2011-02-13

HEAD PHONES PRESIDENT at Shibuya Club Quattro on 4th Feb (Pt.2)

   

前回に引きつづき、HEAD PHONES PRESIDENT(以下HPP)のツアー千秋楽となった、
クアトロ公演のライヴ・レポートを、余剰な考察部分とともにお送りする。

対象が対象だけに書くにも読むにも集中力が求められる。斜め読みなら読まないほうがいい。

それではつづけよう。



* * * * * * * * * * * * * * * * * * * *



跪いたまま、あのVary (2003)冒頭を飾る極めて印象的なメロディを歌い出すAnzaさん。

1フレーズ歌うと手元のエフェクターをポンと押し、
次は歌わずに様々な表情を浮かべ、体を揺らしつつそのフレーズを聴く。
そこにまた歌を重ね、また聴き、重ね、聴き、というループが曲を次第に形成していく。

その間に、ステージではアコースティックのセットが用意されていく。

メンバーの誕生月と、曲の誕生地グラウンド・ゼロに由来するタイトルは、
オリジナルの"58465/0"から、Okajiさんが抜けて"5848/0"へ、またBatchさん加入で"58485/0"となり、
そしてMarさんの脱退で"5885/0"と、その表記を変遷させた。(名残はマイスペのアドレスに見られる)
これ以上、このタイトルが変わることはないだろう。

会場を包んでいたAnzaさんの声は、その十重二十重に重ねられるにつれ悲しげな色を増していった。
ピークに達したところですべての声を断ち切り(一瞬にして空白に放り込まれたかの如き落差を感じる)、
いま一度、冒頭のメロディをなぞるAnzaさん。


Hiroさんがアコースティック・ギターを静かに鳴らし、"Life Is Not Fair"が始まった。
Pobl Lliw (2010)ヴァージョンから更にアレンジを施し、はじめはAnzaさんとHiroさんだけでプレイされ、
そこにNarumiさんBatchさんが加わるというかたちに落ち着いたのは、名古屋公演のときだった。

オリジナルからして劇的な展開の曲だったがゆえに、より一層その展開を彩るアレンジとなった。
さらに、ギターソロ前半部は完全にHiroさんの「独奏」となった。一音一音に耳と視線が集中する。


ロック・ギタリストにとって、アコースティックの独奏を強いられることほど嫌なものはないだろう。
エレクトリックでは誤魔化せても、アコースティックではそうはいかない。まして独奏なら尚更だ。

リッチー・ブラックモアは「誤魔化せない。難しい。緊張する。だからやる。」という趣旨の発言をしている。
技術もさることながら、それ以前に求道者的なギタリストでなければ挑戦できないし、してはならない。

ロックやメタルだけでなく、ジャズやフュージョンの素養があるHiroだからこそ可能なヴァージョンであり、
それはHiroを支えるNarumiとBatchにも言えよう。ふたりとも、やはり音楽的素養の幅が広い。
Batchはパーカッションを習っていた時期もあり、それがニュアンスに富んだドラミングにもつながっている。
セルフ・カバー作であるPobl Lliwが示したような、ロック以外のジャンルを想起させる豊饒な音楽性を、
いったい他のどのヘヴィ・ロック・バンドが示し得るだろうか?彼らの独自性には、まだまだ底が見えない。


独奏の最後のパートにハーモニーを付け足すという余裕を見せたあとバンドが加わり、
ホッとしたかのように凄い速弾きを見せるHiroさん。正確無比な精度の高さに毎度驚かされる。

Anzaさんのヴォーカルから"Fight Out"が始まる。

個人的に、聴く/観るたびにタワーレコードでのインストア・ライヴを思い出さずにいられない。
明るい店内のなか、カジュアルな装いで軽やかにプレイされたこの曲にHPPの新たな面を感じた。

その日のことを思い出しつつ、情念の重さから解き放たれ「心地よさ」さえ感じさせる同曲に体を揺らす。
例外的な路線ではあるのだが、HPPの音楽的ヴァリエイションの豊かさを知らしめるいい選曲だと思った。

10月のアコースティック・ライヴ同様、上手側と下手側にそれぞれ組んだパーカッション・セットからは、
俯きながら確実にパーカッションを叩いていくBatchさんの表情は窺えないが、とても楽しそうに見える。
(ちなみに"Life Is Not Fair"が下手側、"Fight Out"が上手側のセットだった。)


「センキューソーマァーッチ」と言ってステージを後にするAnzaさん。

エレクトリック・シタールが用意され、Hiroさんのソロにつづいてセッションとなった。
(名古屋公演ではジャックオフ・ヴィブラートを披露していたが、今回はなし。)

シタール特有の「揺らぎ」のある音色に魅せられる。会場がやわらかな「なにか」に包まれる。


Anzaさんが、先日の水戸公演から着用しているニットの上着と赤スカートに着替えて再度登場し、
Batchさんの繊細なシンバルワークを受けて、Hiroさんが"A~La~Z"のアルペジオをつま弾きだす。

いつ聴いても/観ても、形容しがたい雰囲気の曲だ。
9月のBoxx公演レポでは「水」のイメージを借りたが、それはあくまで前半部にのみ当て嵌まる。
このツアーではむしろ、後半のラウドなパートの印象が強かった。今もってなぜなのか、わからないが。



Anzaさんの消え入るような声で曲は終わり、
Hiroさんがいくつか、次の曲の手掛かりになるような音を紡いでいく。

大阪と名古屋ではそのライヴ版イントロが省かれていた"ill-treat"が、
イントロつきの劇的な「完全版」としてプレイされた。内に秘めた、いや、秘めてはいられない激情とともに。

これまたBoxx公演レポで「精神的重さ」「カタルシス」といった言葉を使ってはいるが、印象は変わらない。
いつ観てもその鮮烈さにハッとさせられるが、「その鮮烈さ」の内実のいかほどばかりを享受し得ているのか?
水戸公演では「得体のしれない恐さ」と書いた。何かを拒む、厳然たる「他者性」を感じているのかもしれない。

かつてはMarさんが担当していたエンディングを、金沢公演以降はNarumiさんが引き継いでいる。
"Light to Die"同様、そこに驚きかつ納得された方も多いのでは、と思う。違和感はない。初めから。


Anzaさんが「みなさん、大丈夫ですか~?それでは、むかしの曲をやりましょう。」と珍しく声をかける。
Hiroさんが"Shit Now"のイントロとなる信号音のような音をギターで出すと、大阪では大きな声が上がったのだが、
クアトロでは知らない人が大半を占めたのか、そうはいかなかった。廃盤となって久しい2ndシングルの曲だ。

初期HPPらしい躍動感のあるヘヴィ・ロックで、ギターが一本でも分厚いリフの印象は損なわれていない。
NarumiさんだけでなくHiroさんまでもがコーラスをとるのが新鮮である。当時はどうしていたのだろう。


ドラムのカウントから間髪いれずに"Free Fate"へ。このツアーでようやく初めて観れた曲である。
東京ではこれが初演となるのではないだろうか。ストレートなようでいて、細かいヒネリがきいている。

ライヴは終盤に差し掛かっており、Anzaさんの髪や肌を濡らす汗が小さく光るのが目立ってきた。
Narumiさんも、はじめは端正に固めていた髪型が、激しい動きで崩れて総毛だったようなかたちになっている。


Anzaさんのヴォーカルからセッションが始まった。これまでのツアーではなかった類のものだった。
楽器陣はともかく、セッションではいつもAnzaさんはスキャットか「Anza語」による即興的な歌に興じる。

「セッションのできるバンド」はいま、それほど多くはいない。ただ、HPPのそれはひと味もふた味も違う。
彼らの音楽家としての優秀さが基盤を成しているのは当然のことなのだが、自然発生的なセッションではなく、
セットリストの連関性を考慮に入れた上で、楽曲同士のイメージをつなぎ、かつ増幅するために為されている。

ゆえに、セッションを経過したあとに登場する曲のインパクトは強い。
今回は"f's"だった。金沢ではプレイされていたが、大阪と名古屋では外されていた。

Narumiさんが特徴的なベースラインを弾きだすと、すぐさまその世界観に取り込まれてしまう。
精神を病んでしまった何者かの暗い情念を感じる。いや、それはAnzaさんそのひとではないのか?
Anzaさんの目に、涙が見えた。それも、悲しくて泣いているというより、悔しくて泣いているように見えた。

「ふたつの顔」について、激しさを増しつつ歌われる。曲の世界に入り込んだNarumiさんの表情も只事ではない。
その剣呑さがさらに度合いを高め、呪術的なリフレインとなってステージ上を「異界」にまで変容させたかと思うと、
憑依した悪霊を振り切るかのような、暴力的なまでに力の籠った演奏で、ほとんど唐突に曲を終えた。


まだ残存している思念に最後の一撃を喰らわせるかの如きドラミングで"Endless Line"が始まり、
優しさ、穏やかさを感じさせる、浮遊感漂う序盤でようやく息をついたかと思ったのも束の間、
叫びが空間を引き裂き、その裂け目から溢れだした想いに合わせて演奏もふたたび激しさを取り戻す。


重い余韻がわれわれに静寂を強いるなか、Anzaさんが"Alien Blood"冒頭のコトバを、ひとつ、
またひとつと、やっとの思いでどうにか口にしているかのような苦しさを感じさせつつ、吐き出した。

Narumiさんが、Marさんに代わって「あの」不気味なリフをピック弾きで刻みだす。
なにか、「厭なもの」がゆっくりと首をもたげてこちらを覗き込んでいるかのような、あのリフを。

その「厭なもの」は、やはりゆっくりと立ち上がり、こちらに少しずつ歩み寄ってくる。
そして、リフの炸裂と同時に一気に襲いかかってくると、会場を凄惨な色に塗りかえた。

ステージ上では、これまで以上の激しい感情に囚われたメンバーがのたうちまわるように動き回っている。
Narumiさんなどは、金沢や名古屋でもそうだったように、いまにも舞台袖に駆け込みかねないほどの勢いだ。

Anzaさんは、観ているこちらが心配になるほど悲痛な表情を浮かべている。苦悶。恐怖。憤怒。当惑。絶望。

目にしているのが恐ろしくなる。これはロックのパフォーマンスをとうに超えている。でも、目を離せない。



少し、ステージから離れよう。

「佯狂(ようきょう)」という言葉をご存知だろうか?
「狂気のふりをする」くらいの意味を持った言葉だ。
いわば、演技としての狂気、狂人を演じる常人、のことである。

HPPの、魂を削るかのような壮絶なパフォーマンスを目の当たりにしてもなお、
それが「演技」だと思うほど粗雑な感覚を持った人間には何を言っても無駄だろうが、
彼らのパフォーマンスは「演技」などではないし、彼らは決して「佯狂」ではない、と断言する。
誤解を招く言い方ではあるが、この時、彼らは本当に「狂っている」と考えたほうが理に適っている。


あなたは「演技」について考えたことがあるだろうか?
台詞を覚える。稽古を積む。リハーサルを重ねる。そして迎える本番。

そう、その「本番」で起こっていることとは、いったい何なのか?
台詞を、稽古を、段取りを思い出している?舞台とは関係のないことを考えている?
それもあるだろう。いや、そんなことばかりかもしれない。しかし、そうでない場合もある。

彼らは、もちろん台詞を覚える。だが、舞台に立った瞬間にそれを忘れる。なかったことにする。
台詞を覚えていると、それを思い出そうとするからだ。そして思い出せないとき、声に詰まって素に戻る。

思い出そうとすること、それは過去を、この場合は稽古やリハーサルを再現しようとすることに他ならない。
それではいけないのだ。舞台上の時間、それをいまこの瞬間に立ち現われた現在として生きねばならない。

台詞は半ば無意識化され、かつ半ば意識されつつ、その役の人物が発した言葉として舞台に放たれる。
だからこそ、観客は固唾をのんで舞台を注視しつづけるのだ。その時間・空間は再現されたものではない。

このとき、舞台は「鋳型」として機能する。脚本に変わりはない。
だが、注がれるものはその都度、変わり得る。そのような余地を、必ず残しているのだ。
(むしろ、仮にそうした「余地」の消去に奔走したところで、その試みはあっけなく潰えてしまうだろう。)


音楽でも同じことだ。プレイヤーが楽曲のすみからすみまで熟知していることは言うまでもない。
それを、台詞を思い出し、なぞるようにプレイする「再現型」のミュージシャンもいれば、
その場で楽曲を創出しているような精神状態でプレイする「創出型」のミュージシャンもいる。
(どちらがいいわるいと言うのではなく、そのような資質があることを言っているだけだ。)

HPPは全員が後者だ。
彼らがミュージシャンとしてプロフェッショナルな技量を備えていることは言うまでもないことだが、
その上、音楽に入り込み、一体と化し、自らが音楽そのものとなる「表現者」の特性をも備えている。

ゆえに、入り込んだ音楽が「狂った」ものであれば、彼らも「狂う」のであり、
それは「演技」ではなく、彼らが呼吸する「狂気」という「現在」なのである。

おわかりいただけただろうか?

これですら概略に過ぎない。

いまはまた、ステージに戻ろう。



"Alien Blood"の狂的な暴虐が吹き荒んだあと、荒ぶる魂を鎮める幽かな音が聞こえてくる。

チリーン、という音が何度もする。その度に「なにか尊いもの」がステージ上に姿をチラつかせる。

目を閉じたままのNarumiさんが"Sixoneight"のコードを、弾くのではなく撫でるように、奏でる。
温かく、しかし一抹の寂しさを帯びたそのコードが奏でられる度、やはり「なにか尊いもの」を感じる。

Anzaさんが祈るように歌い出し、HiroさんとBatchさんが静かにその背後に音を積み上げていく。
しかし、辺りを漂っていたはずの「なにか尊いもの」は、手が届きそうだったところで突如その身を翻し、消えた。

その瞬間、淡い希望を灯していた蝋燭はその火を掻き消され、激昂した絶望の炎に転じる。
なにか尊いものは姿を消した。いや、ほんの短い間だけ、また戻って来てくれた。だが、再会の時はすぐ終わる。

Anzaさんの「DIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIEEEEEEEEEE!!!!!!」という叫びが、ステージ上にカタストロフィを呼びよせる。

激しさは増しつづけ、これより先はないというところまで行きつく。
そして、会場いっぱいに拡がっていた感情が、一瞬で収束する。

すべてが終わり、謝意を告げステージを去るAnzaさんにつづいて、メンバーがステージを後にする。


会場からは盛大な拍手と歓声が送られたことは、言うまでもない。

濃密なセットが終わったことで、ようやく深い息をつくことができるようになった。


アンコールでは、NarumiさんHiroさんが交互にシンバルを叩いてBatchさんのドラムソロを促す。
本日からツーバス仕様となって、その威力をさらに増した叩きっぷりを見せつけるBatchさん。

スカートを赤から黒にしたAnzaさんが轟音を鳴らすバンドを制し、中央でMCをとる。Marさんについてだ。


「ご覧のように、HEAD PHONES PRESIDENT、四人になってしまいました。」
「Marは今、音楽の世界からは身を離して、新たな目標に向かって、とても元気に暮らしています」
「本当だったらなにかコメントを残すべきなのですが、彼の意思を尊重して、こうゆうかたちになりました」
「四人になったHEAD PHONES PRESIDENTを、これからもどうぞよろしくお願いします」


深々と頭を下げるAnzaさんに、大きな声援が送られる。

「あと2曲やりまーす。楽しんでいってください。」

そう言ってプレイされたのは、このツアーで1曲も選ばれていなかったVacancy (2005)から、
重厚なリフで始まる"Snares"だった。久々の選曲ということもあるが、重い曲なのになぜか楽しさを感じた。


それはつづく"Chain"にも言えることだ。曲に込められた想いからしたら決して「楽しさ」に結びつきはしない。
でも、そんな幸せにも似た思いを感じた。それはステージの上と下を問わなかったに違いない。

Narumiさんは、柵とステージの間にまで降りて来て、終始笑顔でプレイした。
それを見てAnzaさんも笑いながら歌っている。HiroさんもBatchさんも楽しそうだ。

ステージに戻ってきたNarumiさんを迎えて曲が終わり、
「ありがとうございましたーっ!!」の声をもってして全楽器が爆音で暴走する大団円へ。


最後に記念撮影をして、ライヴは終了した。

わたしには感謝の言葉しか出てこない。


素晴らしいライヴを、ありがとうございました。


SETLIST
01. SE
02. Hang Veil
03. Reality
04. new song
05. Desecrate
06. Labyrinth
07. Light to Die
08. What's
09. Nowhere
10. puppet
11. Cray Life
12. 5885/0
13. Life Is Not Fair (acoustic ver.)
14. Fight Out (acoustic ver.)
15. A~La~Z
16. ill-treat
17. Shit Now
18. Free Fate
19. f's
20. Endless Line
21. Alien Blood
22. Sixoneight
Encore
23. Snares
24. Chain



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