受験生は一段落する間もなく次を見据えていることだろう。
自分が受けた試験の記憶が薄れて久しい。
わたしが受験した年も卯年だったのだと、先日気づいた。
ちょうどいいタイミングなので、当時のことでも振り返ってみる。
* * *
まだ早い時間だというのに、駅には多くの受験生がたむろしていた。
積雪を見越して早めにうちを出たのだろう。わたしもその一人だった。
雪は降ってなかったが、重く湿った雲が低く垂れこめていた覚えがある。
試験会場の国立大学は、市内中心部から随分と離れたところにあった。
電車で行くと、駅から20分近くは歩かねばならない。バスなら10分程度ですむ。
駅もバス停も、その大学の名を冠しているというのに大学から遠くにあるのが解せないが、
市中心部からバスで約40分はかかる「辺境」だし、田舎だから仕方ないと言っていたのだった。
クラスの友人といっしょにバスの最後列に乗り込んだ。
駅で待ち合わせて合流したのだったか、駅で偶然出会ったのか、
それとも駅までのバスでたまたま乗り合わせたのだったか、もはや記憶は定かではない。
緊張などまったくせず、遠いだの寒いだの言っていたのだろう。
アイツやコイツはチャリで来るはずだ、とか、ナントカ(教師名)がお守り配るらしい、とか、
帰りは(家の人に)迎えに来てもらう、とか、そういったことも言っていただろう。
初日か二日目か忘れたが、バスから見えた光景を今でも覚えている。
雲が薄れて少し明るくなった朝の街を、雪が舞うなか歩いている受験生たちの姿だ。
風もあるためうつむきがちで、茶色のコートを押さえながら歩く数人の集団を見て、
「寒そ~」と口にしたのではなかったか。「バス、降りたくね~」とか。
その数人のなかに知人がいなくて、当然だと思いながらもつまらなさを感じたのではなかったろうか。
記憶は途切れ、英語の試験後にストーブのまわりで暖を取っていた場面になる。
ストーブは、煙突付きで上にやかんが置けるものだった。やかんは置いてなかった。
試験の常で、緊張状態から解放された多くのひとが興奮気味に喜んだり落ち込んだりしていた。
フラフラとした足取りや絶望的な表情を見せたり、問題や会場に八つ当たりをしたり、
次の試験(地歴科)のヤマをはったり、といった光景が繰り広げられていたはずだ。
模試とは違って今日こそ本番だというのに、わたしはそんな実感がまったくなかった。
会場がいつもと違うだけで、やっていること自体はまったく変わりがないのだし、
まわりの大半を見知らぬ生徒が占めているとはいえ、友人知人と合流してしまえばもはや高校と同然である。
廊下の向こう側から友人が近づいてきたことを思い出す。
「やあ」「よう」「どうだね」「あんなもんやろうね」「だろうね」「寒いね」「雪はやんだね」
わたしたちのことだから、きっとそんな話し出しだったことだろう。昂奮などとは無縁だった。
試験のことは差し置いて、音楽やラジオの話でもして時間を潰していたに違いない。
高校は、市内、いや県内でも有数の古い校舎だったため、建て替えの最中だった。
1年時にはその旧校舎、2年3年時はプレハブ校舎で、試験後に少しだけ新校舎に入れたのだが、
このとき会場だった国立大学もかなりの年嵩で、旧校舎みたいだと言っては呆れて笑っていた。
雪国だというのに防寒対策がまったくなっていなくて、とにかく寒いのだ。
ただのコンクリートの檻で、刑務所の方がまだ暖かったのではなかろうか。
記憶は再び途絶える。
昼食はどうしたのか、どこで誰と食べたのか、それともひとりだったか、何も覚えていない。
学生服を着ていかなかったことは、よく覚えているのだが。
セーターを着ると肩がきつくなってしまうので、最後の2ヶ月は学校にも着ていかなかった。
何も言われなかったのが不思議と言えば不思議だが、自由というか無頓着なところのある学校だった。
しかし、あとは何を覚えているというのか?
帰り道、数学IIBを受けなかったわたしはひとりで帰途についた。
友人を待つのに60分は長すぎたようだ。寂しいとも思わなかった。
すでに辺りは暗くなっていた。暖色の街灯を受けて、雪が暖かみのある色になっていた。
窓には雪が次々と当たっていた。吹雪いていた。寒かったはずだが、それよりも雪に見入っていた。
初めて見る景色とはいえ、何の変哲もない駐車場にすぎなかったのに。雪など少しも珍しくもなかったのに。
いや、そんなに長くは見ていなかったかもしれない。たぶん、ほんの数秒のことだったに違いない。
それでも、なぜかこのとき見た雪ばかりが、この日の記憶として脳裏に焼き付いている。
その日、帰ってから何を食べたのだろう。家族と何を話したのだろう。犬は小屋から出てきただろうか。
毎週聞いていた深夜のラジオは、オンタイムで聞いたのだろうか、それとも録音してすぐに寝たのだろうか。
翌日、同じようにバスで行ったのだったか、それとも父に送ってもらったのだったか。
理科に待ち時間はあっただろうか。化学か生物、それと物理があるから、あったはずだ。でも覚えていない。
公民も受けずに、化学を受けてさっさと帰ったのだったろうか。そういえば、帰りはどうしたのだろう。
目が合うと机にパタッと倒れて見せたクラスメートがいた。暖房と試験で頬が紅潮していた。
そうだ、確かに「アイツやコイツ」は自転車で会場に来ていた。積雪など関係ないのだった。
書きながらふと気づいたが、試験前日は成人の日で、休みだった。
1月15日が成人の日だった、という記憶も、いずれ記録にとって代わられる。
担任の教師が、あしたは休め、もしくはラストスパートだ、わからなかったら3番にマルをしろ、
と急ぎ足で言っていたこともいま思い出した。妙に切羽詰まっていておもしろかった。
これだけしか覚えていないのだろうか?
そうか、と呟くよりほかない。十分だとも言える。
雪が見たかっただけなのかもしれない。
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