Ko1さんKKさんと、みなさんとても興味深い選出。

あらためて思わされたのが、「好き」はひとそれぞれだという、あまりにも当たり前なこと。そして、「好き」とは対象とその人との「幸福な関係」に他ならないのだということ。それを30枚という枠内にまで凝縮するのですから、内容は自然と「濃い」ものに、つまりはその人が見えてくるものとなります。それが面白いのですね。

わたし自身、作品を選びながら、まるで自分のアタマのなかを整備しているような感覚に陥ることが何度もありました。歴史的名盤、嗜好を決めた分岐点的作品、記憶と不可分な作品などがそれぞれ重なったり離れたり。これは「いい」アルバムなのか、それとも「好きだけど本当はそこそこ」なアルバムなのか…?といった自問自答も、聴き返せば「やはり素晴らしい…」という感嘆しか出てこなくて、選びきれないままその曲に浸っている、といった具合。

これでは本当に選べないと思ったので、こうすることにしました。

①「BURRN!誌で選ばれた作品はすべて外す!」(1枚例外を認める)
②「友人知人の選んだ作品も極力外す!」(5枚くらいは許す)

これです。この制限を課したからこそ、なんとか選びきることができました。

たとえば、これでJUDAS PRIEST、IRON MAIDEN、METALLICA、GUNS N' ROSES、DIR EN GREY、MR.BIG、FAIR WARNING、DOKKEN、TNT、ALICE IN CHAINS、PANTERA、IN FLAMES、CARCASS、CONVERGE、NEUROSIS、AT THE GATES、OVERKILL、EXTREME、BAD HABIT、KAMELOT、TERRA NOVA、DIZZY MIZZ LIZZYなどが消えました。彼らの他のアルバムを選ぶこともできたけど、それよりは他のバンドを選んだ方がよかろう、と。

あと、③CDを持っていないものも外しました。借りてきてカセットやMDに入っているものでは、AEROSMITHやBON JOVIやVAN HALENやWHITESNAKEやトニー・マーティン時代のBLACK SABBATHなど、1994~1997年に聴いていたものに多いです。とくにマーティン・サバスは入れたかったけど、仕方ありません。(リマスター再発はまだですか、アイオミ先生…)

さらに、RUSHやASIAやMOTÖRHEADやTROUBLEなど、④「まだ聴いていない名盤」があるバンドも外しました。また、⑤ヴォーカルやギタリストが複数のアルバムにまたがらないようにもしました。それと、前回もそうでしたけど、「これを知ってほしい」「これをもう一度聴いてほしい」という作品を入れるようにもしました。

そんな感じで枠を狭くしたにもかかわらず、やっぱり悩みに悩みました。
以下の30枚は、「マイベストHM/HR、100分の30本日版」みたいなもんです。
まあ、選んだみなさんも同じ思いでしょうね。それでは、どうぞご覧ください。年代順です。



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MEGADETH
Killing Is My Business... And Business Is Good! (1985)

インテレクチュアル・スラッシュを標榜してデビューしたMEGADETHの1st。たいていは2nd『Peace Sells... But Who's Buying?』(1986)か4th『Rust In Peace』(1990)を選ぶだろう。あと5th『Countdown To Extinction』(1992)とか。わたしだってそうしようとしたが、そこは先人に譲り、1stにした。(ちなみに、『So Far』『Youthanasia』『Risk』も大好き) 初めて聴いたとき、リフの切っ先の鋭さと、リフの数の多さに度肝を抜かれた。とにかくリフ、リフ、リフの嵐。そこにデイヴ・ムステインの、荒々しいヴォーカルがのる。徹頭徹尾「メタル」な音像なのに、どこかパンクの(ひいてはロックンロールの)感触を留めているところはNWOBHMの一群や、他のスラッシュ・メタルのオリジネイターたちと同様。ただし、いちばんテクニカルでアタマのおかしいのが、ムステインなのだった。アイディアの量と凝縮度が異常である。たった30分程度の作品とは、とても思えない密度なのだ。インテレクチュアルと自称しておきながらも知的に統御している印象はなく、むしろ衝動を煮詰めて解放したといった感触が強い。それだけMETALLICAへの対抗意識が強かったのだろう。にもかかわらず、どこか冷たく、醒めている。そこが途轍もなくかっこいい。(ただ、再発盤に収録されている"These Boots"のピー音はどうにかしてほしい…)


ZENO
Zeno (1986)

ウリ・ジョン・ロートの実弟、ジーノ・ロート率いるZENOの1st。メロディアス・ハードの頂点のひとつ。オリエンタルなメロディを積極的に導入しているところは兄譲りか、それとも家風か。(ロート兄弟の父は国際的なジャーナリストだった) このアルバムに限らず、ジーノが作る音楽はとても情熱的で美しく、歌詞において氾濫しているように「愛」に満ちている。兄ともども、ジーノが希求しているのは形而上学的な「平安」であるように思われる。現実におけるそれではなく、もっと本源的な在り方としての安寧を探究した結果、兄は宇宙へ、弟は地平線へと向かったというのがわたしの見立てで、その動因にして目的が「愛」なのだろう。雄大なスケール感を内包した楽曲群が、情景描写であると同時に感情表現でもあるところにこの兄弟の真骨頂がある。自分と自然を同化させること、それは天使の所業でもあるだろう。それにしても、これほどまでに「愛」を歌い/謳いながら、どうしてこんなにも切なさに覆われているのか。とくに本作においては、言い知れぬ詩的な寂寥感がそこかしこで顔を出す。そこに惹かれるのだ。その点、マイケル・フレクシグの清らかな歌声はまさにぴったりだった。ギターをより全面に出した同路線の2nd『Listen To The Light』(1998)、ヴォーカルがマイケル・ボーマンに代わってより正統派ハードロックに近づいた3rd『Runway To The Gods』(2006)でもよかった。ふたつの未発表曲集も素晴らしい。とくに、"Love Will Live"のExtended Versionは必聴。


QUEENSRŸCHE
Empire (1990)

シアトルの個性派、QUEENSRŸCHEの4th。3rd『Operation: Mindcrime』(1988)が古今無双の傑作であるため、他の作品が霞んでしまっているのが残念だ。クリス・デガーモ在籍時の作品はすべて傑作ないし秀作だというのに。(6th『Hear In The Now Frontier』はあまりに誤解された秀作だった) 本作は、「都会的な洗練」をHM/HRに施すという、空前絶後の試みに成功した唯一の作品と言えよう。いや、意識的に試みたのか、結果的にそうなったのかは、わからない。しかし、他に類似する作品は(少なくともHM/HRのフィールドには)見当たらない。やわらかく美しいメロディが全編に満ちている一方で、どこかピンと張り詰めた緊張感が持続している。煌びやかなサウンドなのだけど、80年代的なケバケバしさは皆無。それどころか、凛とした音像にこちらの身が引き締まるかのようだ。歌唱、リフ、ギターソロ、ベース、ドラムのすべてが完璧かつ個性的で、歌詞の完成度も高い。これはひとつの極点に違いないのだが、「何の」極点なのか未だにわからないという孤峰なのだ。なお、近未来的なイメージを照射する正統にして異端なメタルの2nd『Rage For Order』(1986)、PINK FLOYDを思わせるナチュラルな音像の5th『Promised Land』(1994)も傑作。(クリス脱退後も作品自体は面白いものが多い。ただ、メロディの質は格段に下がってしまった)


BLIND GUARDIAN
Somewhere Far Beyond (1992)

ドイツの守護神、BLIND GUARDIANの4th。もっとも聴いたメタル・アルバムのひとつ。タイトル曲はあまりに聴きすぎたため、いまでも歌詞をすべて覚えているし、高校1年生の美術の時間にこの歌詞を引用した版画を作成したほどハマっていた。「ハイ・ファンタジーの世界をメロディアスでシンフォニックなパワー・メタルで描く」という手法は、間違いなく彼らが完成させたものだろう。いや、他にも先駆者はいたのだけど、アルバムとして提示される世界観の徹底度が違う。軸となる勇壮なメロディ、歌詞世界を表現するための楽曲展開、その内容を豊かにするアレンジはもちろんのこと、メタルならではの荒々しいアグレッションがそこかしこで噴出するのがまた素晴らしい。3rdから6thまでの、90年代の作品はどれも同系統の傑作だけど、わたしはやっぱり思い入れの強い本作がいちばん好きだ。21世紀に入ってからの作品はこの頃ほどの烈しい「熱」がないけど、その分、曲作りの緻密さを磨いている。また、脱退した初代ドラマー、トーメン・スタッシュが結成したSAVAGE CIRCUS『Dreamland Manor』(2005)は、まさにこの時代の音楽性を継承している。


HAREM SCAREM
Mood Swings (1993)

カナダの技巧派集団、HAREM SCAREMの2nd。これだけは他のだれが選ぼうと外せない。わたしがもっとも聴いたアルバムは、間違いなく本作。何千回聴いたかわからない。美しいメロディ、重厚なハーモニー、テクニカルでヘヴィなリフ、センス溢れる個性的なギターソロ、そのすべてを記憶してもなお未だに聴きつづけているし、それはこの先も変わらないだろう。メロディアス・ハード永遠の名盤である。ただ、「彼らの傑作はこれだけ」みたいな言説には釘を刺しておかねばならない。馬鹿言うな、と。わたしに言わせれば、『Overload』と『Hope』以外はすべて傑作である。傑作が言いすぎだとしても、佳作秀作であることは間違いない。これは改名していたRUBBER時代(1999年~2001年)も含めて、である。「ダークになった」問題作とされつづけている3rd『Voice Of Reason』(1995)なんて、ピート・レスペランス最高のソロが聴けるではないか。1998年~2001年の作品はいずれもハード・ポップの隠れた名盤だし、名前を戻してからの『Weight Of The World』(2002)、『Higher』(2003)、『Human Nature』(2006)はメロディアス・ハードの最高峰。ストレートな1st『Harem Scarem』(1991)、ヒネリのきいた4th『Believe』(1997)も傑作。「本作だけ傑作」では断じてないのだ。タイプの異なる優れた作品ばかりを残した彼らは、器用すぎたのだろう。いまは、年末に発表されるらしい新作『Thirteen』を心待ちにしたい


KYUSS
Welcome To Sky Valley (1994)

米国産ストーナー・ロック、デザート・ロックの祖、KYUSSの3rd。実際に砂漠でライブをやっていたというのだから恐れ入る。90年代末から2000年あたりにかけてストーナーの一時的な流行があったけど、そのころに知った。現QUEENS OF THE STONE AGEジョシュ・オムが在籍していたことでも知られている。(なお、QOTSAはその流行から抜け出てメジャーな成功を収めた、唯一のバンド。ストーナーについては、ここで少し書いている) 3つの楽曲(楽章)のそれぞれに、3曲4曲を詰め込むという変わった構成になっていて、いずれも15分~18分くらいある。この手の音楽性はトリップ感が愛でられるため、浮遊感や曖昧性が尊ばれる傾向にあるけど、本作はそうした傾向を押さえつつキャッチーであるという離れ技を成功させた。しかも、砂漠の暑さに白む意識までをも活写したかのような迫真性と、そんな人間を高所から(まるで禿鷹のように)俯瞰する超越性が、言うなれば「聖性」までもが顕現しかけているのだから凄い。ジョン・ガルシアの乾いた声が、人影の見当たらない荒涼たる灼熱の砂漠に響く。どの作品もいいし、解散後のメンバーがやっているどのバンドもよい。とくに、昨年リリースのVISTA CHINO『Peace』は「ほぼKYUSS」で愛聴している。


SLAYER
Divine Intervention (1994)

帝王SLAYERの6th。3rd『Reign In Blood』(1986)が、バンドを超えてスラッシュ・メタルというサブジャンル、ひいてはヘヴィメタルというジャンルの最高傑作のひとつであることは、言うまでもない。が、①②の「縛り」もあることだし、他に1枚と言われたらわたしの場合これなのだ。というのも、初めて聴いたSLAYERが本作だったのである。それはもう、尋常ならざる衝撃だった。1曲目、歌が入った時点で「あ、失敗したかな…」と思うも、加速していく中盤の熱狂にのみ込まれてからはもう、興奮して夢中だった。何曲か、あまりに速くて思わず笑ってしまった。また、犯罪者の異常心理を歌った歌詞にも驚かされた。「いつも同じだけど、いつもどこか違う」のがSLAYERの特質にして美点なのだけど、本作の場合はもっとも冷徹なイメージをわたしは抱いていて("213"のインパクトが強すぎたのかも)、変質的殺人者の青ざめた無表情が脳裏に浮かんでくる。それはさておき、リフも強力なものばかりだ。あまり言及される機会のない作品だけど、完成度はとても高い。ちなみに、1998年リリースの次作『Diabolus In Musica』も大好きである。


TALISMAN
Humanimal (1994)

マルセル・ヤコブジェフ・スコット・ソートと結成したスウェーデン産メロディアス・ハード/北欧メタルの雄、TALISMANの3rd。歌メロとグルーヴは水と油、両立できない場合がほとんどで、たいていは90年代米国産ヘヴィ・ロック勢のような、陰鬱でささくれたメロディに行きつく。しかし、彼らは違った。アメリカ人であるジェフの野性的でダイナミックな歌唱と、スウェーデン人であるマルセル作の透明感溢れる美しいメロディが共振し、それをマルセルの超グルーヴィなベースがつないだ。驚異的と言っていいほどメロディとグルーヴのバランスがとれた音楽性はしかし、登場が早すぎたのかもしれない。日本盤と海外盤で内容を差し替えた連作としてリリースされるという混乱が、当時の無理解を物語る。そのため、以後はグルーヴを控え目にした作風にシフトしていくことになる。(それもまた素晴らしいのだけど。なお、これより以前の、より正統的な作風もよい) だが、ここでも書いたように本作は未だに活かし切れていない音楽的アイディアの宝庫だと思う。正統派メタルとファンキーなグルーヴに、虹のような橋をかけた奇跡の一枚。


OUTRAGE
Life Until Deaf (1995)

国産スラッシュ・メタル最大の成功者、OUTRAGEの6th。4th『The Final Day』(1991)、橋本直樹復帰後1作目の『Outrage』(2009)とあわせて、最高傑作の1枚だと思う。ただのスラッシュ・メタルに止まらない、同時代のグルーヴィなヘヴィネスを取り入れた作風は実に個性的。橋本が歌うメロディはとても力強いがパワー・メタル風には決してならず、パンキッシュな質感がある。(こうしたパンク性は、国内のあらゆるアンダーグラウンド・バンドと通底する日本のヘヴィ系バンド特有のものかもしれない) オーガニックとマシーナリーを往還する音作りもこのグルーヴにぴったりだし、アルバムのアタマとラストが有無を言わさぬ名スピード・チューンであることは、本作最大の強みでもある。ちなみに、パンキッシュな要素を高めた次作『Who We Are』(1997)でわたしは彼らに出会った。そのためそちらをあげることも考えたが(実際、素晴らしいアルバムだ)、後追いで聴いた本作の衝撃を採った。なお、トリオ時代の『Cause For Pause』(2004)はデザート・ロックの名盤であることも付記しておく。


PARADISE LOST
Draconian Times (1995)

ゴシック・メタルの始祖、英国のPARADISE LOSTの5th。ゴシカルな暗黒性と耽美性にメタルの攻撃性を接合しようとする彼らの試みは、本作において比類なき完成を迎えた。絶望的なまでに陰鬱なこの異形の美は、ここへ来て聖性すら帯びた徒花となったのである。ゴシック・メタル史上最高の「聖盤」と言えるだろう。このグロテスクな美に満ちた作品世界を見事に表現したアートワーク、ブックレットともに、この聖性に貢献しているのが素晴らしい。トータルとしてのアルバムの在り様は、こうでなければならない。グレッグ・マッキントッシュ(当時は「グレゴア」だった)の奏でるメロディの悲壮感と情熱、その煽情力は他に類を見ない。とくに、"Yearn For Change"のギターはいつ聴いても震える。もっと評価されるべきギタリストだ。以後はニューウェイヴ方面へと暗黒と耽美の探究を進めたが(それはそれでわるくなかったと思う)、またメタルのフィールドに戻ってのセルフタイトル作以降もよい。ただ、メタル市場を意識しすぎているのか、音が硬すぎるきらいがある。むしろ、本作のようにブリティッシュ・ハードロック的な質感にこそ活路があると思う。もっとも、それはわたしの好みでしかないのかもしれないが。


THUNDER
Behind Closed Doors (1995)

ブリティッシュ・ハードロック・バンド、THUNDERの3rd。ふつうに選べば1st『Backstreet Symphony』(1990)だし、やや冗長だけどいい曲ばかりな2nd『Laughing on Judgement Day』(1992)、叙情的な5th『Giving The Game Away』(1999)、再結成後の7th『The Magnificent Seventh』(2005)と8th『Robert Johnson's Tombstone』(2006)も大好きなのだけど、初めて彼らに触れたこちらにした。彼らの作品群のなかではもっともシリアスで重々しいテーマを扱った曲が多く、そのため本人たちはあまり気に入っていないらしい。それでも、その深刻さ故にダニー・ボウズの歌が殊のほか胸に響く。とくに、"It Happened In This Town"は絶唱である。もちろん、明るくキャッチーな曲もたくさんあって、"River Of Pain"はバンドを代表する名曲。わたしは本作を聴くことで、「フックのあるメロディ」とはどうゆうものなのか、理解したのだった。本作をきっかけに、メロコアやジャーマン・メタルに数多く見受けられた、ただスピーディーに流れていくだけのメロディに見切りをつけ、より曲作りのしっかりしたバンドを探すことになる。


HELLOWEEN
The Time Of The Oath (1996)

ドイツのカボチャ集団、HELLOWEENの7th。アンディ・デリス加入後2作目。BURRN!でインタビューを読んで期待を膨らましつづけ、その期待を上回ったアルバムに狂喜乱舞したのは、本作が初めてだった。上記THUNDERの3rdと同時期、高校受験が終わった頃のこと。それゆえ思い入れも深い。冷静に考えれば、アンディ加入後の最高傑作は昨年の最新作『Straight Out Of Hell』だろう。ただ、いつからかアンディは「メタル市場に合わせた」曲作りや歌唱にフォーカスするようになっていったと思う。(それで成功するほど、彼の音楽的才能は優れているということなのだが) 彼の持ち味はむしろ、ハードロック的なメロディセンスとマイルドな歌い回しにあるとわたしは思っていて(彼が在籍していた頃のPINK CREAM 69の長所が、まさにそれだった)、だからこそ本作がもっとも耳に馴染んでいる。独産南瓜ならではのファニーなセンスも、わたしは好きだった。ヴァイキーの曲作り、マーカスの超個性的なベースも素晴らしい。メロディック・パワー・メタルのなかでも、とくにメロディアス・ハード寄りの名盤と言える作品なのかもしれない。


DREAM THEATER
Falling Into Infinity (1997)

ボストン発、プログレ・メタルの祖、DREAM THEATERの4th。わざわざ断るまでもなく、代表作は2nd『Images And Words』(1992)と5th『Metropolis Pt. 2』(1999)で間違いない。実験的な6thも、ダークな攻撃性に満ちた7thも大好きだ。それでも本作を取り上げたのは他でもない、このアルバムには「彼らがとり得た別の可能性」が見受けられるからだ。発表当時、地味な作風の本作は賛否が分かれた。華々しいテクニカルな演奏も控え目で、もっと感情表現や情景描写に重きをおいた、あたたかみのあるオーガニックな音作りもこれまでとは違っていた。わたしは「賛」だった。彼らはこれから、「超絶技巧を持ちあわせたPINK FLOYD」のようなバンドになっていくと思ったのだ。その期待は次作で一部開花したものの、以後はこうした「やわらかさ」はなりを潜め、8th、いや9th以降はプログレ・メタルの類型に囚われてしまった感がある。(それはそれで高い質を保っているところは流石だが) 言うなれば、本作は彼ら唯一の「ハードロック・アルバム」なのだ。これはメタルの硬さ・光沢ではなく、宝石の原石がもつそれだったのである。なお、"Just Let Me Breathe"は夢劇場屈指にして唯一の怪作ディスコ・チューンである。


THE WiLDHEARTS
The Best Of THE WiLDHEARTS (1997)

英国のお騒がせバンド、THE WiLDHEARTSの2枚組ベスト。ベスト盤を選ぶというズルしてでも、彼らは入れたかった。1st『Earth vs. The Wildheats』(1993)と迷ったけど(『p.h.u.q.』は①②に引っ掛かるから)、1枚でほぼすべての名曲を網羅でき、入手困難なレア音源も収録されていて、その上、ジンジャー本人の選曲で彼が楽曲解説までしているのだから、これしかないのだ。ポップでキャッチーな、メロディアスでパンキッシュなロックンロールなのに、メタリックなリフがヘンテコなリズムで飛び出してくるという、わけのわからなさが素晴らしい。ジンジャーが天衣無縫の天才ソングライターであるばかりか、優れたリフ・メイカーであることも強調しておこう。(このヘンテコさは、同時代に活躍したDIZZY MIZZ LIZZYのティム・クリステンセンも同様であると付記しておく) それにしても、なんとキュートで切ないメロディばかりを書くのだ、この男は。それでいて、ささくれた初期衝動を手放しはしない。この絶妙なバランス感覚は、この頃までの彼ら最大の特質だった。再結成後の作品も素晴らしいけど、この時代のマジックは薄れてしまった。(それでも、ライブではまだまだ「魔法」は健在だったことを寿ぎたい)


Devin Townsend
Infinity (1998)

カナダの鬼才、デヴィン・タウンゼンドの3rd。2nd『Ocean Machine: Biomech』(1997)と5th『Terria』(2001)の間で、悩みに悩んだ末にこれにした。デヴィンの内宇宙を覗きこんだら、真っ白い世界に様々なクリーチャーが…というアニメ的な印象を最初は受けたものだったが、実際はそうしたポップ感もある一方で、異様な深度とスケール感も備えており、とても一筋縄ではいかない。(もっとも、いつもそうなのだけど) 通常の「シンフォニック」とは一線を画する、多層的な声とギターの壁が凄い。音の構造物というか、ひとつの世界を作り上げてしまうような、偏執狂的な作り込みようである。また、ジーン・ホグランの軽快なドラミングが楽しめる"Bad Devil"のカートゥーン感もまたデヴィンらしい。といっても、本作はTHE WiLDHEARTSジンジャーと共作したポップな"Christeen"に尽きる。デヴィンの作品に外れはないから、手当たりしだいに聴いてみればいい。何者にも似ていない、彼だけの世界がそこにある。もう再結成することはないらしい、STRAPPING YOUNG LADの2nd『City』(1997)も必聴盤。ちなみに、嬉しいときは『Ocean Machine』を、哀しいときは『Terria』をよく聴く。(本作はその中間か) 薄っぺらで表面的な「癒し」ではない、もっと本源的な癒しが彼の音楽にはある。もっとも敬愛する音楽家のひとりだ。


A.C.T
Imaginary Friends (2001)

スウェーデンのプログレ・バンド、A.C.Tの2nd。プログレと言ってもかなりコンパクトな作風で、メロディアス・ハードとしても聴ける間口の広さがある。知的で繊細な曲作り、アレンジの緻密さは驚異的なレベルと言っていいだろう。まるで冗談かパロディのように挿入されるわずかなパッセージに、彼らの非常に高度な演奏力とユーモアのセンスが垣間見える。「かわいらしい」とさえ形容可能な可憐なメロディがまた絶妙で、おもちゃ屋で興奮するこどもの姿を思い浮かべてしまうほどのイノセンスに満ちている。その一方で、そうした無垢を抱えたがゆえに直面せざるを得ない困難といった現実的なテーマをも扱っていて、世界文学級のモダン・ファンタジーといった印象も強い。QUEEN、GENESIS、IT BITESの眷属と言ったら、少しはその作風が伝わるだろうか。本作はとっかかりとして聴くに最適なため選んだが、どの作品も傑作である。彼らのエッセンスが詰まった1st『Today's Report』(1999)、コンセプト作の3rd『Last Epic』(2003)と5th『Circus Pandemonium』(2014)、そして、あまりの切なさに胸が苦しくなる4th『Silence』(2006)(これにしようと思ったけど、とくにラストの組曲が本当に切なくて仕方ないので、見送った)といった具合に。来日公演を願ってやまない。


HARDCORE SUPERSTAR
Thank You (For Letting Us Be Ourselves) (2001)

スウェーデンのロックンロール・バンド、HARDCORE SUPERSTARの2nd。衝撃的なデビュー作『Bad Sneakers And Pina Colada』(2000)、ライトでポップな3rd『No Regrets』(2003)、80年代グラム・メタルを見事に現代仕様で甦らせたセルフタイトル作(2005)と、いずれももの凄く聴き込んだアルバムだ。一時期、間違いなくいちばん好きなバンドだった。ただ、メイン・ソングライターのシルヴァーが脱退してからは、やや類型的な音楽性に固定されてしまった気がする。彼らの持ち味は、「曲さえよければ何でもいい」という柔軟で軽やかなセンスにあったと信じて疑わないわたしにとって、もっとも散漫で曲調にバラつきのある本作は、彼らの才能を如実に示す見本市に思えてならないのだ。軽いロックンロールも、典型的なハードロックも、バラードも、ポップな曲もすべて、哀愁のメロディによってコーティングされている。その悲哀の度合いは、確実に本作が突出している。それ故に、このヴァラエティと繊細なメロディセンスが、類型的なハードロックに埋もれてしまったかのようで残念だ。(ただ、虚心に聴けば、後任ギタリストのヴィック・ジーノ加入後の作品も素晴らしいのだけど)


SNAKE HIP SHAKES (ZIGGY)
Virago (2001)

「大人の事情で」ZIGGYが名乗れなかった時期(2000年~2002年夏)、彼らはSNAKE HIP SHAKESとして活動した。これはその2nd。彼らがもっとも一丸となって活動していたのは、まさにこのSHS時代ではなかったか。それまでの幅広い音楽性を一度リセットし、メロディアスなハードロックに特化したこの時期のSHSは、とにかく楽曲に勢いと生命力が漲っていた。森重樹一が歌う「森重節」も絶好調で、ヘヴィにガナリたてるような楽曲にあっても、キャッチーなメロディの魅力が失われることは決してなかった。「まさにZIGGY」な1st(2000)、完成度の高い3rd『Never Say Die』(2001)ともに捨て難いが、もっとも高揚した勢いに溢れる本作を採った。もちろん、ZIGGYに戻ってからの作品も素晴らしい。というか、わが家にある「森重樹一が歌っている音源」は30枚以上に上り、そのすべてがこの30年のものなのだ。とうてい選べるわけがない。ベスト10すら難しい。前回ブログにソロを回してもなお、迷いに迷った。が、この時代を忘れてはなるまいとSHSに。森重が歌う作品では、The DUST 'N' BÖNEZの2nd『Rock'n'Roll Circus』(2006)もメロディック・ヘヴィ・ロックンロールの名盤。ZIGGYは…キリがないからやめておこう。


NOCTURNAL RITES
Shadowland (2002)

スウェーデンのメロディック・パワーメタル・バンド、NOCTURNAL RITESの5th。文句なしにダサいジャケ、なんのヒネリもない紋切型の歌詞、想像力を欠いた曲名のセンスなどは、いくらでもツッコミを入れることができるほどにB級である。しかし、とにかくメロディがいいのだ。それを、少しハスキーな声でジョニー・リンドクヴィストが歌うと、この上なく情熱的なものとなる。以降は質も安定していてどれもいいのだけど、本作の登場には実に驚かされた。前ヴォーカリスト在籍時の3rd『The Sacred Talisman』(1999)を愛聴してはいたけど、もっとマイナー調の、いわゆる「クサメロ」を聴かせるバンドだった。(それはそれでよかったけど) それがもっと垢ぬけて、より普遍的な正統派メタルに接近したのだ。ヴォーカルの声質もあって、部分的にはハードロックっぽくも聴こえるところが大好きだ。また、本作を聴いていた当時の幸福な記憶と不可分な作品でもある。今回の30枚では、いちばん個人的な選出かもしれない。もう長い間、音沙汰がなくて気がかりである…。


SLIPKNOT
Vol. 3: The Subliminal Verses (2004)

アイオワ発、猟奇的9人組重音楽団SLIPKNOTの3rd。「NIRVANA meets SLAYER」なデビュー作(1999)も、ブラック・メタル成分が増したブルータル極まりない2nd『Iowa』(2001)も、途轍もなく驚かされる作品だった。しかし、本作はその到達された深みにおいて感動的ですらあった。前作が、躁状態の嗜虐性を外に向けて解き放った作品だとすれば、本作は逆に、鬱状態の自傷性を内に向けて炸裂させた作品だと言えるだろう。加えて、メロディの充実度やアレンジの多様性が飛躍的に向上した。ネガティヴでヘヴィな感情表現の、完成された姿がここにある。しかも、大衆性を留めたままで。それまで、新世代Nu Metalの旗手程度に思っていたのが、本作を聴いたことで認識をあらためることとなった。これはまさに「芸術」ではないかと息をのみ、"Before I Forget"の中盤、「あの」メロディが登場したときは全身総毛立つほど感動した。構成、トータリティも申し分ない。本作が抱えた「痛み」は、全編を覆うメロディの叙情性と、暴力的な攻撃性の狭間でどくどくと脈を打っている。浄化作用のある劇物とでも言おうか、癒しとは違った、逆説的な「救い」のある一枚だ。これもまた「祈り」に似た「なにか」なのかもしれない。(それだけに、次作は肩すかし感があった…。新作も心配だ…)


CATHEDRAL
The Garden Of Unearthly Delights (2005)

英国のドゥーム・メタル中興の祖、CATHEDRALの8th。ハードコア好きのアナーキーな政治少年がブリティッシュ・ロックの深い森へと分け入り、出てきたら超マニアックなドゥーム魔人になっていた、というのがヴォーカリストのリー・ドリアンの略歴だが(?)、嫌がらせのような超スローの牛歩っぷりが怖ろしい1stはともかく、基本的にはキャッチーなハードロックに怪しいおっさんのヘッタクソな歌声がのる、というのが彼らのスタイルである。リフの質の高さは特筆すべき水準であるし、英国アンダーグラウンド・シーンをプログレからハードロック、NWOBHMからパンク/ハードコアまで総覧した上で吸収し吐き出す手腕も相当なものだ。(ただし、消化しきれず散漫な作品となってしまったものも、いくつかあるのだけど) 本作は2nd『The Ethereal Mirror』(1993)、3rd『The Carnival Bizarre』(1995)と同系統の、コンパクトな楽曲が並んだキャッチーな作品。それでも、リフの音がハードコア的な刺々しさを宿していたり、ラストに27分のプログレッシヴな大曲を収めたりと相変わらずやってることは複雑にして豊饒だ。2枚組の次作『The Guessing Game』(2010)と迷ったが、こちらの方が聴きやすいだろう。日本最終公演は、実に素晴らしいものだった。もう観れないのが寂しい。


SENTENCED
The Funeral Album (2005)

フィンランドのノーザン・メランコリック・メタル・バンド、SENTENCEDの最終作。タイトル通り、自らを葬るアルバムだ。しかし、それにしてはあまりにもエナジェティックな葬式である。幕開けのかっこよさはメタル史上に残るレベルだし、メロディの力強さも過去最高。ヴィレ・レイヒアラのダーティな声が、楽曲の荒々しさと悲哀をさらに高めている。雪片が風に舞うかの如き繊細なギター・メロディやピアノによるアレンジが、ただひたすらに哀しく美しい。初期の叙情デスのスタイルも素晴らしいのだけど、よくぞこれほどまでの完成度にまで達したものだと感嘆した。それも、他に類を見ない個性において、である。故ミーカ・テンクラの天才があってのことではあるが、バンドのイメージ創出も含めて稀有の存在だった。ついに来日公演叶わなかったことが残念でならない。地元での最終公演を収めたDVDを見ればわかる通り、本当にバンドの「死」を思わせるリアリティが、彼らにはあった。短いアコースティックの静謐なインストで緊張感を高めた後、最終曲につづく演出もこころにくい。そのラストの"The End Of The Road"は、劇的な構成、天から降り注ぐかの如きコーラス、終盤の強烈無比なギターソロ、躍動感あるアンサンブルと、すべてにおいて完璧な名曲。聴くたびに泣く。前作『The Cold White Light』(2002)も名盤。


ARCH ENEMY
Rise Of The Tyrant (2007)

マイケル・アモット率いるスウェーデンのメロディック・デス・メタル・バンド、ARCH ENEMYの7th。アンジェラ・ゴソウ在籍時の最高傑作が本作だ。リフ、ソロ、ヴォーカル・ライン、そのどれをとっても申し分ない出来栄えで、とくにギター・メロディの充実度は全作品中屈指ではないのか。初期の獰猛な荒々しさや、よりシンプルであるがゆえの直接性といったものは、もう認められないかもしれない。それでも、このスタイルにおいて頂点を極めたと言えるほどの貫録が、言うなれば王者の気品のようなものが、ここにはある。それを「洗練」と言っていいのかもしれないが、そうした音楽的洗練に先立つものを、つまりは、先頭を切って戦いに臨む者のみが示しうる「気高さ」を、わたしは本作に感じるのだ。この「気高さ」を、前作収録の超名曲"Nemesis"の世界がアルバムサイズにまで発展したものとして、わたしは受け取った。だからこそ、「LOUD PARK 07」で来日した彼らが見せてくれたステージは、別格の感動をもたらした。すべてが完璧だった。まさに王者の貫録を身にまとっていたのだ。ところで、これは余談だが本作のいくつかのソロは、わたしには「金色」に「見える」。音を聴いてはっきりと色が見えることはあまりないので、ここに記しておこう。


DEF LEPPARD
Songs From The Sparkle Lounge (2008)

言わずと知れた英国の牛、ではなくて豹、DEF LEPPARDの9th。当然のように4th『Hysteria』が最高傑作なのだが、他のアルバムもすべて素晴らしい。(わたしは問題作の『Slang』と『X』すら好きである) 5th『Adrenalize』でも7th『Euphoria』でもよかったのだけど、実のところ全作品でいちばん好きなのが本作。なんといってもアルバムを40分以内に収めたのが素晴らしい。歴代のLEPSのアルバムはたいてい60分前後あったので、これは新鮮だった。楽曲も粒ぞろいで、とくに本作は70年代グラム・ロックへの憧憬が色濃く出ているのが特長だ。とは言え、ストレートに往時のアプローチを採用するのではなく、彼らなりの消化を経たものなのでレイドバックした感じは一切ない。むしろ、溌剌とした若々しさが全編を覆っている。3rdから5thに顕著だった巨大なアリーナ・ロック感は後退したものの、すぐそこで演奏をしているような等身大の自然さが、彼ららしくていい。同期のIRON MAIDENと違って「偉大なバンド」とは思われないし言われないバンドだが、30年以上の長きにわたって素晴らしいバンドでありつづけているのだから、偉大である。2011年のライブも素晴らしいものだった。早く新作を出して戻ってきてほしいものだ。


IT BITES
The Tall Ships (2008)

ジョン・ミッチェル(ARENA他)が新たに加入して再結成された英国のプログレ・バンド、IT BITESの4th。フランシス・ダナリー在籍時の初期3作もすべて傑作なのだけど、本作との出会いは文字通り「救い」だったため、こちらを選ぶよりほかない。プログレとは言っても難解なところは一切なく(音楽的には相当に複雑なことをやってのけているのだけど)、キャッチーでポップでコンパクトな楽曲が並ぶところは初期と変わりない。ただ、初期の音楽性が英国ニューウェイヴ勢と通底するものを持っていたのに対し、本作はより成熟したメロディアス・ハードへと接近しているのが違いと言える。むしろ、彼らにとってプログレは隠し味なのだ。初期の、神童たちが目を見張るような遊びを繰り広げているかの如きイノセントな世界も唯一無二だったが、本作が提示する、高い知性と柔軟な感性に裏打ちされた詩情豊かな世界も、比類なき美しさを放っている。その世界には、遠い追憶や淡い郷愁をかきたてられ、しばし放心してしまうような「透明な光」が横溢している。ただ美しいだけではないこの深みを、年齢的な習熟に帰していいものか迷うところだ。というのは、あらゆる細部にわたって瑞々しさがいきわたっているからだ。音楽ファンはもとより、欧州の映画や世界文学を愛好するひとにも聴いてもらいたい。なお、ボーナス・トラックも素晴らしい出来なので、日本盤をお薦めする。


AMORPHIS
Skyforger (2009)

フィンランドのメランコリック・メタル・バンド、AMORPHISの9th。初期の叙情デス時代から中期の模索を経て、新ヴォーカリストのトミ・ヨーツセン加入によって彼らの音楽性は完成された。これはトミ加入後3作目。フィンランドの民俗叙事詩『カレワラ』の神話世界を材に採りつづけている彼らだが、今回は「空を鋳造した」鍛冶屋のイルマリネンという工人的神格を巡る物語が展開される。美しくたおやかなメロディ、細部にまで行きとどいた繊細優美なアレンジ、激烈なヘヴィ・パートを演出するグロウルとリフ、そして、この世界をかたどる精妙な歌詞と、すべてが極めて高い完成度を誇っている。実のところ、トミ加入後の5作はすべて傑作なので、どれを選んでもかまわないのだが、本作に殊のほか愛着があるのは、当時の記憶によるところが大きいのかもしれない。そうした個人的な事情を差っ引いて考えるとしたら、やはりこの「空」というテーマが喚起する清々しさや開放感と、収録曲の感触との間に重なるところが多いからだろう。とくに、名曲"Silver Bride"の美しさはまるで晴れ渡った空のようではないか。本作の次にあげるとしたら、前作『Silent Waters』(2007)の深い憂いか。最新作は音作りがもう少しメタルよりになったが、彼らにはもっとハードロックよりのオーガニックなサウンドが似合うと思っている。


DEAD END
Metamorphosis (2009)

日本ロック史が抱えた謎にして伝説、元祖ヴィジュアル系の一角でもあるDEAD ENDの5th。1990年に活動停止してから、実に19年ぶりの「再臨」である。荒々しいメタルの1st『Dead End』(1986)、暴虐性と耽美性と同居させた2nd『Ghost Of Romance』(1987)、ニューウェイヴにも通じる雰囲気を持った洗練と暗黒の3rd『shámbara』(1988)、明るくポップな音像にシフトした洗練と清浄の4th『Zero』(1989)と、初期は毎年キャラクターの異なる傑作を発表していたのだから恐ろしい。音楽的アイディアはもちろんのこと、メンバーの技量もセンスも抜きん出ていたが、そのためHM/HRシーンからの理解は薄かったようだ。それでも、彼らの音楽は基本的にメタルである。(『Zero』だけはジャンル不肖のライトなメロディック・ロックだが、それにしたってハードロックに由来する音楽性と言える) Morrieはその歌唱法をどんどん発展させてきたが、再臨後の本作以降はディープで妖艶なヴォーカルを聴かせている。月明かりのミステリアスな世界にエロティックな血飛沫が舞う、美しくも激しい作品だ。次作も多彩な作風で素晴らしいのだが、ドラムのMinato(湊雅史)の不参加は痛かった。本作において暴れまわる彼のドラムは間違いなく彼らに不可欠の要素なのだと思った次第。なお、3rdの「こどもたち」がLUNA SEA、4thの「こどもたち」がL'Arc~en~Cielだと思っている。あと、ギタリストのYouについてはここで書いている。


 PAIN OF SALVATION
Road Salt One & Two (2010-2011)

スウェーデンのプログレ・メタル・バンド、鬼才ダニエル・ギルデンロウ率いるPAIN OF SALVATIONの7thと8th。かなりずるい選出だが、これは2枚組1作品として扱いたい。残念ながらB!誌のインタビューが2作ともなかったため、本作のコンセプトをダニエルの口から聞くことはできなかったが、両作を聴きながら歌詞や海外のネット・インタビューを読んだりブックレットの奇妙な写真を眺めたりするにつれ、ますます分からなくなった。毎回、難解なコンセプトをさらに難解な歌詞で表現するダニエルであるが、本作もまた様々な解釈が可能な「隙間」が多い。(どうやら、群像劇となっているもよう) それはさておき、その音楽性はかつてのようなDREAM THEATERに通じるプログレ・メタルからは遠く離れ、70年代のハードロックのようなシンプルでヴィンテージ感のある音像・曲調となっているのに驚かされる。アレンジもかなり凝っていて、ゴスペルやR&B、民謡からジャズにいたるまで、幅広く音楽言語を狩猟している。それでいてアタマでっかちなパッチワークにならないのは、ダニエルのメロディ・センスと豊かな感情表現の賜物であるし、また彼を支えるメンバーとのアンサンブルがとてもナチュラルで、息苦しさを感じさせないことによるだろう。(残念ながら、ギタリストとキーボーディストはすでに脱退している) なお、前篇が「山」や「森」、後篇が「海」や「岸辺」といったイメージ。実は本作を聴いて、上記DREAM THEATERの「あり得たかもしれない可能性」とはこれだったのではないか、と思った。ただ、POSにはPINK FLOYD的なものを感じないのが、われながら面白い。POSにはやわらかな「優しさ」よりも、北欧的な峻厳さが勝るということだろうか。いましばらく考えてみたいところだ。真の意味における「プログレッシヴ」なバンドである。


THOUSAND EYES
Bloody Empire (2013)

国産メロディック・デス・メタル・バンド、THOUSAND EYESのデビュー作。千眼についてはすでに詳述しているから、内容についてはそちらを参照してもらいたい。掻い摘んで言えば、海外の同系統のバンドと並べても遜色ないどころかこちらが上であり、世界でもトップクラスの完成度を誇っているということ、この音楽性は模倣ではなく、エモーショナルな叙情性とブルータルな攻撃性をメタルとして表現しようとした結果であること、この2点が要点である。わたしが本作を30枚に入れたのは、現在もっとも次作を期待しているメタル・バンドだからだ。そこまで期待するに至ったのは、そのライブが実に素晴らしかったからだ。残念ながら年内の活動はなさそうだが、来年は新作とともに大暴れしてくれるだろうし、してもらわなければ困る。本作を上回る傑作の到来と、それに伴うライブを心待ちにしている。


HEAD PHONES PRESIDENT
Disillusion (2014)

国産ヘヴィ・ロックの異端児、HEAD PHONES PRESIDENTの4th。アルバムとしては4枚目だが、間に3枚のミニアルバムと1枚のセルフカバー作があるため、個人的には8作目という感が強い。実は、直前まで"Rainy Stars"が収録されているという理由だけで、前作『Stand In The World』にしようと思っていた。(単に選びきれなかっただけであるが) ただ、ライブで本作収録曲を演奏するHPPの悪戦苦闘ぶり(わたしにはそう見えた)を観たら、いかに本作が大変な作品であるのかを思い知らされ、あらためてこちらを採った次第。4人編成となった前作の延長線上にある、メロディアスだがグルーヴを失わない、メタリックなヘヴィ・ロックという個性的な音楽性をさらにステップアップさせている。彼らの美点が余すとこなく出ている上に、新機軸を打ち出しているのが素晴らしい。(アマゾンのレビューにだいたいのところは書いておいた) HPPについては、これから大部にわたる連作ブログを「HPP私論」として書き連ねていくつもりなので、分析や解説はそちらに譲ろう。全作全曲レビューを含む、歌詞、ライブ、言説、ANZA論、「闇」の在りかなどについて、納得がいくまで書くつもりだ。たぶん、10回~15回となるだろう。それを書き終えたら、わたしとHPPの関係は一段落するはずである。



総評

80年代2枚、90年代13枚、00年代12枚、10年代3枚。
日本5枚、イギリス6枚、アメリカ6枚、カナダ2枚、ドイツ3枚、スウェーデン6枚、フィンランド2枚。
中高生時代に聴いたもの11枚、学生時代7枚、その後12枚。

前回同様、バランスに気をつかったわけではないけど、自然と取れていたのが不思議です。
80年代が極端に少ないのはもちろん、いくつかのルールを課したからですね。いちばん多い90年代は、当時全盛を極めていたアメリカのヘヴィ・ロック勢がまったく入りませんでした。アレもコレも大好きなのだけど、わたしのより深いところにまでは達していなかったのかもしれません。

全般的に、わたしには「そこでしか聴けないもの」を愛する傾向が強いようです。また、高いミュージシャンシップや、知性やユーモアを求める傾向も。音楽それ自体の「かっこよさ」だけでなく、そこからはみだすような過剰を、たとえば幻視や詩情や情熱といったようなものを、求めてもいるようです。ただ、基本線は「いいメロディ」にあるし、前回の非メタル編に顕著な「心地よさ」を志向してもいます。それと、「可能性の行方」を気にする傾向もあるようですね。類型より個性とか。まあ、各自分析してわたしに教えてください。

少し残念なのは、一時期狂ったように聴いていたケオティック・ハードコア関連を入れられなかったこと。「これからも」聴くかというと、そうではないかもしれないと思って外したのですけど、CONVERGENEUROSIS、そして日本のHELLCHILD(わたしは彼らをデス・メタル・バンドだと思ってません)には本当に救われたのです。

もっとも、あげられなかったものはキリがないですね。
いつかまた、こうしたブログをテーマ別に書いてみたいものです。


蛇足かもしれないけど、最後に少しだけ。
B!誌と友人知人の「30年30枚」で、もっとも所有する作品が重なったベスト3が、
①増田さんと前田さんの23枚
②大野さんとDEATHさんの19枚
③tokuさんとKoutaさんとko1さんの16枚
でした。

ここに「持ってないけど聴いたことある作品」を足したベスト3が、
①増田さんと前田さんとDEATHさんの27枚
②大野さんの26枚
③Koutaさんとko1さんの22枚
でした。


2014-09-19

30年30枚 ロック、ポップスその他編



さる5日、BURRN!誌が30周年を迎え、ページを大増量したぶ厚い記念号を刊行しました。

どの企画もとても興味深く、また、様々な感慨を交えながら読んだのですけど(なんと言っても、わたしもB!誌と20年近くを並走してきたのですから…)、いちばん繰り返し読んでいるのが「この30年、この30枚」なる企画。どの選者の30枚も、「順当」と「意外」が入り乱れていていながら、その人らしさが浮かび上がってくるのがとても面白いのです。

そして、「30年30枚」をやりだすひとが、ちらほらとわたしのまわりにも現れてきました。(この後、さらに増えました) そこで、わたしもやってみることにしたのですけど、ジャンルレスに取り出したメモの時点で300枚近くになってしまい、これはムリだとあきらめました。で、とりあえず、HM/HR以外でパッと思いついた30枚を並べてFacebookにアップしたのですけど、振り返ってみると性急にすぎたようです。

というわけで、何枚か差し替え、これをもって「30年30枚 ロック、ポップス、その他編」とします。
何をして「HM/HR以外」とするのか、かなり迷ったものもあるのですけど、まあ別にいいでしょう。

基本方針は、「見栄張らない」と「これからもかなり聴くであろう作品を選ぶ」でしょうか。

なお、順番はアルファベット順→五十音順となってます。
ビデオのリンクも貼っておきました。
たいてい公式のものですが、非公式のものも。
リンク先が消えていても、そこは仕方なしということで。


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ALL ABOUT EVE
Scarlet And Other Stories (1989)

イングランドに咲いた繊細可憐な一輪の花、ALL ABOUT EVEの2nd。ジュリアンヌ・リーガンの歌声が、ただひたすら美しい。人脈的にニューウェイヴに分類されたり、音楽的にプログレ方面から支持を得たり、女声ヴォーカル・ゴシックの始祖のひとつとされたりと、ジャンル分け不可能なところが負い目となったのか、活動期間は短かった。しかし、深い憂いを湛えたメロディの瑞々しさは、永遠に色褪せない。
Official MV "December"


BAD RELIGION
New Maps Of Hell (2007)

アメリカの正しいパンクス、BAD RELIGIONの14th。「メロコア」の始祖と言うべき存在。歌唱も演奏も安定感抜群なので、メタル耳がいちばんとっつきやすいパンクだと思う。本作は、彼らならではの「うらぶれた哀愁のメロディ」がもっとも顕著な作品ではないのか。初めて"Honest Goodbye"を聴いたとき、あまりの不意打ちに涙が溢れた。今でも聴くと泣く。
Official MV "New Dark Ages"


BOWES & MORLEY
Moving Swiftly Along (2002)

ブリティッシュ・ハードロック最後の砦、THUNDER解散後にダニーとルークが結成したBOWES & MORLEYの1st。わたしがもっとも愛するアルバムのひとつ。本作はハードロックではなく、都会的で洒脱なアレンジのきいた、ジャジーでメロディアスな大人のロック。2ndも同様に素晴らしい。ルークのソングライティングが冴えに冴えており、歌詞も短篇小説のような完成度の高さ。ライブも最高だった…。
Unofficial "Hypnotized"


BUCK-TICK
夢見る宇宙 (2012)

日本が誇る不老不死伝説(?)、BUCK-TICKの17th。かつてブログにも書いたように、わたしはこのアルバムでようやく彼らに出会うことができた。結成25周年(当時)とは思えない、瑞々しい躍動感に満ちた楽曲の数々には、ただただ惚れ惚れするほかない。今年リリースされた最新作も素晴らしいのだけど、よりコンパクトにまとまった本作を採った。タイトル・トラックのコズミックなスケール感がまた素晴らしい。金色の宇宙が目に浮かぶ。


David Bowie
Reality (2003)

ロック史上最高の芸術家、デヴィッド・ボウイの25th(数え方次第では23rd)。80年代中盤から90年代中盤まではやや迷走感があるものの、『Earthling』(1997)以降は見事としか言いようがない。昨年突如リリースされた『The Next Day』と迷ったけど、とうとうライブを観ることができた本作のツアーの想い出のため、こちらを採る。タイトル曲の若々しさがまた、開放的でいいのだ。やや陰鬱な前作(これも秀作)と対をなす。
Official MV "New Killer Star (live)"


Fairground Attraction
The First Of A Million Kisses (1988)

英国のアコースティック・ポップ・バンド、Fairground Attractionの唯一作。この世でもっとも愛するアルバムのひとつ。あまりに急な成功のためか、あっと言う間に解散してしまった。素朴でポップな音像には、遊ぶこどものような自然な多幸感が満ち溢れている。また一方で詩的かつミステリアスな雰囲気もあって、何度聴いても飽きない。春になると必ず聴く、不朽の名盤。
Official MV "Perfect"


FLOGGING MOLLY
Within A Mile Of Home (2004)

米国産アイリッシュ・パンク・バンド、FLOGGING MOLLYの3rd。デイヴ・キングの出自(FASTWAYでデビュー)は、もう言及する必要皆無だろう。パンクというより、正統派アイリッシュ・ロックがギネスとお祭り騒ぎ経由で結果的にパンキッシュになった、という感じか。フィドルやマンドリンといった生楽器の入れ方が絶妙で、やかましいワールド・ミュージックとも言えるかも。どのアルバムもよい。
Official MV "The Seven Deadly Sins (live)"


FOO FIGHTERS
The Colour And The Shape (1997)

当世アメリカン・ロックの覇者、FOO FIGHTERSの2nd。今でこそアメリカを代表するバンドになったけど、当初は「元NIRVANA」のデイヴ・グロールが始めた「パワー・ポップ・バンド」という感が強かった。(90年代後半はそうゆうバンドがゴロゴロいた) 本作はその筋の最高峰。ポップでキャッチーなメロディが次々と飛び出してくるのが気持ちいい。

Official MV "Monkey Wrench" "Everlong" "My Hero"


JELLYFISH
Spilt Milk (1993)

米国のポップ・マエストロ、JELLYFISHの2ndにして最終作。アメリカン・パワー・ポップ究極の名盤。随所に顔を見せる70年代フレーバー(とくにQUEENとKISSへのオマージュが濃厚)を、センチメンタルなノスタルジーにからめて極上のメロディに昇華する手腕には、ただただ脱帽。歌詞の韻までふまえて「すべてをメロディに」捧げている、狂気すれすれの作り込みようが凄まじい。これまたわが最愛のアルバムのひとつ。
Unofficial "New Mistake (live on TV show)"


Jesse Cook
The Rumba Foundation (2009)

カナダ人ギタリスト、ジェシー・クックの7th。たまたま「世界の車窓から」のBGMに使われているのを耳にして聴いてみたら、これが途轍もなく素晴らしかった。ニュー・フラメンコとかエスノ・ジャズといったジャンルになるのだろう。基本的にクラシック・ギターによるインストなのだけど、作風が幅広くて多彩。本作はとくにラテン風メロディが横溢していて、エキゾティックな詩情に浸れる。
Official MV "Bogota By Bus" "The Rumba Foundation Medley"


John Waite
When You Were Mine (1997)

元BABYS、元BAD ENGLISHの英国人シンガー、ジョン・ウェイトの6th。都会に生きる人びとの姿を、まるで短篇小説のように切り取って見せた本作は、英国的というより、ニューヨークの無国籍性を音にしたかのような乾いた詩情に満ちている。まるで、彼の声そのもののようだ。現代アメリカ文学(例えばカーヴァー)や、インディペンデント系の映画(例えば『バグダッド・カフェ』)が好きなひとに、ぜひ聴いてもらいたい。
Unofficial "When You Were Mine (live on TV show)"


Ken Peplowski Gypsy Jazz Band
Gypsy Lamento (2008)

アメリカ人ジャズ・クラリネット奏者、ケン・ペプロフスキーの企画もの。ジャンゴ・ラインハルトのカバーを中心に、タイトル通り「ジプシー・ジャズ」を聴かせてくれる。クラリネットとテナー・サックスが奏でるやわらかい音色が素晴らしくて、一発で虜になった。これも「世界の車窓から」で知った逸品。聴くたびにうっとりする。ソロ作に濃厚な「夜の雰囲気」もいいのだけど、より明瞭なメロディのあるこちらがお気に入り。
Unofficial "Topsy"


Lou Reed
The Raven (2003)

ボブ・ディランと並ぶロック史上最高の詩人、ルー・リードの事実上のソロ最終作。エドガー・アラン・ポーの詩『大鴉』に材を採ったコンセプト作で、思弁と官能、緊張と開放、寂寥と躍動、悲哀と歓喜が複雑に交差する、映画か長篇小説のような作品。『New York』その他の傑作ではなく本作を選んだのは、彼の文学性と音楽的キャリアの集大成と言える作品だから。ここには「アメリカ」が凝縮されている。
Unofficial "Vanishing Act"


MANIC STREET PREACHERS
Journal For Plague Lovers (2009)

ウェールズの雄、MANIC STREET PREACHERSの9th。1995年に失踪したギタリスト、リッチー・ジェイムスの遺稿を元に作詞をした結果、初期をも凌ぐ緊張感とささくれだった攻撃性があちこちで顔をのぞかせる作風となった。基本線はいつも通りにポップでキャッチーなのに、そこかしこに棘が、痛みがある。それでいて美しさを失わず、むしろ美を際立たせている。ジェームズ・ディーン・ブラッドフィールドは、もっとギタリストとして認知されるべき存在。
Unofficial "Peeled Apples (live on TV show)" "All Is Vanity (live)"

MANISH
Cheer! (1996)

国産ハード・ポップ・ユニット、MANISHの3rdにして最終作。ひとつくらいは、90年代のJ-POPを入れたかった。爽やかなメロディとしなやかな歌唱が心地よい。比類なき名盤という訳ではないけど、当時のBeing系アーティストがいかに優れた曲を書いていたのかがよくわかる好例のひとつ。当時の彼女たちは22歳くらいだが、ちゃんと作詞作曲もこなす、れっきとしたミュージシャンだったことを記憶しておきたい。
Unofficial "煌めく瞬間に捕われて"


Peter Gabriel
So (1986)

元GENESISの被り物大魔王、「ピーガブ」ことピーター・ガブリエルの5th。芸術性と大衆性を高度な次元で融合させ、商業的にも大成功を収めるという離れ技に成功した稀有な例。ワールド・ミュージックを自家薬籠中に納めた、彼ならではのアレンジワークが本作の奥行きをさらに深めている。ケイト・ブッシュとのデュエット曲が、あまりに美しい。

Official MV "Red Rain" "Sledgehammer" "Don't Give Up"


PINK FLOYD
The Division Bell (1994)

ロック界最大の怪物、PINK FLOYDの14th。前作からバンドというよりデイヴィッド・ギルモア・プロジェクトといった布陣ではあるものの、往年のプログレッシヴな作風を同時代的な音像にうまく接合している。人類史を俯瞰するかの如き雄大なスケール感がありながらも、圧迫感を感じさせないのがギルモア・フロイドの特色かもしれない。空のように広く美しいサウンド。
Official MV "High Hopes" ←ロック史上もっとも芸術的なビデオ


QUEEN
Innuendo (1991)

言わずと知れたQUEENの、実質的最終作。本作のフレディ・マーキュリーの歌声を聴くと、そのあまりの力強さに圧倒される。これが死を目前に見据えた者の歌声なのか、と…。それまでの雑多な音楽性を総覧した、文字通り命がけの集大成的作品なのに、いつも通りのユーモアと軽やかさがある。これぞQUEEN、これがQUEEN、という傑作。

MV "Innuendo" "I'm Going Slightly Mad" "The Show Must Go On"


RADIOHEAD
OK Computer (1997)

英国のRADIOHEADが、UKロックの枠から大きく逸脱した3rd。繊細な歌唱を軸にしつつ、より実験的で内省的な作風に転向した。絶望的な曲から穏やかな明るさのある曲に至るまで、あらゆるメロディが美しい。厭世的な虚無感に支配されているかのようでいて、どこか希望の光が差してもいるのは、当時の彼らなりの抵抗だったのか、それとも?

Official MV "Paranoid Android" "Karma Police" "No Surprises"


RED HOT CHILI PEPPERS
By The Way (2002)

米国産ミクスチャーの王者、RED HOT CHILI PEPPERSの8th。前作より復帰したジョン・フルシアンテ色がさらに強まり、よりメロディアスな作風になった。個人的には、発表当時に行っていたスペインの記憶と分かち難く結びついている作品。センチメンタルとエモーショナルを行き来するヴォーカルはアンソニーならでは。レッチリ随一の「歌もの」作。

Official MV "By The Way" "Universally Speaking"


Rouse Garden
そこにあるひかり (2011)

彼らについては、すでに何度か書いている。このアルバムについては発表当初のブログを、また、B!誌の前田氏のライブ評の引用についてはこのブログを、それぞれ読んでほしい。これはミニアルバムにすぎないのだけど、あまりに思い入れのある1枚。もちろん、内容も素晴らしい。ただ、ライブの方がはるかに素晴らしい。未だにどこからも認知されていないのが、ただただ歯痒い。このライブ映像の2~4曲目が本作収録曲。



TEDESCHI TRUCKS BAND
Revelator (2011)

デレク・トラックスが奥方のスーザン・テデスキと結成した11人組バンド、TEDESCHI TRUCKS BANDの1st。基本はサザン・ロックなのだけど、濃厚なブルーズ臭を脱臭しつつ、コマーシャルになりすぎないアレンジと曲作りが絶妙。スーザンの歌唱もデレクのスライド・ギターも力強く雄弁で美しく、そして優しい。成熟したロックの到達点のひとつ。R&Bテイストの強くなった2ndもいい。
Official MV "Midnight In Harlem (live)"


Tim Christensen
Honeyburst (2003)

DIZZY MIZZ LIZZY解散後、ソロに転向したティム・クリステンセンの2ndソロ。やや内省的な作風だった1stよりもあたたかみが増し、メランコリックながらもハートウォーミングなメロディに溢れた一作となっている。60~70年代への憧憬がうかがえるアートワーク、楽曲、音作りのいずれもシンプルで素朴だけど、それも彼の才能あってこそ。日向でのんびり聴きたい。
MV "Jump The Gun" "Whispering At The Top Of My Lungs"


VITAMIN-Q featuring ANZA
Vitamin-Q (2008)

加藤和彦、小原礼、土屋昌巳、屋敷豪太が結成したバンドにANZAが合流。かくしてVITAMIN-Q featuring ANZAの唯一作が誕生した。面子のレベルの高さは日本ロック史上屈指だろう。70年代英国をコンセプトに曲作りを行ったと言う通り、カラフルでポップな曲がズラリと並ぶ。ライブも個人的に五指に入る素晴らしさだった。これもまた、わが最愛の1枚。加藤氏に黙祷を…。
Official MV "The Queen Of Cool" "スゥキスキスゥ"


鬼束ちひろ
Sugar High (2002)

異能のシンガーソングライター、鬼束ちひろの3rd。情念の発露としての歌唱、その強度がピークに達した最高傑作。慈しみに満ちた歌声のたおやかさ、狂気を滲ませた歌声の迫力、哀しみと虚無が背中合わせになった歌声の悲痛さ、そのすべてが言葉を失うほどの鬼気迫る説得力を持っている。これはポップスと言うより、「祈り」に近い「なにか」なのかもしれない。
Unofficial "Tiger in my love (live)"


坂本真綾
Lucy (2001)

俳優、声優、歌手と多彩な活動をつづける坂本真綾の3rd。菅野よう子が全曲、作曲とアレンジを手掛けている。楽曲の質の高さは、同時代のポップスにおいて群を抜いていると思う。歌われる等身大の女性(少女も含む)の姿が世俗の垢にまみれていないのは、彼女の歌声が透明で癖のないものだからだろう。前向きなだけでなく、どこか屈託した蔭りがあるところもいい。



坂本龍一
BTTB (1998)

ご存知「教授」こと坂本龍一の(たぶん)14th。全編ピアノかプリペアド・ピアノによって演奏された、サティやラヴェルを思わせる静謐な作品。ロック、ジャズ、クラシックを含め、わたしがもっとも聴いたインスト作が本作。クラシカルでいて実験的でもあり、かつ大衆性も(少し)留めるという綱渡り的なセンスは、教授ならでは。ラストに収められたYMO"Tong Poo"ピアノ版がかっこよすぎて、一時期こればかり聴いていた。
Unofficial "tong poo (live on TV show)"


夢中夢
イリヤ -ilya- (2008)

国産エクスペリメンタル・バンド、夢中夢の2nd。クラシカルな歌唱とブラックメタル的な暴虐性を軸に、高度な前衛性を聖性にまで高めた稀代の作品。この幅広い音楽性は、あらゆる「ポスト~」と呼ばれるサブジャンルと通底するであろう。しかし、ミクスチャーのごった煮感は皆無。知的に統御されつつ野性(いや、夢か?)を解放する手腕は空前絶後。"祈り"の強烈さには、聴くたびに震撼せざるを得ない。
Official MV "眼は神" 自作解説はこちら


森重樹一(juichi morishige with EXILES)
Heart Of Gold (1997)

ZIGGYの声、森重樹一の2ndソロ。メロディアスなロックという点では、本作がベストだろう。(他の作品も、それぞれ持ち味のある傑作揃いなのだが) キャッチーでフックのあるメロディが、独特の語彙とリズム感をもった歌詞でもって歌われる「森重節」が堪能できる。また、"Sad..."には深甚なる衝撃を受けた。自分が書いたとしか思えない歌詞だったのだ。聴くたびに冷静でいられなくなるのは、この先もこの曲だけだろう。
Unofficial "Till The End"


original sound track(菊田裕樹)
聖剣伝説2 Original Sound Version (1995)

1993年に発表されたSFCソフト、『聖剣伝説2』のサントラ。(サントラのリリースは1995年) 作曲者は菊田裕樹。ゲームのBGMを「音楽」として認識した、最初の作品がこれ。ワールド・ミュージックやプログレの素養の多くを、わたしはゲーム音楽に負っている。他にも「ドラクエ」「FF」『MOTHER2』『クロノ・トリガー』『ゼノギアス』なども候補だった。小曲集ではあるけど、ゲームを知らずとも楽しめるほどいい曲が揃った「聴くファンタジー」である。
Unofficial "天使の怖れ" "少年は荒野をめざす"



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まあ、こんな感じです。

80年代3枚、90年代10枚、00年代14枚、10年代3枚。
イギリス10枚、アメリカ8枚、日本10枚、カナダ1枚、デンマーク1枚。
とくにバランスを考えたわけではないけど、案外とれてましたね。

何枚か「最愛のアルバム」が出てきましたけど、嘘偽りございません。
なにか発見なり出会いなりがあったでしょうか。あってほしいなと願ってやみません。


それにしても、「非メタル」ということで、えらい幅が出てしまいました。予想以上に国内アーティストが多くてわれながら驚いたり、自分はこんなにパワー・ポップ/ハード・ポップ系が好きだったのかと思い知ったりしました。

ただ、30枚はあまりに少ない。(しかし、書くには多すぎる)

仕方ないので、決定項以外は自ら「~枠」を設置して、そこで落としたり当選させたり。
たとえば「芸術ポップス枠」でピーガブ当選、ケイト・ブッシュスティングは落選、みたいな。

あと、Morrie土屋昌巳は泣く泣くカット。ベスト盤くらいしか聴いたことないので。そもそも、個別のソロアルバムがすべて廃盤なんですよね。これは由々しき事態。なんとかしていただきたいものです…。

あ、そうだ。BOWES & MORLEYとティム・クリステンセンは「メタル編」であげるつもりだったんですけど、よくよく考えてみると音楽自体はハードロックとは言えないので、こちらに移住。少し反則っぽいけど、まあ許して下さい。


さて、次回はメインのメタル編となります。
YouTubeで公式ビデオを探すのがかなり大変なのだと思い知ったので、次回はリンクなしで。

総評的なことは、次回にまわしましょう。