「蘇州夜曲」 (昭和十五年)
作詞 西條八十 作曲 服部良一
君がみ胸に 抱かれて聞くは
夢の船唄 鳥の唄
水の蘇州の 花散る春を
惜しむか柳が すすり泣く
花をうかべて 流れる水の
明日のゆくえは 知らねども
こよい映(うつ)した ふたりの姿
消えてくれるな いつまでも
髪に飾ろか 接吻(くちづけ)しよか
君が手折(たお)りし 桃の花
涙ぐむよな おぼろの月に
鐘が鳴ります 寒山寺(かんざんじ)
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多くの評論家やファンだけでなく、作曲家ですら口をそろえて言うように、
「蘇州夜曲」が日本における歌謡曲の最高峰に位置することに間違いはなく、
わたし自身、これほど美しい言葉とメロディで綴られた恋の歌を知らない。
70年以上前の曲だから、すでにあらゆることが語られ尽くしている。
ここでは簡単に曲を紹介するにとどめ、じっくり耳を傾けてほしい。
わたしが「蘇州夜曲」を知ったのは、学生時代のことだった。
30年代~40年代の日本について何冊か紐解いていたときに出会い、
運よく手に入れた橋本治『恋の花詞集』(1990年)で興味を持ち、
図書館で李香蘭の音源を借りたのが始まりだったと記憶している。
ふだんはメタル、ロックばかりを聴いているわたしではあるが、
こどものころから映画を大量に摂取していたことによるのだろう、
時代や地域の違いに無頓着なまま音楽を聴くことが比較的容易で、
それが「いい曲」だと思ったり、未知の素晴らしい曲があると知ったら、
偏見よりも好奇心が勝ってあっちこっちへ出向いて行くことになる。
そしてこの曲を聴いたとき、あまりにロマンティックな(「浪漫的」と表記したくなる)世界観と、
この世界観を支えていたはずの、日中戦争下にあってさらに太平洋戦争に雪崩れ込んでいく、
当時の軍国・大日本帝国というその落差に、どうにも消化しきれない違和感を覚えたものだ。
戦前の日本社会については誤解が多い。今回は都市文化的なことだけ言っておく。
当時の日本の都市部、とくに東京、横浜、大阪、神戸は「ほとんどヨーロッパ」と言えるほどで、
当時のフランスよりも文化的に洗練されていた面すら散見される。
と言うか、アメリカ、イギリス、ドイツに次ぐ文化大国だったと見ていい。
それほどの文化的達成=知的成熟があってもなお、戦争に突入してしまったこと、
もしくは、そうした爛熟があったがために戦争に突入してしまったこと、
それはゆめゆめ忘れてはならないだろう、と強く思う。
話を「蘇州夜曲」に戻そう。
あらゆる解説がふれているように、この曲は当時の映画の主題歌で、
その映画は伏水修監督、長谷川一夫・李香蘭主演の『支那の夜』という。
橋本治の言葉を借りれば、
「いい加減としか言いようのない」「政治的構図が丸見えの」「愚劣な」「思想映画」
でしかない。
わたしはこの曲が聴きたいがために、フィルムセンターまでこの映画を見に行った。
「若く賢く優しいうえに真面目で、しかもかっこいい」日本人青年(長谷川一夫)と、
「若く美しいが貧しくひがみがちな」中国人娘(李香蘭)という象徴的な構図以前に、
映画的に甚だ凡庸で、上海ロケのため撮影はよかったのだけど褒められるところは少ない。
ただ、音楽は文句なしに素晴らしかった。それに、李香蘭が歌う場面はとても感動的だった。
(美男俳優であるはずの長谷川は、本作ではどうもパッとしなかったが…。現代劇だからか?)
当時の日本におけるアジア諸地域にあった「外地」へのコロニアルな心性やら、
そのことに様々な角度から切り込むポスト・コロニアル批評的なものやら、
いくつか書いておきたいこともあるけど、曲の邪魔になるからやめておく。
ただ一言、美しい蘇州を本気で愛したからこそこの曲は生まれたのだ、と言っておこう。
「蘇州夜曲」には傲慢な思い上がりや政治的な愚劣さなど微塵もなく、
夢のようにひたすら美しい異国と、そこで恋人とともにいる幸せだけが響いている。
美しさ、かくあるべし。それは実に単純な「思い」による。それだけで十分なのだ。
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さて、すでに貼ってある「蘇州夜曲」は、アン・サリーによるもの。
わたしがいちばん好きなヴァージョンだ。このアルバムに収録されている。
moon dance (2003)
アン・サリーは一応ジャンル的には「ジャズ・シンガー」ということになっているけど、
ポップスやボサノヴァなども歌う、当代随一の洗練された「歌手」のひとりとして尊敬している。
「蘇州夜曲」は多くのひとがカバーしている。近年では平原綾香がいちばん有名だろう。
(ASKAや小田和正など、男性もこの曲を歌っている。意外なところでは奥田民生。)
ただ、オリジナルの渡辺はま子&霧島茂や劇中の李香蘭、そしてこのアン・サリーも含めて、
もっとも素晴らしい歌唱を披露しているのがやはりと言うか何と言うか、美空ひばりの恐ろしいところで。
音楽に偏見なくふれているひとにとっては常識として知られていることなのだけど、
美空ひばりはジャズなどを歌っても超一流で、一時代を築いたひとの才能には感服せざるを得ない。
だからこそ、昨今話題になっているような芸能界と裏社会のつながりが残念でならない。
これほどの圧倒的な実力さえあれば、そんなつながりなど必要ないはずなのに…。
いや、そこには興行の社会史という文脈もあるのか。なんにせよ、はやくなくなってほしいものだ。
最後に、劇中における「蘇州夜曲」をご覧いただこう。歌うはもちろん、李香蘭である。
ひとは、はるか昔から思いを詩やメロディに託してきたわけであるが、
こうした曲を聴くたびに「音楽も遠くまで来たもんだ」と思ってしまう。
もちろん、この「蘇州夜曲」だって商業的なヒット曲に違いない。
しかし、だからといって軽薄であったりはせず、むしろそれゆえに真情が注ぎ込まれているように感じる。
そもそも、大衆を相手にすることがイコールで「軽薄かつ大味」を意味することの方がおかしい。
別の言い方をすると、わたしたちは次第に、そうしたものと等号で結ばれるような「大衆」になってきたのだ。
それも、送り手や、送り手との仲介をなすビジネス側、彼らといっしょくたになって、である。
ビジネスが音楽を殺した、と断罪したいのではない。ただ、そうした側面はあったし、現にある。
また、わたしたち受け手がその片棒をかついできたこともまた、事実であると思う。
送り手も受け手も貧しくなって共倒れ、なんてゆう事態さえ考えられるほど、
メインストリームの音楽は痩せてきたように感じているのだけど、どうだろうか?
温故知新とはよく言ったものだけど、それができているかどうか。
愛すべき音楽を枯らさないために必要な思いとは、行動とは何か。
このような素晴らしい曲が70年以上前の曲であることを思うとき、
ふとそんなことを考えてしまうのだった。
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