どうやら日本だけでなく海外でも賛否両論で、ほとんど罵倒に等しい言い草すら見受けられる。
堪え性のない人間など、あらゆる社会・年齢・時代に関係なく申し分のないほど十分にいる。
そうした大人げないひとが気軽に言う「失望」「駄作」「最低」に振り回されることはないし、
かと言って過剰に弁護する必要もないわけではあるが、何にせよとかく残念に思われるのは、
音楽が持ちうる世界(宇宙)の広大さや美しさを示すべく作られたこの『バイオフィリア』が、
多くの人たちがとらわれている偏狭さ、それに端を発する醜さを図らずも露呈させてしまった、
という構図のなんとも皮肉なところ、であろう。
豊かな音楽が、貧しい「音楽好き」を焙り出してしまう、という。
正直に言って、そうした言葉に触れるたびに疲れてやる気がいちいち殺がれてしまうのだけど、
「アプリにそって曲ごとに紹介する」と宣言した手前、やらないのも気が引けるので、つづける。
すでに紹介したように、マザーアプリは4曲目の"Cosmogony"を取り扱っている。
そのアプリに『バイオフィリア』の世界を紹介する、イントロダクションがある。
ナレーションは動物学者、英TV番組プロデューサーのデイヴィッド・アッテンボロー教授。
兄は映画俳優/監督/プロデューサーの、「あの」リチャード・アッテンボローその人だ。
(『大脱走』のビッグX、『ジュラシック・パーク』のおじいちゃんと言えばわかるだろう。)
まずは、そのデイヴィッド・アッテンボロー教授によるイントロダクションを聞いてほしい。
たいへん聞きとりやすい英語なので、少なくとも3回も見れば大意は掴めると思う。
この「前説」のなかでもっとも重要と思えるのは、中盤で声に出されるわずか6語。
「Nature, Music, Technology ; Listen, Learn, Create」の6語だろう。
「自然、音楽、技術 / 聴く、学ぶ、創る」 と並置されたこれらが本作のエッセンスだ。
自然と音楽を、技術(アプリ)によって視覚化しつつテーマ毎に統合し「学ぶ」こと、
自然と音楽の類似性やそこに象徴される事象を音楽化して「聴く」こと、
同時に自然それ自体に音楽を見出すよう促し「教える」こと、
そうして学んだ自然-音楽をアプリで新たに「創る」こと、
そうして学んだ自然-音楽をアプリで新たに「創る」こと、
それが『バイオフィリア』の目的なのだ。
また、前半の3語と後半の3語が対応しているようにも思えるのだが、興味深いのはその並び方。
「自然、音楽、技術。聴く、学ぶ、創る」「自然を聴く」「音楽を学ぶ」「技術を創る」となり、
「音楽を聴く」「自然を学ぶ」が入れ替わることで、この新作の立ち位置というものが見えてくる。
(もちろん、これは必ずしも意図されたものとは限らない。あくまでもわたしの読み方だ。)
本作の特徴は「アナロジーとアレゴリーによる《宇宙=音楽》の把握」にあると思う。
アナロジーとは「類比/類推」によって異なる二者に共通項を見出し、一見関係ない両者を「つなぐ」こと、
アレゴリーとは「寓意/象徴」によって抽象的なものを具象化することで(例:「狡賢さ」を「狐」で表す)、
前者は「弱い論理」、後者は「広義の比喩」だが、重なる領域も大きいので細かい定義には踏み込まない。
(アナロジーの言語的使用法が比喩だ、とも言える。ここに「シンボル」を加えると事態はさらに混乱する。)
かいつまんで言えば、「似たもの(似ていると感じたもの)同士をつなげる」ことが両者の働きであり、
こうした直感と知性のなせる、アナロジカルかつアレゴリカルな認識の新たな「統合」こそが、
もっとも強力な認識や霊感を生むのだと、おそらくビョークは知悉しているのである。
これだけでは何のことかわからないだろうから、さっそく曲を紹介していこう。
1曲目の"Moon"は、「月周期(lunar cycle)」と「反復進行(sequence/cycle)」のアナロジーと、
「再生(rebirth)」や「一新(renewal)」といった概念を「月」という表象に託すアレゴリーによる。
月周期という天文学的/数学的な反復と、音楽的な反復を重ねあわせ、
そこに「人間(とくに女性)の身体」という生物学的な「自然」をも重ねあわせる。
この場合、キーとなっているのは「リズム」だ。反復されるリズム。
天文学的な、数学的な、音楽学的な、生物学的な、リズム。
月周期という天文学的/数学的な反復と、音楽的な反復を重ねあわせ、
そこに「人間(とくに女性)の身体」という生物学的な「自然」をも重ねあわせる。
この場合、キーとなっているのは「リズム」だ。反復されるリズム。
天文学的な、数学的な、音楽学的な、生物学的な、リズム。
また、そもそも太古より月は女性の象徴でもあった。月周期(月齢)と月経については言わずもがな。
そうした「女性性」をも(当然のことながら)包含したアレゴリーと考えるのが妥当だろう。
では、前回も貼ったこの写真を改めてご覧いただきたい。今度こそわかるだろう。
そう、これは「女性の尾てい骨」をデザイン化したもので、中央の月は「子宮」にあたる。
(『エヴァ』における「黒い月」=「子宮」を思い出したのはわたしだけだろうか?)
月は17あるが、それはこの曲のリズムが8分の17拍子となっているためだろう。
なぜ月齢的に区切りのいい15ではなく17になったのかは、今のところ不明。
ちなみに、iPad版アプリは片側に17、計34の月が子宮を取り巻いている。
前回も書いた通り、このアプリは楽器にもなる。こちらをご覧いただこう。
映像はiPad用のアプリ。月が17×2=34あるのがわかる。
幕開けとなる曲にしては地味に感じられるかもしれない。
しかし、だからこそビョークの声と、その女性性が強調される。
そして、奏でられつづけているハープの「リズム」という「反復」もまた同様だ。
月と女性のアレゴリーに関しては、国や地域を問わず枚挙に暇(いとま)はないだろう。
あらゆる神話において月は必ず女性神が表象しており、その点で神話学にも接している。
この神話的な相貌と言ったら…。天晴れ、としか言いようがない。
そうした神話学的/物語論的な含みを持たせつつ、ゆったりと歌われるこの曲には、
月周期と反復進行に関して、それ相応の知的な操作が為されたと思われる。
(そうでなければ、8分の17拍子などというリズムにはならないと思うのだが?)
ここで、音楽(音楽学)と数学の近さ、というものを想起してもいいだろう。
(中世において音楽学が数学的四科のひとつだったことを思い出すべし。)
となると、次に"Cosmogony"を紹介するしかあるまい。
というのも、ここでのキーワードがピタゴラスに由来するからだ。
「天球の音楽 (music of the spheres)」という概念を聞いたことがあるだろうか?
わたしはルネサンスの背景にあった思想史を彷徨っているうちにこの言葉に出会ったのだけど、
要は「宇宙という秩序」と「音楽という音の(配列などの)秩序」のアナロジーが根幹にあって、
そこを基底とした「惑星の回転が太陽系全体で和音を奏でている」という考えがそれである。
具体的に言うと「惑星軌道の比率の変化」と「弦の長さと音の高低の関係」に類推を見出す、
という数学的なアナロジーであって、漠然とした感覚に拠るものではないと言わねばならない。
(押弦の位置の関係から「オクターブ」を発見したのも、実はピタゴラスだったのだ。)
「天球の音楽」とは、人類の登場以前から「宇宙=自然」が奏でていた「音楽」があることを示す、
通常考えられている「音楽」の領域を拡大し、音楽と自然を等式でつなぐための概念なのである。
また、この「《宇宙/音楽》=秩序」という「天球の音楽」アナロジーは、
同時に、物理的/音楽的「均衡(equilibrium)」という概念をも含む。
この「均衡」こそが、そもそもはビョークの念頭にあったアイディアだった。
「世界に調和/均衡をもたらすアプローチの提示」が、本作の根幹にあったのだ。
順序が前後してわかりにくくなったかもしれない。つまり、
①「自分なりの《調和》《均衡》の在り方を提示したい」
②「均衡」→「秩序=宇宙=音楽」→「天球の音楽」
③「天球の音楽」=人類登場以前の「音楽」→「自然」
④「自然」を聴く、そのために必要な「教育」とは何か?
⑤iPad=タッチスクリーンを叩く、という「自然」な直接性
⑥アプリという「技術」による「音楽」の視覚化→「教材」
↓
「自然、音楽、技術」「聴く、学ぶ、創る」
→『バイオフィリア(生命愛)』!!!
以上のような観念連鎖(アナロジー思考)があった、ということだ。
(順序自体はわたしが適当につけたものだけど。)
ビョークは『バイオフィリア』全体を統合する概念として「天球の音楽」を採用し、
"Cosmogony"を本作の象徴となるよう作曲したという。ゆえにマザーアプリでもある。
また、「宇宙論(Cosmology)」ではなく「宇宙生成論(Cosmogony)」であること、
ここにおそらくビョーク流のアレゴリー(寓意)があるように思われる。
(ただし、宇宙生成論が「具象」でないことには留意されたし。)
「現代人にとってのビッグバン理論は、古代人にとっての伝説と同じ役割を果たしている」
古代における、様々な宇宙創成神話における「宇宙の始まり」についての「説明→納得」。
現代における、ビッグバン理論という「宇宙の始まり」についての「説明→納得」。
同じ構図を辿る両者は、結局のところ同じことなのだとビョークは言うのである。
「宇宙(の始まり)を説明すること」→「納得すること」→「こころの《均衡》を得ること」
おそらく、これがビョークの言わんとしている「天球の音楽/宇宙生成論」の寓意だ。
さて、音楽自体はと言えば、コズミックに旋回するコーラスに始まり、
音の少ないシンプルな音像のなか、やはりゆったりとした歌声が際立つ。
ホーンの長音が、最後の方で高くなるのは「惑星の軌道」の運動を表しているのだとか。
こうした仕掛けはいたるところにあって、それが本作の底知れぬポテンシャルを窺わせる。
曲の構造やコンセプトに気づくことで曲の輪郭はかわり、こちらの認識も改まる。
そして、それは自然と音楽について、新たな表現の地平を切り開くものでもある。
(ゆえに、冒頭でわたしは嘆いたわけだ。気づかないままのリスナーが多いかもしれない…。)
アプリにはスコアやアニメーションが全曲「見る」ことができるようになっていて、
音の多寡、音程の高低、和音の重層性などが、一瞥してわかるようになっている。
例えば、こんな感じである。歌詞もついている。
本作の一環である「ワークショップ」で、この「見える」ことが大いに役に立つ。
こどもたちは「見て」「気づき」「学ぶ」、そしてiPadを叩いて「創る」わけだ。
「自然、音楽、技術」というコンセプトの下、拡げられた「天球の音楽」というタペストリー。
それはテーマごとに複雑に交差する、アナロジーとアレゴリーという縦糸と横糸で編まれる。
わたしはそんなイメージを持っているのだが、単純なようで込み入っているこの世界観を、
果たしてこのようなつたないブログでどれだけわかっていただけただろうか。
どうやら、「アナロジーとアレゴリー」なんて言葉を久しぶりに引っ張り出してしまったのが悪かったか。
知的体力ガタ落ちの今のわたしに、この錯綜とした全体像を解きほぐすのは荷が重かったようだ。
一例としての"Moon"と、全体の基盤としての"Cosmogony"をご紹介した。
あとは4曲ずつ2回にわけて紹介するが、今度はもっと簡単にするつもりだ。
言うまでもないことだけど、本作を聴くにあたって小難しいことを考える必要はない。
曲を聴いたり、歌詞を読んだりしてピンとくるものがあればそれでいいのだし、
アプリに触れる機会があれば、その「ピンとくる」頻度はさらに高まるのだと、
それだけわかってくれればそれでいいのである。
自力で考えたい、という方はここを見るといい。Tracking listの表に各曲のテーマが表示されている。
また、アプリには詳細な解説もついているので、ダウンロードできる方は読んでみるといい。
(けっこう長文だけど、それほど難しい英語ではない。大学入試レベルで十分読めると思う。)
また、アプリには詳細な解説もついているので、ダウンロードできる方は読んでみるといい。
(けっこう長文だけど、それほど難しい英語ではない。大学入試レベルで十分読めると思う。)
このブログそのものが蛇足と化してしまったようなので、
蛇足ついでに、「アナロジー」に関するこんなリンクを貼っておこう。
わたしの思想的な主戦場のひとつ、がだいたいここら辺。
あれでもかなりわかりやすい方。ヒマなときにどうぞ。
.
答え:子宮だったんですね!
返信削除自分も持っているのに(!)気づかない私・・・もはや手遅れでしょうか。
「自然を聴く」「音楽を学ぶ」「技術を創る」 深いですねぇ。
そんな風に考えて音楽を聴いたことがなかったので、軽くパンチされた気分です。
こういうことを知ることができるって幸せですね☆
いつもありがとう、Moonさん。
>kanaさん
返信削除ええ、「子宮」でした。わたしはなぜか、一発でわかってしまった(笑)
音楽とは不思議なもので、動物や植物にとっての音楽を研究しているひともいるし、
考古人類学的な観点から考えているひともいます。
わたしは全ジャンルにおいて気楽な素人なので、好き勝手に考えてます。
ただ、思ったことや考えたことを文章化するのが…学生時代よりできてない(苦笑)
もうちょっとなんとかせんといかんな、と反省の日々です。