LOUD PARK 09に参戦したときのことだ。
二日とも参加するため、幕張からそう遠くはないところに宿を取り、友人とふたりで疲れた体を引きずって、やっとのことで宿に辿り着いた。途中、近くのスーパーで夜食やお菓子や飲み物を買い込み、チェックイン予定時刻にしていた23時前までには着いたと記憶している。
取り立てて特筆することのないビジネスホテルで、一日酷使しつづけてまだ轟々と鳴っている耳と、かるく明滅する目を休めながら、初日観たバンドや明日観るバンドのことを友人と話していた。
この年の初日は、3ステージの出演時間順に記すとBLESSED BY A BROKEN HEART、STEEL PANTHER、LIV MOON、OUTRAGE、fade、FIREBIRD、田川ヒロアキ、LOUDNESS、DOKKEN、LED ZEPAGAIN、ANTHRAX、LYNCH MOB、ARCH ENEMY、POISON THE WELL、MEGADETH、JUDAS PRIESTの16バンド。そのすべてを観たわけではないが、翌日を含めて2009年のベスト・アクトだったと確信するMEGADETHと、シンプルなロックンロールが却って新鮮だったFIREBIRDがとくに印象的だった。そういえば、JUDAS PRIESTの演奏中に関係者通路の窓から観戦しているケリー・キングを見た覚えがある。
気の置けない友人との会話はもっぱらDOKKENに関することで、あのただならぬ酷い歌唱を聴かされたことへの憤りを通り越したある種の「感嘆」をお互いに述べたり、ARCH ENEMYを筆頭に音の悪いバンドが多かったことを残念がったりしていた。
友人が先にシャワーを浴びているとき、本のつづきを読むにはあまりに目が疲れていたわたしは、無造作にテレビをつけてそれとなくニュースを眺めていた。そのときだった。字幕スーパーだったのか、それともフラッシュニュースのなかだったのか、もう細部までは覚えてはいない。だけど、その情報がもたらした衝撃を忘れることはないだろう。加藤和彦氏の自殺が報じられたのだ。軽井沢のホテルで発見されたという。
「ええっ!?」と大声を思わずあげてしまった。刺激と反射という身体的な直接性が失われて久しいわたしが、そんな反応をすることは一年で数回あるかないかといったところなのだが、これほど大きく反応したのは後にも先にも記憶にない。信じられなかった。それはあり得ないことだったのだ。論理的に破綻している、とさえ思った。と言うのも、加藤氏ほど自殺と無縁に思われる普遍的な(社会的な、ではなく)常識人は他におらず、精神の健全さや、生活を芸術にまで高めるというスタイリッシュさにかけては国内外を通じて当代随一の御仁と思っていただけに、到底信じられることではなかった。
シャワーから出てきた友人にすぐそのことを告げると、疲労と入浴のため閉じかけていた目を丸く見開いて「え」と口にした。「信じらんねえ…」「何だろ、何かあったのかな?」「ビタQ終わっちゃった…」「うん…」
信じられないことではあったが、それが事実ならば認めなければならない。たとえこころは受け入れられなかったとしても。即座にVITAMIN-Q featuring ANZAのことが頭に浮かんだわたしは、精神的に傷つきやすいAnzaさんを思わずにいられなかった。「Anzaさん、大丈夫やろか」「ワンマンすぐだしね」「これは相当キツイだろうな…」「うん…」
その前年の12月にリリースされたVITAMIN-Q featuring ANZAのアルバムを愛聴していたわたしにとって、2009年2月のデビューライブは生涯ベスト5に入るライブだった。当日のセットリストも載せておこう。(増田勇一氏のライブレポはこちら)
VITAMIN-Q featuring ANZA at Ax on 3rd Feb 2009
opening act: CHIHANA
SET LIST
01.メタルに塗りつぶせ vocal: ANZA
02.The Queen Of Cool vocal: ANZA
03.Panic Crush vocal: ANZA
04.Cupid's Calling vocal: ANZA
05.Love At Thousand Degrees vocal: 屋敷豪太
06.In This Moment vocal: 土屋昌巳
07.As Tears Go By (THE ROLLING STONES cover) vocal: ANZA
08.Harder Than They Come (Jimmy Cliff cover) vocal: 加藤和彦
09.The Last Time (THE ROLLING STONES cover) vocal: 加藤和彦
10.Heart Of Stone (THE ROLLING STONES cover) vocal: 加藤和彦
11.スゥキスキスゥ vocal: ANZA
12.Fun Fun Fun vocal: ANZA
13.Take The Wild Way Home vocal: 小原礼&Shanti
14.The Eternal Flash vocal: ANZA
15.Lotus Avenue vocal: 加藤和彦
Encore
16.I Shall Be Released (THE BAND cover) vocal: 土屋昌巳
17.アンファン・テリブル vocal: ANZA
ビタQについてはいずれまた書くこともあるだろうから、話を2009年10月17日に戻す。
(ちなみに、Shantiさんはコーラスの方で、ゴダイゴのトミー・スナイダーの娘さん)
他のチャンネルでも同様の報道を目にした。あきらめてシャワーに入り、2月のライブを思い出していた。ギターを弾く姿よりも、なぜか本編ラストで披露した、ヴィンテージもののテープリールらしき機材の方を向いた後ろ姿ばかりが思い出された。あのスラッとした姿勢のいい長身、知的な相貌と優しそうな表情、柔らかい声、そしてなによりあの巨大な才能が失われてしまったこと、それも自らの手でそれらを葬ってしまったこと、そういった諸々の思いに頭が混乱したままだった。
シャワーから出ても、やはり同じような言葉ばかりが口をついて出てきた。加藤氏やビタQの扱いへの不満も出てきたが、疲れていたのでそのまま寝ることにした。翌日はそれなりにLP09を楽しんだが、もっとこころの奥深いところではすっかり気落ちしてしまっていたのか、わたしのなかで精神のバランスが大きく崩れてしまい、本を読むことができなくなった。2005年からこの2009年9月まで、月に最低でも20冊は読むのが習慣となっていたというのに、まったく読めなくなった。いや、2005年以降はそもそも「リハビリ」のようなもので、それ以前はもっと読んでいた。それが、完全に折れてしまった。実は、これは2011年10月の現在に至るまで尾を引いている。去年は年に20冊も読めなかった。あれからのわたしは知的退化の一途を辿っており、それはブログを書くたびに「痛み」を伴うほどの退化なのだがしかし、それはまた別の話だ。そして、それが語られることはない。
加藤氏に日本の音楽界がどれほどの恩義があるのか、まったく理解されてないのがいまだに信じられない。日本では海外とは比較にならないほど世代間の断絶が激しいとはいえ、そこに敬意が必ずしも伴っていないように感じられることが多いのはわたしだけだろうか。おそらく、音楽をやっているにも関わらず加藤氏を知らないひともたくさんいるのだろう。90年代以降に音楽を聴きはじめたひとにとって加藤氏が遠い存在だったことは間違いないし、洋楽ではかろうじて保持されている「ロック史」というフィクションが、なぜか国内においては確保されていない点に最大の問題があるからだ。国内アーティストは新譜の発売が中心で、バックカタログの販売は等閑に付されていることも問題ではある。
しかし、だ。
日本にPAシステムを取り入れ、アレンジ(編曲)という行為と概念を日本のロック(ミュージシャン)に持ち込み、日本人ならではのコンセプト・アルバムを提示し、ワールドミュージックを消化し(レゲエを日本で最初にやったのは加藤氏である)、といった前例を作ったのは加藤氏なのだ。海外のファッション(とくにロンドンのもの)を紹介することで「ファッション・アイコンとしてのミュージシャン」の先駆けとなったのも加藤氏だ。彼がこの世を去ってすぐに、「J-POPを創った男」という言葉が飛び交った。その通りだ、と思った。そして、こうも思った。それをなぜ生前にだれも言わなかったのか?言ったひとがいたとしても、それが巷間に認知されるに至らなかったのはどうしてなのか?と。
日本に限らず、音楽業界は一般人にはすぐに呑み込めないような奇妙な論理がまかり通っているところだ。異常と言える場合すらあるだろう。明文化できる公正なルールに基づく社会ではなく、やや誇張すると呪術的な慣習によって成り立っている社会だからだ。日本の場合、芸能界≒テレビ業界との関わりの比率が高く、またその芸能界も倒錯した論理で構成されているだけに、そのなかで一社会人としての「常識」と、より普遍的な観点における「良識」(「倫理」と呼んでも差し支えない)とを磨滅させることなく保持しつづけることは、われわれ一般人の想像も及ばない難しさが伴っているのだろう。
そのなかで、シーンの原初のときから「リーダー」であった加藤氏は、まさに別格の存在だった。才能や技術にかけては、もちろん他にも何人か名前をあげねばならないのだが、音楽面だけでなくそのライフスタイルにおいても旗手として先頭に立っていたのは、間違いなく加藤氏だ。それだけに、自殺は大きな驚きをもたらした。
その後、遺書の中で「音楽は必要とされていない」といった趣旨の言葉があったことが報道された。正確な表現までは知らないが、確かムックか何かの特集本に全文が掲載されていた覚えがある。読んではいない。手にとってさえいない。完全に後追いであるわたしにとって、氏はサディスティック・ミカ・バンドのリーダー兼コンポーザーであり、「ヨーロッパ三部作」の知的な加藤氏であり(これらの名作が廃盤であるところに国内シーンの不健全な在り様が表れている)、そして何よりビタQの加藤氏だった。まだまだ素晴らしく新鮮な曲を書くことができ、それをスタイリッシュにプレゼンテーションすることのできる稀有なひとだった。小原さんはビタQの次回作のため、曲も作り始めていたと雑誌で語っていた。そのことは却ってわたしを悲しい気持ちにさせた。
加藤氏が考えるところの「音楽」と、(加藤氏が思うところの)世間にとっての「音楽」に乖離があったのは間違いない。若い時分から輸入盤店を渡り歩いて「お気に入り」を探し求めていた氏にとって、音楽は生活と同義でもあっただろう。その音楽に空疎なものを感じ、どうゆうわけか自分の内側にも同様のものを認めてしまったとき、鬱が孕む負の螺旋に絡めとられてしまった加藤氏は自らすべてを終わらせることを選んでしまった。
「音楽は必要とされていない」という言葉は、エコーとなっていまも残っている。いや、もしかしたらその残響は日増しに大きくなっているのかもしれない。音楽どころか「生活」すら必要としていないのでは、と思うことすらあるほどだ。わたしに言わせれば、多くのひとがあまりに簡単に安手の「芸術」に「感動」しすぎているように思うし、そんなひとたちが本気で口にしているらしい「好き」「スゴイ」「最高」「熱い」は一切信用していない。でも、加藤氏はそこに動揺したのだと思う。氏を個人的に知っていたひとならだれもが口をそろえて「優しいひとだった」と言う加藤氏は、それらの反応を切り捨てるには「優しすぎた」のでは、と思うのだ。と言うか、自分を納得させるためにそう思うことにしている。だから、実情がまったく違っていてもかまわない。
長々と書いてしまった。一刻も早い氏のバックカタログの再発と、若い世代における然るべき認知を望みたい。
そして、加藤氏のご冥福を、あらためてお祈りしたい。
素晴らしい音楽を、本当にありがとうございました。
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おもいっきり一般的な知識しかないので、サディスティック・ミカ・バンドしかわかりません。
返信削除TVで得た情報で【音楽は必要とされていない】の一言にもの凄いショックを受けたことを覚えています。
音楽に救われ、音楽に救いを求めるものもいるのに・・・。
そう思うと、いくら知らないとはいえ、やっぱり悲しくなります。
>kanaさん
返信削除あの一言は本当に重いものでした。なんせ、加藤さんが言ったのですから。
同世代の重鎮たちも、他人事ではないと思ったかもしれません。
ただ、「音楽が好き」の中身の濃淡が変わってきたこと、
それに無自覚すぎて己のこととして意識できないひとが多いこと、
ひいては「好き」の薄っぺら化と各種「芸術」の商業化の相互関係まで、
それらすべての功罪について、あらためて考えるべきだとは思います。
いつか、そうした論考なども書けるようになるといいのですが…。